高校公民Blog

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デカルトの疑い 1 われ思う、ゆえにわれあり

2022-03-17 23:05:22 | 社会科学・哲学

方法的懐疑

 

デカルトというと、「われ思う、ゆえにわれあり」という有名な言葉と、真理へと至る方法としての懐疑、本当のことを知るための疑い、という意味での「方法的懐疑」という概念が浮かびます。

さて、私は学校の先生をやっているわけですが、何が大切か、と言われて、授業で最も大切なものは、何をおいても問うことだ、と思っているんです。何をおいても、生徒に

 

「きいてよ、これ、どういうこと?」

 

といったときに、生徒が思わず考え込み、なんだなんだ、と言いだす風景ぐらい、目指しているものはないんです。これさえあれば、何もいらないんです。わからないと、かならず、生徒の皆さんはこういいだすんです。

 

「ねえ、気になって仕方ないから、答え教えてよ?」

 

実は、倫理の授業の導入で必ずやるのが、

 

「起立、礼、着席」という号令を命令している主体はだれだ?

 

という問いです。これ、そう簡単には分からないんですよ。

急所を疑った時、私たちは、豊穣な稔を手に入れることができるのです。

デカルトは、『方法序説』で、こういいます。

 方法序説 (岩波文庫)


自分は、何が本当にたしかなことかがわからなかった。
で、疑ってみた、疑わしいものはすべてウソだ、と思い、疑っていったんだ。

 

っていうのです。

 

たどりついたら、〈確かなことがない〉という確かなこと

 

みなさんは、こういうことを申し上げたらどう思われますか。これは、サルトルという哲学者が『存在と無』という厖大な哲学書の最初の方で議論していることなんです。

 

今、みなさんは人を探しているとしますね。で、部屋へ入っているかどうか、探してみた結果、こういいます。


「ここには、斎藤はいない」

 

つまり、

〈いない〉=〈無〉

ということがある、ということです。

「えっ?」って思いませんか。無いものは、無いはずでしょ?無いものが実は〈ある〉んだ、ってことです。

これを

「バルタン星人はいない」

と比べてみてください。「斎藤がいない」というのは、全く違うでしょ?〈斎藤がいない〉ということが〈ある〉としかいいようがないでしょ?
 

さて、戻りましょう。デカルトは、こういう結論に達したんです。自分は確かなことがわからないから、方法的懐疑を使って、疑わしいものをすべて捨てて行った、そしたら、何とある事に行きついた、

 

「確かなことはない!」

 

これを、デカルトはこういっています。私が疑いに疑ってたどり着いたのは、

 

「疑っている自分がいることだけは疑えない」

 

これ、同じことですよ。そうです。デカルトはこういうことに気付いたのです。確かなことは一つも分からない、しかし、疑っている、確かなことはない、と考えている自分は確かに存在する。確かなことがないと考えている自分がいることはまちがいがない!

 

勝負の局面

 

私は、囲碁とか将棋をやります。いえ、スポーツでもいいんです。勝負事をしたとき、みなさんは、目をつぶって、決めるよりない、何がたしかなことかわからない、という局面があることは想像できるでしょうか。まさに、そういう局面を想定した時、デカルトのこの議論は、私たちに迫ってくるのです。そのとき、

 

「わからない、ということだけがたしかなこと」

「分からない、と考えている自分がいることだけがたしかなこと」

 

という局面があるのです。そうです。無いものがあるのです。無いと考えている自分の存在はたしかだ、確かに存在する。確かなことだ!

 

ここで、デカルトはこう結論付けたのです。確かなことがないということがどうして確かに存在するのか?確かなことがない、と考えている私がどうして、確かに存在するのか?

 

それは、私がそう、考えているからだ!

 

「われ思う、ゆえにわれあり」

 

ふつう、あるものが確かにある、というのは、自分の外にそのものがたしかに「ある」からある、と考えないでしょうか。ところが、デカルトはそれを否定したのです。むしろ、逆だ!私たちがある、と考えるから、確かなことはあるのだ、と。

 

「われあり、ゆえにわれ思う」

つまり、考える〈私〉がいるから、考える私の存在はたしかにある、というのではない。逆だ!


確かなことというのは、経験ではない、というのです。われわれが認識すること、正しいと認識するから、それはある、というのが本当の姿だ、というのです。

 

答えのない問いの答えってなあに?

 

では、聞きますよ。人生生きていると答えのない問があります。答えのない問いの答えって何なのでしょうか?

 

学校の先生は、答えのある問しか発しません。私も注意していないとホント、答えのある問しか生徒に投げないのです。しかし、答えのない問、というものがあるのです。答えのない問いってどう考えたらよいのでしょうか?


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