またまた、高校時代の話になる。
記憶の中ではとりたてて何が、と言うこともないのだが、
一番輝いていた時代だったせいだろうか、不思議な思いがする。
東京近在に住んでいたり、嫁いでいる高校時代の仲間たちと、
一年に一度の集まりを始めたのは、母校が春の選抜高校野球の代表に選ばれた年だった。
某スポーツ新聞の名刺広告勧誘を受けた何人かが、浜松町の飲み屋に集まったのが始まりだった。
何度かの集まりがあり、震災の後だったかに参加し始めたのが、萩原(旧姓田住)だった。
いわゆる秀才タイプの女性だったし、当時の私たちの常(?)で、
女生徒との会話を潔しとしない奇妙な風潮のせいもあって、
殆ど会話らしい会話はなかったのだけれど、
やはり時間の経過は嬉しいことで、同郷、同窓というだけで会話は弾んだ。
新婚まもなくリュウマチを患い、学校教師の職も辞した後に始めたパステル画の話が最初の自己紹介だった。
そんな不自由な手を使って描かれた絵の話は聞いてはいたけれど、
今日、その遺作展を参観して、今まで見てきたどんな大画よりも、有名な絵画作品よりも正直感動した。
「世に言う身体障害者でも、自分のやりたいことはやらないとね。私は、病気と仲良くお付き合いしようと思っているから、自分に出来るのは絵だと思って描き始めたんだけど、それでまた広がった人の輪は大事なものよ」
その時の笑顔が、自画像とだぶった。
わけ隔てなく献身的な世話好きだった彼女が遺したものは、
今日参観した折に出会った、同じ病と仲良くお付き合いしているのだと仰ったご婦人にも通じていた。
「私も、萩原さんからは一杯元気を頂けましたよ。人のお世話を親身になってなさっていましたから、亡くなってからも、きっとこうしていろんな方を結びつけてくださるのでしょう」
けれど私は、献身的で世話好きだった彼女よりも、
議論好きだった彼女との果てしない議論が出来なくなってしまったことが心残りだ。
「なかたにくんは、病気したことないから心配よ。一つや二つは、仲良く付き合える病気を持っているほうが人にも優しくできるんだから……」
その議論はまだ終わっていないけれど、
その議論を続ける相手はいなくなってしまってそろそろ一年になる。
あちこちで、懐かしいホトトギスがまだまだ元気だけど。
OCNブログ人 2005-11-12 01:34:35
それまでは 急性虫垂炎の手術をしたぐらいで
病気らしい病気はしたことはなかったのですが
もともと 喘息の体質が家系にあったらしく
息子を妊娠し カゼをこじらせ 気管支炎から
気管支喘息へと すすんでしまいました。
なかなかスッキリと完治してくれない病気なので
失望感でいっぱいになったときもありましたが
いつの間にか 病気と仲良く付き合うことで
カゼに気をつけたり 疲れすぎないように心がけたり
「一病息災」と考えることができるようになりました。
どんな病気も人それぞれに症状が違い
とらえかたも 治療法も違うので
病気になった人にしかわかりえないものもあります。
健康な人よりも 病気の経験がある人の方が
健康であるしあわせを実感できるものではないかと
思ったりもします。
明石公園でも 鉢植えですが
ホトトギスが まだ元気に咲いていました♪
萩原朔太郎が「月に吠える」で、確か、恐水病患者の事でコップ一杯の水が怖いちゅう事他人に理解したかてらうには「水が怖い」となんぼ言ったかて伝わらないのや、「詩」ちゅうもんが時にはそれ伝えることが可能ならしめるのやといていましたんですが、病気ぃ持てんか人は持ておらへん人に比べて「その気持ち」推し量れるのちゃいますかと思うん。其れ「優しさ」ちゅうならば、同窓の彼女の言葉ぁ正しかいもしれまへんな。
・・・・てなこと どら猫はほざいてまっせ~・・・
病気持っているから人に優しい気持ちになれる、単純にはそうは言えないのでしょうね。けど、少なくとも私のように何不自由なくのんべんだらりと暮らしていられる人間よりは、格段に優しい気持ちを持っていらっしゃる。まぁ、中には「私は病気持ってるんだから、親切にされるのは当然だ」的な方もいらっしゃるようですけど、そこまで行くと、病気云々ではなく、その方の持っている本来の性格の反映が、「人に優しい」に繋がるのでしょうね。
いずれにしても、私には負けん気が強くて、議論好きの同窓が一人居なくなったということです。
萩原朔太郎が「月に吠える」の序で書いていた恐水病者の話は、時々このブログに登場している「明石・林」時代の幼馴染との会話にも出て来ていましたから覚えています。
人は一人一人では、いつも永久に恐ろしい孤独だし、その本質的な所を他者は理解しがたいし、他者に理解させがたい。けれども、詩は言葉以上の言葉で、それを以って言葉で説明することの出来ないものまでも説明するのだと。私は、詩歌も絵画も、その本質的な部分の理解は出来ないですが、言葉での説明には限りがあると言う点だけは理解できるかな、と思っています。
朔太郎が、彼自身の『陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。』と、その序を結んだ詩集がここに登場するのも、何か因縁めいたものを感じてしまいました。
☆ひろ♪さん、「一病息災」の意味を私はまだまだ理解できていません。それ以上に、「何で風邪くらいで休むんやぁ~」なんて平気で口にしたり…。体質的に風邪を引きやすい人たちにしてみれば、あの微熱の憂鬱や咳き込んだ時の苦しさを伝えようとしても、聞く耳持たない人間相手には、余計にイライラしてしまうのでしょうね。
最近では、歳相応に体力の衰えも感じたりして、普通の人間らしくも相手を思い遣る部分も出て来たように(自分だけかも知れませんが)感じています。
いずれにしても、病気は、その人にしか理解し得ないもの、周りがあれこれ手出ししたり思い煩ったりすればするほどに、その人を苦しめている場合もあるのだ、そんな思いを持つようになりました。『あんたが元気してられるんはな、親からの授かりもの、周りの人あってのもの。大事にせんといかんでぇ~。』、そんな言葉を最近貰いました。