川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

堀江和夫医師の「お詫び」

2010-12-11 06:19:39 | 父・家族・自分
 左肺摘出手術から5年を迎えて先日駄文を書き、昔の記事「なぜ、患者をくるしめるのか」を紹介しました。

 ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/9811d12a9ba9ef348f67d61b2bf73c62

 その際、僕は「励まさないで、痛めつけているのは前川和彦関東中央病院長とその一団だけです。医者だけが患者を深く傷つけて知らん振りをしているのです。」と書いているのですが、今回改めて当時やりとりした文書類に眼を通してみてその感を深くしました。

 公立学校共済組合関東中央病院の下請けの医師として僕のレントゲン写真を読影してアヒルの卵大にまでなっていた癌を見落としたのは堀江和夫という医師です。これだけのものを「見落とす」ということは到底あり得ず、「見なかった」のに「正常範囲」と報告したとしか考えられません。

 その堀江和夫医師の「お詫び」なる文書が出てきたので紹介します。

 レポート用紙一枚に書かれています。


             お詫び

  鈴木啓介様


 この度は医者としてあってはならない大きな過ちを犯したことに対し、深くお詫び申し上げます。

 日常的には、胸部間接写真に異常があれば、報告書に記録し、かつ前回との比較を指示しております。

 今回の異常発見後、前回の写真を見せられて、眼を疑いました。50年に余る読影歴を無にする大汚点で、残念至極に存じます。前回の報告書が何故正しく伝達されなかったのかは今からでは調べようもありませんが、今後このような事態をさける為には、読影者を複数にするしかないと思います。

 ただ唯一の救いは、名手の御力で治療の成功を見たことで、今後体力の恢復を測り、余生を十二分楽しまれるよう切に願ってやみません。

   2006,1,13    

             東京都板橋区徳丸●-●ー●(電話番号)徳丸診療所

                  堀江和夫 印


 堀江医師がやったことはこの「詫び状」(レポート用紙を「状」というのかな)を人に託し、2006年6月20日ただ一回設定された話し合いの場で遠くの席で頭を下げただけです。

 この「お詫び」を読者はどう思われるでしょうか。ぼくには自分の犯した重大な過誤を思い知る力がこの方にはないとしか考えられません。

 「前回の報告書が何故正しく伝達されなかったのかは今からでは調べようもありません」などと責任を他者に転嫁して平然としています。

 「余生を十二分楽しまれるよう切に願ってやみません。」 よくも言えるものです。

 あきれ果てて、たった一回の機会に「オレだったら医師免許を返上するよ」という僕の友人の医師の言葉を伝えたのですが「50年に余る読影歴」を誇る「先生」には「蛙の面にションベン」だったのでしょうか。この5年、何の音沙汰もありません。

 ちなみに僕からの手紙を無視して弁護士丸投げの関東中央病院の前川院長さんは立派なご挨拶をなさっているようです。

 ●http://www.kanto-ctr-hsp.com/midorinohiroba/201001.html

「変化をもたらす真の原動力は市民の活力、国民の声だと思います。論理的な思考過程を備えて、健全な市民感覚を発揮し、自らの健康と豊かな老後を求める市民の力こそが変革をもたらすものです。よりよい医療への変革を求めて少しずつでも前進するためには、皆様のご理解とご協力が是非とも必要です。」




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