木村の英語力
この1週間前後でしょうか、私はけっこう英語力について人と話すことになりました。畑違いのことに私ごときが口出しする筋合いではないという向きもあるかもしれないけれど、私が問題にするのは、あくまで学校教育、それも私が目にしてきた高等学校のそれです。ただ、私は同僚の英語の授業をみる機会はほとんどありません。したがって、私が知り得た限りの事実にもとづいて、都合三回にわたって英語力について考えてみたいと思います。
ちなみに、木村の英語力はどうか、木村は、英語の他にドイツ語とフランス語を勉強してきました。どれもこれも絶望的(笑)なのですが、一番話にならないのがフランス語です。もう5年も前になりますが、大学院へ自費で通いました。その二年目に私はフランス語を独学で勉強しましたが、時間がとれず、ま、文法を一通りやったという程度で終わりでした。NHKのラジオ講座と丸山圭三郎の『フランス語入門』をやるのがせいいっぱいでしたね。
デカルトからはじまり、私の場合、けっこうフランス人が勉強の対象として多いので、ぜひフランス語を読めるようになりたいというのがあったのだけれど、ほとんどかなわなかったですね。
ドイツ語は、もちろん、一冊の本を読み通す力はありませんが、NHKのラジオ講座の中級程度を辞書をひきながらということにはなりますが、それなりに読めるという能力はあります。事実、私は哲学書をページというのが単位ですが、けっこう原文で読みます。ドイツ語のニュアンスをとりたいと思うような著作には原文であたります。大学院でもマルクス、ヘーゲル、ハイデッガーといった思想家のものはかなり原文で読みました。
で、英語ですが、もちろん、一番マシなのですが、英字新聞やニュースサイトを辞書なしでけっこう読みます。英文のテキストはかなり読めますし、読みます。きのう、紀伊国屋へいきルソーの『社会契約論』の英語版を買ってきました。本当はフランス語で読みたい!のですが、日本語が私にはいまいちなので、英文で今年は読むことにしました。現在、Samuelson&Nordhaus のEconomics のミクロ経済学とJohn Rawls の A Theory of Justice(日本語では『正義論』)を読んでいます。みなさん、お読みになられればわかりますが、半端な英文ではないですよ!難解です。概念一つ一つがなかなかしっくり入ってこない。現在翻訳がありませんが、多分、この本は日本語になっても理解するのが相当かったるい本です。根性が要ります。・・・・
と、わざと長々と文章を書きましたが、実は、お察しの通り私は、読むために必要、というのが語学の殆どです。話す必要もないし、書く必要もありません。ということは、はなせる必要も、書ける必要もありません。だから、話せないし、書けません。私程度に英文を読んでいる英語の先生ってどのくらいいるんだろう?でも、絶対私程度にしか話せない学校の先生はまずいないでしょうね。
AからZまでが書けない生徒がいるという英語入門の授業
英語の先生がとある研修会でこのような事実を、笑って発言していました。舌打ちってやつですかね、しながら、生徒はどうしょうもない、というようなニュアンスで、得意になって、侮蔑を含んだ笑みを浮かべていました。その場所で、その教師をみて、不快を感じたのは私ぐらいのようにみえました。私は、こういう質問をしようとして、あわてて飲み込みました。なぜなら、その質問を発したら最後、いくところまでいかなければならないからです。そして、最後にその教師のプライドをズタズタにしなければならないだろうからです。その質問とは、
「その該当生徒は精神障害があったり、知恵遅れだったりという生徒なんですか?」
という殆ど差別語で構成される質問なのです。
さっき、ためしにインターネットを一回りしながら、英単語を、それもまず日常的に目にしないことは難しいだろう英単語を意識的に並べてみました。
BS NHK Yahoo in out on off Japan New Gコード CS My
これだけで、26字中19文字が入っているのです。これだけでですよ!
なんで、アルファベット26文字が言えないのです。
座席を自由にすわっていいよ、そのかわり、座った座席にカードをおくから、自分の座席のアルファベットを言ってみてください。・・・・
赤点解消試験
もう一つ、不可解な事実を添えましょう。
いつかは明言しませんが、赤点、5段階で「1」の生徒がその解消試験のためにやった解消試験の成績が発表されました。何点だと思いますか?
「96点」
それで、該当生徒は「2」になり、合格なのです。でも10段階で「2」、5段階でも「2」です。
何で、96点もとれる生徒が「1」なんです?
ほとんど指導をする時間はないのです。指導はほとんどしていません。それで、どうして96点なんです?私はもちろん、その質問をしたらすべてが壊れるのでしませんでした。
試験問題はただ暗記して写せなんです。
その該当の生徒が神妙な顔をして反省の色を示したのでしょう。後は温情なんです。
問題の所在
木村はなぜ、書けも、話せもしないのでしょうか?木村はまだマシかもしれない。大体、世の日本国民の平均値で一体どのくらいの人が英語が読めるのでしょう?書けるのでしょう?話せるのでしょう?
なぜ、アルファベットの26文字さえ定着させられない生徒が存在するのでしょうか?それは、能力の問題なのでしょうか?そして、あざ笑っていれば生徒は勉強するのでしょうか?英語を身につけるのでしょうか?
なぜ、追認試験で96点とっている生徒が「1」だったのでしょうか?
ここに英語教育のすべてが現れていると私はみているのです。英語が身に付かないということに対する途方もない無関心、英語が身に付かない構造に対するあまりの無知、自己の教育力に対するあまりの無関心が浮かびあがるばかりなのです。
ボールを打って変な方へ飛んでいけば、フォームの点検をしませんか?ラケットの素振りの点検をしませんか?何がボールをとばせないのかを考えませんか?
今、学校の英語の教員に決定的に脱落しているのはこの思考です。
「昔の生徒は・・・」
「あの学校の生徒は・・・」
こうした思考ににじみ出るのは、担当教員の自身の教育力に対する無関心です。恐ろしいほどの無関心とその向こうにある認めたくないだろう無力です。その無力が、無力こそが全く反対の自身の教育力に対する全能感を醸成し、生徒に対する侮蔑感を生み出すのです。
私たちはもう一度考えなければいけないと思います。なぜ、英語が身に付かないのか?何が生徒を英語から離してしまうのか?その構造はなんなのか?
ニーチェはかつてこういいました。キリスト教の坊主どもは、信徒の不幸を食い物にしている、と。
「ええい、4の5のいうねえ!NOVA入れろ!ジオス入れろ!」
私はついこの言葉を吐いてきましたが、おそらく本当の教員評価制度はこれを制度として入れていくことになると思っています。
【参考】
・英語力 2 英語がむずかしいってのがおかしいのだ
・英語力 3 英語はゼニになるぞ
・英語力 4 ルサンチマンを超えて
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
よろしかったら、上の二つをクリックをしてください。ブログランキングにポイントが加算されます