南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

私を感化した言霊たち(11)

2013-09-06 12:50:26 | ユニオン
小糸労組で毎日発行している機関紙「きずな」、2002年10月私が書いた最後の記事です。
題名は「自由の砦」
この後、私は小糸労組を離れて、「JAM静岡」へ派遣されました。
少し長文ですが、全文を掲載させていただきます。


人間が人間らしく生きるということは、自由であるということである。
自由であるということは、すべての人間が個人として尊重されるということである。
そして、すべての人間が幸福を求めて日常生活を営んでいく権利は、公共の福祉に反しない限り、最大限認められている。
 しかし、その自由や権利を守るためには、不断の努力を欠かしてはならない。
ただ単に法により与えられているのではなく、常に努力し保持しなければならない性格をもつものなのである。
 幸福であるために自由を追求し、幸福であるために健康で文化的な生活を追及し、幸福であるために人間は働くのである。
自由と権利を守るために不断の努力が求められるように、労働組合も「自由を守る砦」であらねばならない。

 会社には経営権、人事権、業務権があるから、業務命令に従わなければクビと言われても仕方がない。
これが会社と社員の本質的な関係である。
しかし、実際にはそのような乱暴な命令は出せない。
それは労働協約があるからだ。
労働協約とは会社と組合との間で取り決められた、働く上でのルールである。
すなわちルールを協議し決定することを通じて、私たちは自由でいられるのである。

最近世間で、その「自由の砦」が崩れ始めている。
労働組合の組織率は年々低下し20%にまで落ち込んだ。
それは、労働組合の目的、労働組合の本質的な存在意義を忘れかけているからだと私は思う。
・是は是、非は非と自らの意見や考えを主張する自由
・働くものに対する扱いや労働条件について改善を求める自由
・また、その実現に向けて団体行動に訴えることのできる自由
・何人に対しても卑屈にならず、不当な蔑みや差別には改善を求める自由
・何よりも人間が人間らしくあるために闘える自由

 労働組合は、これらの自由を法によって与えられていることを深く自覚しなくてはならない。
そして「自由の砦」である労働組合を、組合員全員で支えていく決意を求めたい。
加えて労働者が人間らしくあるために、労働組合をもたない8割の未組織労働者にも支援の手を差し伸べていただきたい。

 誰のためでもない、自分のために。


あれから11年が経ちました。
2012年の労組組織率は17.9%まで低下、民主党による政権交代は果たしたものの日本の労働政策を変えることもないままで終焉しました。
それどころか返り咲いた自民党政権によってさらなる雇用政策の悪化が心配されています。
状況は11年前よりも悪くなっています。
そう考えはじめると私の11年間ってなんだったんだろう?とついネガティブになってしまいます。

もう一度原点から、そして現場から始めなくてはなりません。
それは結論から言えば「教育」に戻ります。
単なる座学教育ではない、現場リーダーとの血の通った「対話教育」「OJT教育」です。
どうすればそれができるのか…思案中の今日この頃です。

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2 コメント

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本音と建前 (四頭身君)
2013-09-06 21:15:48
我が社でも「教育」に力を注いでいますが、教育を受ける側はその意味をあまり理解していないないようです。
教育という「建前」と『実務」とう「本音」を使い分けているので、どんなにカッコいい教育をしても実務に反映されません。
例えば40キロ制限の道路を50キロで走るのが道路事情の実態(本音)にマッチしているのであれば、制限速度通りの40キロで走ることは正解ではなくなります。
ルールを守ることの必要性を理解してもらうことがとても難しいです。
労働組合の役員さんは本音で語るのが大切だと思いますが、本音と建前の乖離が大きいと、OJT教育の意味が無くなると思います。
今私は新入社員の教育に悩んでいます。
自分でルールを作ることができるのであれば、それなりに悩みは少なくなるんですけどね!
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意識から (管理人)
2013-09-06 22:24:37
四頭身さん、ありがとうございます。教育を正面から捉えて向かい合うことなど私には到底できそうもありません。でも対話を通じて相手との関係性を高め、意識を変えるお手伝いはできるような気がします。意識が変われば行動が変わり、生き方さえも変わるかもしれません。だから少数の対話集会を私は好きになりました。
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