サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 08317「母べえ」★★★★★☆☆☆☆☆

2008年07月29日 | 座布団シネマ:か行

山田洋次監督が昭和初期につつましく生きる家族の姿をとらえて、現代の家族へのメッセージとしてつづった感動の家族ドラマ。夫のいない家族を支える強くてけなげな母親を演じた主演の吉永小百合をはじめ、坂東三津五郎や浅野忠信、子役の志田未来、佐藤未来が、戦前の動乱に翻弄(ほんろう)されながらも懸命に生き抜く人々にふんする。戦争の悲劇を描きながらも、平和や家族の大切さ、幸せとは何かを、改めて思い出させてくれる。[もっと詳しく]

山田洋次監督は最後の「啓蒙」する人であり、その立ち位置から現在は視えない。

僕の中では、日本映画の現存する最後の巨匠のひとりとなっている山田洋次監督に対しては、とても複雑な思いがある。
1931年に生まれ、満鉄エンジニアであった父に連れられて、2歳で満州に渡り、中学生ぐらいの時に日本への引き揚げを体験している。
山口県宇部から上京し、東大を経て、松竹に入社、カツドウ屋を始める。
野村芳太郎などに師事した後、喜劇色の強い作品が得意な監督として、一本立ちしていく。
松竹といえば、僕などは1960年代前半から大島渚、篠田正浩、吉田喜十など、旧来の制作体制に異を唱えて、あるいは本家フランスのヌーヴェルバーグの影響もあったのだろうが、松竹ヌーヴェルバーグとして、独立していった監督たちに、印象の方が強い。
大島渚の「青春残酷物語」が代表作となるが、「二階の他人」(61年)で監督デヴューとなった山田洋次は、60年代には「馬鹿」シリーズやハナ肇の「一発」シリーズなどの喜劇を核としたプログラムピクチャーで、手堅く頭角を現している。



ただ、この60年代に喜劇ではなく、現在に繋がるような社会派、ヒューマニズム派の片鱗を色濃く見せる作品も撮っている。
「下町の太陽」(63年)と「霧の旗」(65年)だ。
前者は倍賞千恵子を早くもヒロインとし、彼女の同名の歌も、大ヒットした。
後者は松本清張の社会派ミステリーの映画化で、これも倍賞千恵子をヒロイン役としたが、後にもこの原作は77年に山口百恵をヒロインに映画化、以降テレビでは繰り返しドラマ化されている。
69年にいよいよ「寅さん」シリーズが始まることになる。
以降、山田洋次の代表作となり、正月と盆には大衆の欠かせない定番映画となった。
結局、山田監督は最新作「母べえ」で80作目となるが、うち48作が「寅さん」シリーズであった。
すでに30作目にして、史上最長の劇場映画シリーズとして、ギネス記録に認定されている。



「男はつらいよ」で松竹の屋台骨を背負いながら、「家族」(70年)、「故郷」(72年)、「同胞」(75年)、「幸福の黄色いハンカチ」(77年)、「遥かなる山の呼び声」(80年)、「息子」(91年)など、時代の変化を誠実に題材に取り入れながら、人間愛を基調音とした、「良心的」な映画を発表していくのである。
93年からの「学校」4部作も同様だ。
高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」など大ヒットした作品もあったが、僕にはこれらの作品群は、「寅さん」シリーズで松竹の顔となった山田洋次に対する、会社側からの「ご自由におやりなさい」といったような報奨であったようにも思われる。
そして、車寅次郎=渥美清亡き後、「釣りバカ日誌」シリーズ(88年~)の脚本を手がけながら、「たそがれ清兵衛」(02年)、「隠し剣 鬼の爪」(04年)、「武士の一分」(06年)といった藤沢作品歴史三部作になだれ込んでいくのである。



僕の中での、山田洋次監督に対する複雑な思いとは、なんだろうか?
山田洋次監督は映画作りが極めてうまい。
脚本からセットづくり、ロケーション、キャスティング、演出・・・つまり映画のあらゆる構成要素に破綻がなく、観客のほとんどを満足させる。
前衛的な実験映像の試みはしない。
「性」をあからさまには扱わない。
暴力や血のシーンも必要最低限だ。
だから、きわめて技巧的、職人的でありながら、じっくりと、作品世界に入っていったり、あるいは山田洋次が好きな落語の世界に似て、庶民の喜怒哀楽に感情移入したり、そうしたことが、実によく計算されている。



しかしながら、であればあるほど、映画表現そのものはきわめてコンサバであり、観客は途惑ったり、深層から揺さぶられたり、世界認識に衝撃を受けたり、呆気にとられたり、わだかまりのようなしこりが残ったり、ということがまったくというほどないのだ。
「感動」はあるが、こちらになにかを迫るような「衝撃」はないといいかえてもいい。
それが、「寅さん」シリーズに代表されるような喜劇的な笑いと涙の世界であろうとも、社会派的なヒューマニズム礼賛や理不尽なシステムへの小さな抵抗を描く良心的な作品群であろうとも、日常の細部をこれ以上ないほど細やかなリアリズムで映像化しようとするたとえば藤沢作品の映像化であろうとも、なんら変わりはない。
僕たちは、山田洋次の持っている歴史観、社会認識、ヒューマニズム、モラリズム、あるいはかすかに感じられるニヒリズムの稜線を決して出ることはなく、そのなかで所定の観客席に座らせられることになる。
それはたぶん、山田洋次が自分のことを、自分の映画的方法論を、よく認識しているからこそ逆に、無意識に滲み出る固有の資質のようなもの、あるいは自分でも制御できないところで破綻をきたしそうになるところが、まったくといっていいほどないことへの、ある意味での「失望」としか言いようのないものを感じさせる由来となっている。



