サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

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mini review 09349「ミリキタニの猫」★★★★★★★★★☆

2009年01月16日 | 座布団シネマ:ま行

ニューヨークのソーホーで暮らす80歳の日系人路上アーティスト、ジミー・ミリキタニを追ったドキュメンタリー。本作の監督であるリンダ・ハッテンドーフが路上生活をしていた彼を自分のアパートに招き、ルームシェアをしながら彼のルーツを探る様子を映し出す。カリフォルニアで生まれ、広島で教育を受け、帰国したアメリカで第二次世界大戦中に日系人強制収容所に送られたために、市民権を捨てることになった男の反骨の半生が観る者の胸を打つ。[もっと詳しく]

Great Master Artist であるジミー・ミリキタニの矜持は本物だ。

我が家に猫が来たのは、昨年の8月のことである。
名前を「CHIBA(千葉)」とつけた。
久しぶりに木下サーカスの公演があったので千葉市役所前の仮設劇場に見に行ったのだ。
公演が終了し、車を止めておいた千葉市役所市民駐車場に戻り、通りに出ようとするときにその猫はいた。
腹を空かせていたのか、哀れな声で鳴いている。
駐車場の管理人に聞くと、半年ぐらいこのあたりに棲息しているようで、なにかの事情で飼い猫が捨てられたらしい。
乳房が張っていたので子どもを産んだのかもしれない。
しばらく、子猫を探したがみつからない。そこで、近くの獣医を探し、診断してもらい、そのまま東京にまで連れてきたのである。
ネットで飼い主を探したりしたが現れず、保護猫が我が家の猫としていつくことになったのである。
「CHIBA」は、それまで、フェレットを二代にわたって十数年間飼っていた我が家に交代するように、いつくことになった。
平日はオフィスで過ごし、当直役となっている。
金曜の夜から週末は、我が家を走り回っている。
「CHIBA」を保護してまだ半年もたっていないが、なんら臆することなく、自分の好きな場所を見つけて、平然と場所を占拠している。
寒いこの季節では、家では日のあるうちはベッドの上で日向ぼっこをし、暖炉をくべればその前の特等席を占拠する。こちらが食事をするときには、隣にもぐりこんで、おこぼれにありつけるのをじっと待っている。けれども、別に媚びるわけではないし、平日の夜はオフィスで単独生活(宿直)をしている。



ジミー・ツトム・ミリキタニも猫の絵を多く描いている。
第二次世界大戦時の日系人強制収容所のひとつであったツールレーク収容所で彼を慕ってくれた少年が猫好きであり、ジミーに猫の絵を描いてくれとせがんだのだ。
その少年をジミーは、埋葬することになる。
「ミリキタニの猫」という優れたドキュメンタリー作品を撮ったリンダ・ハッテンドーフも後にミリキタニを招き入れることになる自分の部屋に猫を飼っている。
ジミーが映画の後半に住むことになった高齢者向けのアパートメントにも捨てられていた猫がジミーと共棲している。
「反骨のストリートアーチスト」であるジミーその人も、どこか孤高の猫のような眼差しを持っている。



「ミリキタニの猫」は1990年1月、映像作家であったリンダがNYのSOHO地区でストリートでホームレスを続けながら絵を描き売っているジミーに声をかけるところから始まる。
NYの冬はまことに底冷えのする寒さだ。ジミーは着込んだぶくぶくの服から汚れた手に短いクレヨンを握り締めてかじかむ寒さのなかで一心不乱に絵を書いている。
「寒くない?なにか要るものは?」
「大丈夫だ・・・ワシのことを写真に撮ってくれるかね」
リンダは翌日からビデオを持ち込むことになる。
カメラの前で、小柄で背も曲がったホームレスの奇妙な老人が、眼光鋭く睨みつけるような目で、自己紹介をする。
「私の名前はジミー・ツトム・ミリキタニだ」と。そして続ける。「I am Great Master Artist」。
カメラを回すたびに、リンダは少しずつジミーの過去を聞きだすことになる。
けれども、それは、リンダにとってはたまたま出会った被写体の一人であり、なんだか奇妙なストリート・アーチストと声を掛け合う関係になってしまったということ以上を意味はしていない。
リンダのなかでは、漠然と「ホームレスの四季」というようなテーマで、作品にできるかもしれないわ、という程度のものであった。



