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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

祈りで変えられる

2015-06-07 16:10:20 | 礼拝説教
2015/6/7礼拝説教
【テーマ】  祈りの真髄
【説教題】 「祈りで変えられる」
【聖書箇所】 マタイ6:5-13
  6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
6:9 だから、こう祈りなさい。
  『天にいます私たちの父よ。
  御名があがめられますように。
6:10 御国が来ますように。
  みこころが天で行われるように地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。
  私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

○ 私たちはなぜ祈るのでしょうか? また、どのように祈るのでしょうか? イエス様は祈りをどのように教えられたか見ていきたいと思います。

Ⅰ.偽善者のようであってはならない
A.宗教と祈り
1.ある学者はこう言っています。「祈りの無い宗教は無いだろう。むしろ、祈りが有るか無いかが、宗教の世界を芸術や学問や道徳の世界から区別するものであるといって差し支えないかもしれない」と。
2.宗教を信じない人でも「困ったときの神頼み」のようにして祈ったことはあるのではないかと思われます。であれば、クリスチャンというのはまことに祈りの達人なのです。

B.見せびらかす祈り
1.そこで、イエス様はどのような祈りの指導をなさったでしょうか? 祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。 と言われたのですが、偽善者はどのように祈るのでしょうか? 彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。 前回の「施し」と一緒で「見せびらかす祈り」みたいです。
2. 彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。 と、言われたように、偽善者の祈りは神に聞いていただくことよりも、「私はこんなにも祈っている」ということを人々に見せたいわけですから、人に見せることで報いは受け取っているわけです。

Ⅱ.奥まった部屋に入りなさい
A.隠れたところにおられる神に祈る
1.次にイエス様は正しい祈りを教えてくださいました。 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。 これを聞いて、自分の奥まった部屋の無い人が押し入れに入って祈っておられます。もちろん、押し入れでなくて良いのですが・・
2. 自分の奥まった部屋 というのは、偽善者の祈りから考えると、祈りは人に見せびらかすものではない、人を意識するのではなく、心を神様に向けることだと思われます。 隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。 と、神様って隠れたところにおられるようです。

B.神様と二人っきり
1.私たちの宝のあるところに心があるのですから、私たちの宝がイエス様であれば、私たちの心にはイエス様がおられるのであって、それだけで私たちは大満足です。
2.しかし、恋人達はただ二人でいる事だけではなく、互いのことをもっと知りたくて、多く話をするのです。私たちはイエス様に完全に知られていますが、私たちはイエス様のことを完全に知っている人はいません。ですから、もっともっとお話しするのです。
3.そういう話は知識を得るためというよりも、その方自身を知るためです。イエス様ご自身の人格に触れるのが祈りなのです。そして、イエス様という人格に触れることでさらにそのイエス様に似ていくのです。

Ⅲ.ただ繰り返してはいけない
A.言葉少なくてよいのか?
1. また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。 と言われました。今度は「異邦人の祈り」ですね。異邦人はどんな風に祈るのでしょう。当時、イエス様の回りの異邦人は偶像の神々に多くの事を語っていたようです。だから、 彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。 と、言われました。同じ事をくどくど繰り返し、何度も言えば聞いてもらえると思ったのでしょう。
2.では、言葉少なくてよいのでしょうか? 神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。 というわけですから、祈らなくても知っておられるなら祈らなくてよいかというとそういうわけではないのです。

B.私たちが変えられる
1.祈りの本質は神様との人格的な交わりです。自分の思いを知っていただくためだけでなく、神様との交わりの中で心温められ、力与えられ、自分が聖く変えられていくことです。
2.異邦人が身近な偶像がなかなか願いを聞いてくれないので、言葉数多く祈るのですが、それは神様が近い存在ではないからです。私たちの神様は私たちの家族、友のように近い存在であり、一緒にいることで私たちが変えられるのです。
3.そこで、イエス様は 天にいます私たちの父よ で始まる「主の祈り」を教えてくださったのです。


★ 私たちは人を意識することなく、深く神様と交わることで、神様の性質をいただいて、聖い人へと変わっていくことが出来るのです。


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