僕は、たとえば、テレビのドキュメントなどで、訥々とこの現在社会への違和感を語る山田洋次が嫌いではない。
そこには、「正義」と「良識」の高みに立って、居丈高に物言いをする風情がないからだ。
だから、右であろうと左であろうとこの人は、大政翼賛会的な集団性にやすやすと身を預けてしまうことなどないだろうとの、信頼がある。
一方で、共産党同伴知識人とまでは言い切らないにしても、文化人の署名活動などに、安全牌のように名前を連ね、記者会見などに参列している姿を見ると、激しい嫌悪の感情を抱かざるを得ない。
「ブルータスおまえもか」といった失望に似た気持ちに苛まれることになる。



「母べえ」という作品に、主演の吉永小百合の渾身の演技も含めて、なんら含むものはない。
もう、僕の中では、山田洋次作品は、その職人芸を味わうという見方に徹しており、それ以上でもそれ以下でもないからだ。
「小さい茶の間を大きな時代が通り過ぎていく」
はたして、1940年から41年の、治安維持法のなかで、戦争の足音が家族に抑圧と悲劇をもたらしていく、そのことにただただ耐えること、その耐え方の姿勢に、このモデルとなった野上家の決して声高ではないが凛とした生き方を、丁寧に重ね合わせている。
この作品は、もし山田洋次監督の「遺言」であるといわれてもそうかな、と思わさせるだけの格調がある。そして、滅多に出さない、この人の資質が、いつもより過剰に作品に翳を落としているかのように感じられる。



あまり好きな言葉ではないが「啓蒙」という言葉を使うならば、もう山田洋次監督のあとには、日本の映画人として正面からそういう立ち位置を保てる人は、いないのではないかと、思わずにはいられない。
教育的な、ジャーナリズム的な、反権力的な作品は、これからも無数に創られていくだろう。
けれど、それは、山田洋次監督のような、立ち位置ではないだろう。
満州で育ち、日本の昭和という時代を伴走し、映画という仮構を借りて、世界でも五本指に入るであろう多くの劇場作品を送り出して来たような人は、今後はもう出ることはない。

その場所はもうないし、仮にあったとしても、その場所から現在の複雑な等高線は、たとえ、山田洋次であろうとも、見通すことはできない。

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12 コメント

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なるほど (sakurai)
2008-08-02 08:29:48
山田洋次論とでもいいましょうか。
実は、この人の映画というものをほとんど見たことがなく、というよりも見ないでもわかっちゃう的な感じ?を持っていたもんで、トンと目にも入らなかったのですが、藤沢三部作ではじめて見ました。
で、やはり感じたのが、映画作りのうまさ。
そして、それ以下でもそれ以上でもない。
とっても良くわかりました。
ありがとうございました。
でも、舞台挨拶等できたとき、スタッフに見せた顔はやな奴だったそうです。これ内緒。
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こんにちは♪ (ミチ)
2008-08-02 08:38:48
「たそがれ清兵衛」以降の時代劇三部作が好きでした。
いつもなんとなく泣けてしまう作品を作る監督さんだな~とは思っていましたが、おっしゃるとおり
>「感動」はあるが、こちらになにかを迫るような「衝撃」はないといいかえてもいい
本当にそのとおりですよね。
でも、そこに山田監督の存在意義があるのかもしれません。
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こんにちは~ (hito)
2008-08-02 13:01:30
TBありがとうございました。

山田洋次監督作品では、藤沢三部作がとても好きです。学校も良かった~
予想できる流れの中で感動させられるんですよね。

「母べえ」も優しい映画でした。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2008-08-02 13:30:57
こんにちは。

>舞台挨拶等できたとき、スタッフに見せた顔はやな>奴だったそうです。

ほんとかどうかは別として、えてしてそんなもんなんでしょうねぇ(笑)
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ミチさん (kimion20002000)
2008-08-02 13:33:24
こんにちは。

山田監督は、自分の存在意義というのを、とてもよく意識されていますね。
で、それでいいじゃないかといえば、その通りなんですけどね(笑)
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hitoさん (kimion20002000)
2008-08-02 13:36:35
こんにちは。
山田監督のことばかりで、「母べえ」に関しては、今回はほとんど触れませんでした。
邦画のある意味で、最高芸といってもいいんじゃないでしょうか。
感想は、みなさんとさして違わないんじゃないかなあ、と思います。
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こんにちは♪ (Any)
2008-08-02 17:51:12
TBありがとうございました。
山田洋次監督の作品・・・多くは観ていませんが、
中でも学校シリーズのⅢまではお気に入りです。

>「小さい茶の間を大きな時代が通り過ぎていく」

本当にその通りですね・・・
吉永小百合さんの母親像は
年齢的な違和感を感じさせない魅力があったし、
山ちゃんもかなり良かったです。
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Anyさん (kimion20002000)
2008-08-03 04:02:46
こんにちは。
吉永小百合は出演作品が、今回で112作目ですからね。
そして、この作品の演技は、彼女にとって、またひとつの可能性を開いたのかもしれません。
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松竹ヌーヴェルバーグ (butler)
2008-08-03 23:14:39
確かに印象としては60年代の大島・篠田・吉田は強烈だったけれど、大局的に見れば山田洋次の偉大さのほうが、はるかに際立っているように思えます。

反権力を標榜した大島作品が、観客への浸透度が表層的だったのに対し、山田作品はジワ~っと浸み込み、時を経て姿を表わす湧水のような趣きだと感じられるのですが。
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butlerさん (kimion20002000)
2008-08-04 02:04:24
こんにちは。
映画になにを求めるかですけどね。
たしかに、山田監督は、良質な娯楽作品という意味では、トップの位置を占めるようになりましたね。
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