無期で泣いた井上嘉浩 一審で死刑を求刑されたオウムの井上はかなり精神的に参っていたようである。警察に吐くだけ吐けば情状酌量の余地はあると、お定まりの取り調べの言質をもらったのかもしれない。いずれにしても、死刑という求刑を受けた彼は相当追いつめられたのだろうと思われる。ためしに今晩寝しなにお考えいただきたい。「あんた、死ねや」といわれ、それが実際にあなたを襲うのである。死刑とは、死刑の決行の予告が当 . . . 本文を読む
部活動はきわめて謎の多い組織です。このように、部活動は本務ではなく、交通費の支払いの対象となっていません。同窓会とPTAが同時に解散してしまえば、干上がります。 しかし、重要なことはそこではありません。おそらく、PTAの保護者も、同窓会員も、部活の交通費に自分たちの会費の一部が充てられているなんて知らないと思います。大体、PTAの普通の会員はその会費が何に使われているかなんて知らないし、知ろうとも思っていないのではないかと思いますね。いや、ちがう!何かが知らせないようにしている? . . . 本文を読む
交差点の信号の絶対性 突然ですが、交差点を、それもかなり交通量の多い交差点を、想像してみてください。そこに、信号がないとしたら? 私は何度か、暴走族的なバイクが、交差点の信号を無視して通過しようとしたのを見たことがあります。でも、よくみると、交通量が少ないことを(注意深く(笑))確認して、無視しているのです。つまり、「ぶつからない」って確認して、安全運転で信号無視(笑)していたんです。 本物の交通 . . . 本文を読む
時間割には、月曜日の1時間目から金曜日の12時間目までただひたすら科目名が並んでいるだけなのです。生徒は、その科目を各々自分の進路や興味関心に沿って選択します。そして、その選択した人たちで授業集団が構成されます。
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まあ、とりあえず、あなたを単位制高校のクラスへお連れします。
そこには、まず、何歳だか、わからない、どこのだれだかもわからない、そして、次の時間には、全く違うメンバーがいる、というクラスが、次々あるだけなのです。
無学年・無学級制のクラスの理想は、こうです。
あなたが決めたのです。そして、あなたが決めたのではないのです。
これが単位制の無学年無学級制のクラスです。
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定時制の実験 定時制には、服装の規定はない。何でもいいのである。いっておくが定時制には学力に問題がある生徒も、全日を中途退学した生徒もくる。そのなか、バイクもよし、アルバイトはもちろんよし、服装・頭髪は自由である。しかし、服装が自由になると、あるいは頭髪が自由になると何か困ることが起きるかというと、多分、普通の学校であれば、服装違反をするような生徒も一般性の範囲内の服装を着用してくるの . . . 本文を読む
学校は、生徒がやめようが、不登校になろうが、給料は同じである。別段、良質な商品をださなくてもそのことでのチェックを受けないのだから、まったく自分の提供している商品に反省などしない。大体、校長という管理職は客の評価をみないで、自分にとってどんな味か、ということで現在は授業評価を実施している。ひどい場合は、君はぼくと同じ「**大学出身」だから、味はどうでもいいよ、と評価して管理職にしている。自分は食品を専門にするが、靴を売っているその商品を客の評価も関係なく評価している。・・・(書きだしたらきりがない!(笑))
これが現実だ。
これを市場がない、とも、社会主義計画経済ともいえばよい。
学校のきわめつけは年功序列と終身雇用という年寄り既得権優遇制度があることだ。
年をとれば給料はあがる。一生雇用は安定。頭髪検査はこうした制度の上にはじめて成立しているのだ。
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PTAについて書く。がPTAそのものを書くのが目的ではない。学校という組織はさまざまなほころびを見せている。そのほころびのなかで私がもっとも問題だと思い、しかし、どこから手をつけたらよいのか、わからない問題が部活動である。部活動は学校教育の機能を根底で蝕んでいる。いま、高校野球が甲子園で行われている。現在のシステムを変えることなど、この空気ではできない。甲子園大会に出場するチームは文字通り氷山の一角である(このくそ暑い夏にいう言い方としてはイマイチだが)。裾野には一回戦で敗退する野球部がある。そこにも、顧問が貼り付いており、多くは教員が顧問となっている。一年中野球漬けである。その彼らを支える組織としてPTAは存在する。そのPTAである。 . . . 本文を読む
ヘーゲルという哲学者が「すべて」というのは「ない」ということと同じだ、というわかったようなわからないようなトリックを私たちに提示している。これから書いていくことは明らかにそれとは違うのだが、しかし、外見上似ている不思議な現象だ。部活動は仕事ではないのだ、という現実をみえなくさせていくものの正体がここに現れる。訴訟で教員のブラック労働を問題にすることは極めて重要なのだが、いくら学校の外部でそれが問題視されても、いっこうにその成果が制度化されないヌエのような構造が、学校には存在する。 . . . 本文を読む
■これはフィクションです。そして、原案は1994年に作られました。もう、なんと28年!が過ぎているのです。そして、事態は一向に変わっていません。いま、春の選抜がまっさかりです。しかし、この問題は封印されて表に出ることはないのです。■以前の書き込みもそのまま収録しています。よろしければ、ご意見、ご感想をお願いします。 . . . 本文を読む
みなさんは、命令が実はお願いにすぎない、という錯覚に気づいた経験がおありだろうか。私は教員生活をしていて、二度ほど目の当たりにしたことがある。それはもう、感動としか言いようがないのだ。今まで命令していた人間が突然、お願いしだすのだ。感動と呼ばずに何と呼ぼうか。本日は、しかし、お願いが、お願いに見えず、命令にしか見えないというトリックに挑むのだ。この謎が解けない限り、部活動は仕事のままなのだ。永遠に、お願いにならない。 . . . 本文を読む
■これからいじめの原因を考えていきます。■なぜ、いじめは発生してしまうのか?この問いは、容易な問いではありません。私たちは、まず、この問いに対して、社会的な要因から考えることにしたいと思います。現代日本社会のどのような要因がいじめをひき起こしてしまっているのか? ■みなさんは、「ウチとソト」という言葉を聞いたことがありますか?「タテ関係」という言葉はいかがでしょうか?この二つの言葉がキイワードです。あるいは、最近よく使われるボキャブラリイでいうと「空気が読めない」いわゆる「KY」という言葉があります。こうした言葉がもつ社会構造の意味、社会関係の意味、私たちはこうしたことがらを追及する中で、いじめの原因仮説を考えていきたいと考えています。断っておきますが、仮説です。もちろん、私たちが考えるのは一つの仮説です。 . . . 本文を読む
先に確認したように、全いじめ体験者の内の70%もの人たちが、いじめを見ているのです。そして、その人たちの半数以上が「見てみぬふり」を基本姿勢としており、「かわいそう」だと思うが「自分には関係ない」とアンビバレントな姿勢を示しています。それに対して、酷だとは思うのですが、こういう問いを立てることは可能です。「同情するのであったら止めたらいいじゃないか?」 . . . 本文を読む