↓ロシアがクソコラグランプリに参加した模様。「イスラム国は女性達にジハードのための正しいボルシチの作り方を教える」
近代現代日本の革命家の特徴は「自分が信じていない主張でも、他者へのマウンティングのためなら大声で叫ぶ」という所ですよ。それは戦前戦中戦後で変わりません。
そういえば日本人ってさ、猿真似ジャップとか言われても、他国のものを魔改造した挙げ句とんでもないハイクオリティに仕立てあげるのが強みだったとおもうんだけど。「紫陽花革命」だの「I'm NOT ABE」だの、なんでこうあの界隈は劣化コピーだらけなんだろう。
マニアがいないからだと思う。ファッション反権力はいても、反権力ヲタがいないからだと思う。 QT @Ikki_Crystal: そういえば日本人ってさ、猿真似ジャップとか言われても、他国のものを魔改造した挙げ句とんでもないハイクオリティに仕立てあげるのが強みだったとおもうんだけど。
魔改造にのめり込むのは、その対象物が好きで好きで堪らないからなのであって、「嫌いで嫌いでたまらないもの」「忌避したいもの」にのめり込めないのは当然であり、それ故に、「海外でうまくいったのを俺達も真似しようぜ!」の類が、劣化コピーにはなりこそすれ、独自進化に向かわないんだと思う。
人間、嫌いなものに自分のリソースをいつまでも割き続けられるもんじゃないと思う。
まして、「徒労」だと入り口の時点で気付いていて、途中で確信しちゃうようなものに、自分のリソースという最も高価なものを注ぎ込み続けられるもんじゃないじゃないかと思う。
「好きなもの」については同好の志もいるし、マニアはマニアで相互に「神!」と高め合うし評価もしあう。
でも、「嫌いなもの」についてうまくやる人がいたとして、のめり込めない人はそれを高めたり評価したりするかというと、まあしないんじゃないかと。
そして、「妬んだりする」んじゃないかと。
世の「運動」の多くは【反対運動】であるのであって、腹立たしい、思い通りにならない、嫌いなものに時間を割かなければならないわけで、相手にするのも「嫌いな奴」なわけだから、そりゃまあ、マニアが生まれない育たないのも道理かなあと思ってる。
また、「好きでのめり込むもの」は、自分さえ納得できればそれでいい。
けど、「嫌いで、他人にどうにかさせたいもの」は、自分の中だけで納得っていうことで決着できないから、必ず他人の意志を自分がねじ曲げる、ってことをしなきゃならない。
自分の中で満足が作り出せる「好きなものへの傾倒」と、自分の思い通りにならない他人の内心をねじ曲げる「嫌いなものへの傾倒」では、そりゃまあ、達成の可能性も充足感も段違いなのであって、反対運動マニアは生まれにくいんだと思う。
BS放送でも触れたが、後藤氏の声明で、何故、首都のラッカ時間でなく、イラクのモスル時間なのか?時差が一時間ある。また、パイロット名の発音が、シリア方言ではないことを考えると、後藤氏はイラク人と共に、イラク側にいる可能性も。リシャーウィ死刑囚もイラク人故にISILも解放に拘るのか?
死刑囚を釈放するのだから「パイロットの生存確認が先だ」というヨルダン政府の姿勢は間違っていない。期限を指定されてバタバタする日本の態度は敵に付け入られる。 “@nhk_news: 期限過ぎる「後藤さん解放へ努力続ける」 nhk.jp/N4HY6K9J
ISISって世界中からメンバー集めてるんでしょ?そのメンバーがある日突然「人質」にステータス変更って可能性は各国考えてあるのかなあ?
実際、あの界隈なんか(どこ?笑)の理想は「自分達の主義主張、自分達が主導権を握ることが出来る世界にしたい」その為には「出来る事ならガラガラポンをしたい」その発露が妙にテロリストの心情に妙に理解して同情するところに現れている。
「どんな命も等しく重い」
「死んでいい人間なんていない」
なんて言葉でその発露を誤魔化しはするけど、
早い話が「自分の理屈を理解出来ない者は全員敵。それに同調する者は全員死ね」って日頃平然と言っちゃってるじゃん。
「俺が確実に生き延びるために他人を排斥していい社会」を認めると、「確実に生き延びる【俺】という枠」に誰が入るのか?で確実に揉めることになる。生存可能な実数も少なくなる。排斥される側は大人しく排斥を受け容れるわけではないから、「生き残り枠奪い合い戦争」は激化し、全体の生存性は下がる
それでも、急進的に「排除したものを消滅させることを是とする」という社会には向かってないので、我々の社会は「より多数の生存を可能にする」という方向に向かっている。
これによって母数(人口)は増えるから、勢力は強くなる。経済圏、技術、その他が優位になる。
で、そういう「大勢を生かすために工夫する社会」である我々と、「まず俺さえ生きれば他の奴は死んでもいい社会」を選んだイスイス団が対立している。
イスイス団は、彼らのやり方を我々に強いている。
我々のやり方と彼らのやり方は共存できない。
だから、イスイス団とそれ以外の社会は、排他的な選択をしなければならない。
どちらかが生き残り、どちらかは死に絶える。もしくは考えを捨てる。
ただ、「考えを捨てて戻ってくる」という段階には、もうないんだろうな、と。
例えば今、「元イスイス団でした」「外国人人質の首をバンバン掻いてました」という青年が、はにかみながら眼の前に現れたとして、そんな彼と恋をしたり家族になったり子供つくったり社会に溶け込んだりできるだろうか?
「自分と折り合えない他人のために、自分の人生を諦められる人」だけが、イスイス団に道を譲りなさい。
っていうところに話を落ち着けざるを得ないとは思ってる。
星で考えると、現在厄介なのは天王星・冥王星スクエアという矛盾をはらんだ厳しい「革命」という配置になっていて、それらに踊らされている人が多い、という事になる。
天王星とは現状に満足せず、改善点を求め、ネットワークを駆使して革新を目指す。革命家や政治家なら大概これが強くなっている。