この夏は、仏教を勉強する予定です。といっても、そのすべてを網羅することなど不可能です。とりあえず、原始仏典(『世界の名著 〈1〉バラモン教典,原始仏典 』)のみに定して、伴走者として中村元を選びました。
あと、社会学的な基礎をマックス・ウェーバーの『ヒンドゥー教と仏教』で確認したいと思っています。もちろん、この本も大著です。あくまで、社会学的な記述のみに今回は限定したいと思っています。 . . . 本文を読む
去年ラカンの『エクリ』を読みました。この本は講演や講義録をもとに書かれています。つまり、話した言語のはずなのです。それが、まったくわからない!!一体、聞いていた聴衆はわかってたのかしらねえ(笑)!! . . . 本文を読む
私は、授業で不平等の問題を提起しきれていません。この問題を、どう扱うかということですが、学校内では「落ちこぼれ」問題なんです。それは、やがて生存権というコンセプトへとつながっていくんですね。デキの悪い人間が学校へ来る意味は何か、みたいな。
他方、不平等問題は、経済問題でもあります。通常、こちらが強調されるわけですね。フリーターやニートに代表される経済格差や正規・非正規の雇用形態に対するアプローチ、それは、学校というもの、学歴というものが持つ意味を考えるというところへとつながります。おさえておかなければいけないのは、たとえば『現代社会』は通常、新入学した生徒が履修する機会が多い。いわばモラトリアム状態まっただ中の彼らには経済なんて意識にのぼりません。それだけに大変扱いにくい問題なんです。
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私の総合学習の成績優良者が教員を訪れ、この授業評価の実施を迫ると、教員の対応がしどろもどろになっていることが報告されることがある。なぜ、参加しないのですか、と理性的な対応を求め、理由の説明を理詰めに求めていく能力があると、そこに、教員の側の拒否の非論理が顔を覗かせるのだ。そして、最後に、頭のいい彼らは、
「成績による報復」を恐れる。そこに権力の匂いを彼らは敏感にかぎつける。悲しい現実だ。私は教員 . . . 本文を読む
私は、総合学習で、生徒による授業評価を雑誌にするという企画をしています。私の勤務する学校は、単位制高校です。単位制高校というのは、クラスがない、授業がズラーっと並んでいて、それを生徒が選択するという形式で、つまり、大学のようなシステムで運営されているのです。授業時間割に担当者の名前も入っています。選べるんです。そこで、私はこういうキャッチコピーを自分の総合学習につけてみたわけです。
「だったら、 . . . 本文を読む
現在学期中であり、授業の準備等でじっくりと論評することができない。また、この問題はじっくりととりあげたいが、この制度の帰趨は注目すべきである。
私たちの学校は1955年体制とも、高度成長モデルともいえる形式から業態転換を一度として果たしてきていない。そして、財政的な問題から、ゆでガエルのように、その死を迎えようとしている。
詳細は、朝日新聞のサイトをご覧いただきたいが、文部科学省がこの制度を本気で実施したとしたら大きなガラポンが教育現場に起きることはまちがいない。 . . . 本文を読む
この文章は、イチローがメジャーリーグで200本安打を記録したときに書いたものです。今回のオールスターのイチローの活躍をみても、ぜひ、もう一度この文章を世の中のみなさんに考えていただきたいとおもい、再掲しました。
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■「青年期年期の女の子が毎月卵を産んでいることって知っているよねぇ?」と、聞いて、「知らなかった。産んでいるんですか?」という男子を想定してみよう。これが、第一の段階。■「あぁ、そうか、そうか、それはさあ、ゴム(=コンドーム)はめりゃあいいじゃん」この段階をA2っていっておきましょうか。■女性の生理機能はきわめて抽象的です。それは、目に見えないということです。そして、絶対である、ということです。これは、また、後にみることになります。
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■射精という生理現象は、恋人の青年も、すけべ親父も同じです。当人の意志に関係なく、製造されています。そして、次々に過剰となった精子が捌け口を求めて、男子の身体を流動しているのです。つまり、基本的な構造として通常の男子はいつも、「射精の便器」を求めています。できれば、女子の体内で、出したいのです。だって、気持ちいいもんねえ。出したいのです。それは、愛情と切り離されても十分可能です。■「彼に限って・・」/そういって、一体何人のカップルが引っ付き、たんなる「射精の便器」にされて別れていっているのです。何カップルですか?何百カップルですか?いや何百万カップルですか?■「胸に「私は泥棒です」というネームプレイトをつけている泥棒っているんですか?「射精の便器」だけが例外という理由はどこにあるのです?」 . . . 本文を読む
■男子の生理的な構造からしたとき、愛しているからセックスしたいのか、セックスしたいから愛するのかという見極めは不可能です。生理的な構造から言って、男子の射精は、愛情とそれほど密接に連関しなくても可能です。したがって、セックスも愛情と関連しなくても、好意がちょっとあるとか、タイプだとか、いいおっぱいしているな、とかいう身体の趣味で、十分セックスが可能なのです。場合によっては憎しみあったとしても、可能です。■で、そのときの正確な意識をできる限り再現すると、愛しているだの、女の子が何を考えているだの、自分が性欲だけだの、そういったすべてが飛んでいる自分をただただひたすらみつめることになるように思いますね。無念無想(笑)!
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