なぜかエンリケ・モレンテって日本じゃ人気ないんですよね。
プリミティブなものを尊ぶ傾向のせいかな。
コアなフラメンコファンはスペインのプリスタ(純粋主義者)もまっさおなくらいに
プリミティブなあじわい(とおもわれるところ)を求め
洗練や革新を嫌う。
ってこれ、なにも日本だけじゃなく、スペイン以外の外国全般にある傾向かもしれない。
文明社会との対比としてプリミティブなアートの魅力?
19世紀のロマン主義旅行家たちとかわってないのか?
今のフラメンコにプリミティブなもんなんてない。
皆がそうおもっているののは実は単に“下手”なフラメンコなんじゃないか?
っていうちょっと過激?な気分がきえない。
モレンテは地元スペインでは非常に高い評価をうけているんだけど
それはごく正当なもんである。
1)フラメンコを愛し
2)フラメンコの伝統を学び
3)新たなメロディをうみだし
4)自らのスタイルを築き
5)現代詩人の詩をとりげたり、異ジャンルとの共演など新しい試みに意欲的で
6)後進をも広い意味でサポートしてる
わけですからね。1と2まではいるかもだけど、2の真摯さもすごいし
3にいたってはカマロンも彼の創唱のもの歌ってるしな
4のスタイルは6にも通じるけど、アルカンヘルなど影響うけた若手も多いし。
5はロックグループからフランスのこども合唱団、ブルガリアン・ボイス…
詩も同郷のロルカにはじまり、多々。
それも言葉をちゃんといかしたメロディをつけているし。
ほんとすごい人なんですよ。
でも、ま、顔や声が嫌いとか、フラメンコはヒターノじゃないと、
ってゆー人もいるわけだから、しょーがないけど、
食わず嫌いはやめて、
たまにはきいてみませんか?
なお私も最初は独特の、聞き慣れないメロディとかに抵抗覚えたけど
ききこむうちにその偉大さわかってきたとゆー。
いやわかんなくて趣味でおしきってもらってもかまわんのですよ
でもま、このよさわかるとフラメンコの楽しみ、よりひろがりますよん。
プリミティブなものを尊ぶ傾向のせいかな。
コアなフラメンコファンはスペインのプリスタ(純粋主義者)もまっさおなくらいに
プリミティブなあじわい(とおもわれるところ)を求め
洗練や革新を嫌う。
ってこれ、なにも日本だけじゃなく、スペイン以外の外国全般にある傾向かもしれない。
文明社会との対比としてプリミティブなアートの魅力?
19世紀のロマン主義旅行家たちとかわってないのか?
今のフラメンコにプリミティブなもんなんてない。
皆がそうおもっているののは実は単に“下手”なフラメンコなんじゃないか?
っていうちょっと過激?な気分がきえない。
モレンテは地元スペインでは非常に高い評価をうけているんだけど
それはごく正当なもんである。
1)フラメンコを愛し
2)フラメンコの伝統を学び
3)新たなメロディをうみだし
4)自らのスタイルを築き
5)現代詩人の詩をとりげたり、異ジャンルとの共演など新しい試みに意欲的で
6)後進をも広い意味でサポートしてる
わけですからね。1と2まではいるかもだけど、2の真摯さもすごいし
3にいたってはカマロンも彼の創唱のもの歌ってるしな
4のスタイルは6にも通じるけど、アルカンヘルなど影響うけた若手も多いし。
5はロックグループからフランスのこども合唱団、ブルガリアン・ボイス…
詩も同郷のロルカにはじまり、多々。
それも言葉をちゃんといかしたメロディをつけているし。
ほんとすごい人なんですよ。
でも、ま、顔や声が嫌いとか、フラメンコはヒターノじゃないと、
ってゆー人もいるわけだから、しょーがないけど、
食わず嫌いはやめて、
たまにはきいてみませんか?
なお私も最初は独特の、聞き慣れないメロディとかに抵抗覚えたけど
ききこむうちにその偉大さわかってきたとゆー。
いやわかんなくて趣味でおしきってもらってもかまわんのですよ
でもま、このよさわかるとフラメンコの楽しみ、よりひろがりますよん。
個人的にはフラメンコってのは、何がどうでないとならないとか無くって、自分でこれがフラメンコって思えばそれでよしって思ってます。
かつてマドリ在住の元フラメンコギタリストさんにモレンテが好きって言ったら「あのパジョ野郎」と吐いて捨てて終わり。あ、この人あかんと思いました。じゃあお前は何なんだよみたいな。ヒターノと非ヒターノでくくってしまった時点で自分のフラメンコの世界をせばめている事になって勿体無いと思うのですが、まあ人それぞれなので余計なお世話でしょうかね。
しかしその人、挨拶にいって無視されたとか(そーゆーことする人じゃないですけど)なんか個人的うらみがあるのではなかろーか。。。