観察者と被写体、問いかける人と答える人。9ヶ月ほど続いたその関係が激変したのが、2001.09.11の貿易センタービルへの航空機の「自爆」事件である。
その混乱のさなかにリンダはいた。
ジミーは、逃げまどい泣き喚く市民や救急サイレンの轟音や報道のヘリコプターの騒音の中で、炎をあげ、煙を吐き出し、やがて倒壊することになる貿易センタービルを、平然と黙々と絵に書いていたのである。
その絵は、8月6日広島原爆慰霊の日に向けてジミーが書いた絵をどこかで髣髴とさせる。
原爆ドームの周囲を、円を描くようにあるいは火竜に飲み込まれるように巨大な炎が覆い尽くしている。数え切れない人々が、逃げまどい、その業火に包まれている。
貿易センタービルもまた・・・。
倒壊後の煤塵には有毒ガスも含まれている。SOHO地区からも、ホームレスも避難した。
しかし、咳き込みながら、描く事をやめないジミーを見つけたリンダは「あたしの家に来て」と云う事になる。
そして、80歳を過ぎた奇妙な老人とリンダとの、共棲生活がはじまることになる。



ここから観察者と被写体という立場が変わることになる。
9.11の動揺は、アメリカ中をパニックに落としいれ、リンダもまた混乱のなかにいる。
テレビ報道を、ジミーとリンダは、繰り返し見ることになる。
ブッシュが正義の報復をわめきたてている。ビン・ラディンの声明がアルジャージの報道を通じて流れる。
アラブ系の商店などへの焼き討ちが続き、次々とアラブ系市民たちが訊問のため拘束されることになる。
アフガンへのアルカイダ掃討を名目にした空爆が始まる。
ジミーは、黙って、そうした映像を眺めている。
貿易センタービルに広島ドームが重なる。
アラブ系住民への差別と拘束に、自らのアメリカの市民権を持ちながらも、強制収容所に入れられ、財産も没収され、市民権を放棄するにいたる歴史が重なる。
アフガンの罪なき大衆の死にその嘆きに、広島のかつての級友たちや親族の死が重なる。
ジミーとリンダは、深い悲しみを、一つ屋根の下で共有することになる。
ジミーは創作活動の合間に、ふとリンダに声をかける。
「きれいな日差しだな。撮影したらどうだい?」
リンダは、自らもひとりの参加者として、ジミーと共有する「いま」を記録し始めることになる。



ジミーはおそるべき記憶の持ち主だ。
リンダはジミーの過去をインターネットを通じて、検索し資料を取り寄せ、検証していくことになる。
まったく知らなかった日系強制収容所の歴史を、学んでいくことになる。
たまたまミリキタニという特異な名前(日本名は三力谷)のため、検索で親戚の詩人や姉がアメリカで健在であることをつきとめる。
そして、たしかに、ジミーはツールレーク収容所に収監されており、市民権も放棄されていること、しかし遅ればせながらも1988年レーガン大統領の時代に署名された「市民の自由法」で、戦時の日系に対する収監は差別に基づいたものであり、剥奪あるいは放棄された市民権を回復するとの法令が出されていることも、つきとめることになる。
アメリカではソーシャルセキュリティナンバーがなければ、すべての(市民としての)権利を受託することはできない。
ジミーは、市民権を放棄した(させられた)時から、もうアメリカの国家になにも頼れないし、頼らない生き方を貫き通してきた。その結果が、ホームレス・アーチストであった。
けれど、ジミーは、アーチストであることを一瞬たりとも止めなかった。いっさいの施しは受けない。絵を買ってもらうこと以外に、施しのお金は受け取らなかったと証言されている。
ホームレスであることも、「一時しのぎだ」と答える矜持も保ち続けていた。



リンダの努力で、本来受けるべき権利としての年金や住処も獲得された。
そして、ジミーの誕生パーティーには、リンダの家族や探し当てたジミーの縁者や映画制作や個展や福祉事務所を通じて知り合った人々が、新しいコミュニティの輪が出来たかのように、集まるようになった。
そこから、カンパを得て、ジミーは60年ぶりにツールレークの収容所ツアーに参加し、「お兄ちゃん、猫の絵を描いてよ」と慕われたあの少年を鎮魂することになる。
そして、映画は完成し、ロバート・デ・ニーロがNYでの映画祭として設立したトライベッカ映画祭で観客賞を受賞し、瞬く間に世界中の映画祭でドキュメンタリー作品賞などを受賞することになった。
そして、3歳から18歳までを過ごした広島に実に62年ぶりに帰国し「原爆の日平和祈念式」に参加することになるのである。



オレンジ色のベレー帽に、真っ赤なジャケット。
「ミリキタニの猫」のキャンペーン用であろうが猫がシルクされたTシャツを着込んで、猫のピンバッジをつけている。
きづかうように付き添うリンダとともに、いままで絵を通じて回想していた情景を、日本の風景の中で、確認の旅をすることになる。
原爆ドーム、宮島の厳島神社、広島のおいしい牡蠣料理、そして柿。
ジミーは、ずっと喜怒哀楽を押さえてきた。アメリカという国を愛し、憎悪しながら、アーチィストとして生きる自分の矜持だけを持ち続けていた。
けれども、もう、過去を解き放してもいい。感情を出してもいい。
平和祈念式の会場で、死んでしまったクラスメートたちや恩師に「♪仰げば尊しわが師の恩」と捧げる。
目にいっぱいの涙を浮かべて。
誕生パーティーで「男は泣かず」を朗誦する。
日本での映画の発表初日では、「Make Art No War」とVサインを掲げて笑みを浮かべる。



ジミーとリンダはおじいちゃんと孫娘ぐらいの年齢の開きがある。
ふたりとも、アーチストとしての気概は共通している。
けれども、リンダはこの奇妙な老人に、敬意をはらっている。
土足で踏み込むような真似をせず、とてもいい距離を保っている。
そして、ジミーもリンダの帰宅が遅くなると心配でおろおろし、昔の日本のおじいちゃんのように小言を言う。
血は繋がっていないが、家族のような親愛に満ちており、そこから新しいコミュニティが拡がっている。
僕たちは、ジミーにもリンダにも、この世界がどのようにぎすぎすしたり不信と絶望と孤独に覆われたとしても、なお残る「人間力」のようなものを素直にこころよく感じ取ることになる。



日系人強制収容所は、真珠湾攻撃のあと、日本軍のアメリカ本土侵攻に怯えるアメリカが黄色人種差別の観念も相俟って作り出した歴史の恥の遺物のひとつである。
1942年2月19日、「軍が必要がある場合、強制的に外国人を隔離すること」を、黄色人種差別主義者であることを明言もしていたルーズベルトが承認したのである。
アメリカの市民権を持つ日本人そして日系移民のほとんどが強制連行され、戦後もしばらくは拘留状態にあった。
世界的彫刻家であるイサム・ノグチ、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川・メリー喜多川、チャップリンの秘書を長くつとめた高野虎一、「スタートレック」などで活躍した俳優のジョージ・タケイ、収容所などの記録を撮り続けた写真家宮武東洋など、多くの日系市民が「敵性市民」と見做されて、収容されたのである。
「ミリキタリの猫」は、奇跡のような出会いから生まれたドキュメンタリーではあるが、アーチストというものの持つ意味を深く考えさせる作品である。
ジミーは街を歩く。NYのそこかしこに絵が展示されていたり、売られていたりする。
ジミーは「あれは商業アートだ!」と吐いて捨てるように呟く。
そう呟くだけの重さがジミーの作品にはあるし、この何十年も執念のように描き続けてきた時間に篭められている。
ジミー・ツトム・ミリキタニはまさしく「Great Master Artist」なのである。







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5 コメント

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Unknown (ひろちゃん)
2009-01-21 21:52:36
kimionさん、こんばんは^^
TBありがとうございました!
ドキュメンタリーはあまり観ないのですが
お友達に誘われて、実は渋々行ったのですが(笑)
飽きることなく、最後まで鑑賞できました^^
後味も良い作品でした♪

kimionさんに拾われて、CHIBAちゃん幸せですね(^^♪
ところで、なぜCHIBAちゃんなんですか?
死神の精度とは関係ないですよね(笑)
ひろちゃん (kimion20002000)
2009-01-22 01:06:15
こんにちは。

>ところで、なぜCHIBAちゃんなんですか?

文中にもありますように、保護したのが千葉市役所前でしたから、「CHIBAちゃん」です。
ただ、それだけ(笑)
なるほど^^ (ひろちゃん)
2009-01-22 14:27:55
お答えありがとうございました!
千葉市役所って書いてありましたよね(ーー;)
見逃してしまいました(T^T)
TBありがとうございました。 (sakurai)
2009-07-09 08:10:22
2年前、当地で2年に一回行われるドキュメンタリー映画祭で特別上映されたのですが、時間の都合で見れず、悔しい思いをしておりました。
今回、上映するための会の努力もあって、見ることができて、とっても良かったです。
ミリキタニ氏、猫に似てますね。
周りにこびず、孤高に生きてるけど、どこか寂しげ。
理解してくれる人とは、情を通じる・・・そんなことも思わせますね。
上映のときにプロデューサーの方がいらして、近況を教えてくれたのですが、89歳の今も元気で、絵を描いてらっしゃるそうです。
こういう人生もあるんだなあと、妙を堪能しました。

一つ気になったのですが、収用所とあらわすのは、なにか特別なんでしょうか。収容所だと思ってたもんで。
sakuraiさん (kimion20002000)
2009-07-09 13:16:48
こんにちは。

>89歳の今も元気で、絵を描いてらっしゃるそうです。

それは嬉しい話ですね。

>収用所とあらわすのは、なにか特別なんでしょうか。

ああそれは、単純な誤字ですね。修正しておきます。
収用だと、土地の強制収用とか、そちらの意味合いになりますからね。
ご指摘、ありがとうございます。

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