2015/3/29礼拝説教
【テーマ】 十字架
【説教題】 「私を思い出してください」
【聖書箇所】 ルカ23:32-43
23:32 ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。
23:33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
23:35 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」
23:36 兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、
23:37 「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。
23:38 「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。
23:39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
○ 今週は受難週です。金曜日が受難日、イエス様が十字架にかかられたことを記念する日です。ということは来週はイースターです。
Ⅰ.あざけられるイエス様
A.民衆のあざ笑い
1. 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 とイエス様は十字架の上で祈られました。この祈りを何人の人が聞いたのでしょうか? そんな尊い祈りをあざ笑うかのように多くの人々は見ていたのです。
2. 「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」 とバカにしていたのです。もし、十字架から降りるということで人々が救われるなら、イエス様は全能の神ですから十字架から降りることは簡単でした。しかし、十字架から降りたら人類に救いは無くなったのです。
B.兵士のあざけり
1.イエス様を十字架にかけた兵士達にとって 「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。 という札は面白かったでしょう。自分たちの手でユダヤの王をやっつけたのですから。
2. 23:37 「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。 とありますが、「ユダヤ人を救いに来たのなら、まず自分を救え」と。いとも簡単に十字架にかけられる王なんてバカだというわけです。
3.兵士達はイエス様が十字架にかかられたのが自分たちのためであることも知らないであざけりました。でも、百人隊長はそういう中で心開いた人です。
C.犯罪人の悪口
1.イエス様の横に二人の犯罪人がはりつけにされました。 そのうちの一人は民衆や兵士達と一緒になっていつまでもののしります。 「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」 というこの言葉には人生最後の悪あがきが見えます。もし、イエス様がメシヤならここから助けることができるはずだと、挑発しているのです。
2.自分の罪を悔い改めることもしないで、救われようと企む姿ではないでしょうか。人はなかなか自分を悪いと認めないのです。死を目前にしても悔い改めや人々への感謝が無いとしたらさみしい人生だと思います。
Ⅱ.イエス様を信じる犯罪人
A.自分の罪を認めた犯罪人
1.ところが、もう片方の犯罪人は変わりました。 23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。 と、たしなめています。彼は自分の罪を認めたのです。彼は罪の結果は裁き、死だということを受け入れています。この状態から何とか逃れようとかせず、自分を真摯に見つめ罪を認めました。
2.人は自分の罪を認めることから救いの道が開けてくるものです。自分の罪を隠し続け、罪の上塗りする人が多い中、彼は罪を認めました。
B.イエス様を信じた犯罪人
1.さらに彼は 23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」 23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」 と、イエス様の無罪性をも認め、さらにはイエス様が御国の位につくお方、メシヤだと信じています。
2.私を思い出してください なんとへりくだった言葉でしょう。地獄に行ってもイエス様に思い出していただけるならそれで幸せだというのです。まだ、イエス様が神様だとまでは分からなかったかも知れません。でも、そんなことは問題ではありません。イエス様に心を開いて、イエス様を受け入れるかどうか、そこのところが一番大事なところです。
Ⅲ.天国を約束された犯罪人
A.パラダイスにいます
1.このイエス様に心を開いた犯罪人に 23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 と、パラダイス、天国を約束されたのです。それも「きょう」です。いずれではないのです。
2.彼は洗礼も聖霊のバプテスマも受けていません。悔い改めにふさわしい活動をすることさえ、教会の礼拝にさえ集っていません。その彼を救われたイエス様は、本当に心を見ておられるということです。
B.あなたにも約束されている
1.もし、私たちがゴルゴダの丘の上に立たされたり、この犯罪人のようにイエス様の横にはりつけになったとしたら、私たちは何と言うでしょうか?
2.心を見られるイエス様は、今あなたが何かできているとか、していないとかそういうことで判断されるのでなく、イエス様を愛しているかどうかを見ておられますので、イエス様を信じることで天国を約束してくださるのです。
★ あなたも 「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 と言っていただけていますか?
【テーマ】 十字架
【説教題】 「私を思い出してください」
【聖書箇所】 ルカ23:32-43
23:32 ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。
23:33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
23:35 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」
23:36 兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、
23:37 「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。
23:38 「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。
23:39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
○ 今週は受難週です。金曜日が受難日、イエス様が十字架にかかられたことを記念する日です。ということは来週はイースターです。
Ⅰ.あざけられるイエス様
A.民衆のあざ笑い
1. 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 とイエス様は十字架の上で祈られました。この祈りを何人の人が聞いたのでしょうか? そんな尊い祈りをあざ笑うかのように多くの人々は見ていたのです。
2. 「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」 とバカにしていたのです。もし、十字架から降りるということで人々が救われるなら、イエス様は全能の神ですから十字架から降りることは簡単でした。しかし、十字架から降りたら人類に救いは無くなったのです。
B.兵士のあざけり
1.イエス様を十字架にかけた兵士達にとって 「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。 という札は面白かったでしょう。自分たちの手でユダヤの王をやっつけたのですから。
2. 23:37 「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。 とありますが、「ユダヤ人を救いに来たのなら、まず自分を救え」と。いとも簡単に十字架にかけられる王なんてバカだというわけです。
3.兵士達はイエス様が十字架にかかられたのが自分たちのためであることも知らないであざけりました。でも、百人隊長はそういう中で心開いた人です。
C.犯罪人の悪口
1.イエス様の横に二人の犯罪人がはりつけにされました。 そのうちの一人は民衆や兵士達と一緒になっていつまでもののしります。 「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」 というこの言葉には人生最後の悪あがきが見えます。もし、イエス様がメシヤならここから助けることができるはずだと、挑発しているのです。
2.自分の罪を悔い改めることもしないで、救われようと企む姿ではないでしょうか。人はなかなか自分を悪いと認めないのです。死を目前にしても悔い改めや人々への感謝が無いとしたらさみしい人生だと思います。
Ⅱ.イエス様を信じる犯罪人
A.自分の罪を認めた犯罪人
1.ところが、もう片方の犯罪人は変わりました。 23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。 と、たしなめています。彼は自分の罪を認めたのです。彼は罪の結果は裁き、死だということを受け入れています。この状態から何とか逃れようとかせず、自分を真摯に見つめ罪を認めました。
2.人は自分の罪を認めることから救いの道が開けてくるものです。自分の罪を隠し続け、罪の上塗りする人が多い中、彼は罪を認めました。
B.イエス様を信じた犯罪人
1.さらに彼は 23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」 23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」 と、イエス様の無罪性をも認め、さらにはイエス様が御国の位につくお方、メシヤだと信じています。
2.私を思い出してください なんとへりくだった言葉でしょう。地獄に行ってもイエス様に思い出していただけるならそれで幸せだというのです。まだ、イエス様が神様だとまでは分からなかったかも知れません。でも、そんなことは問題ではありません。イエス様に心を開いて、イエス様を受け入れるかどうか、そこのところが一番大事なところです。
Ⅲ.天国を約束された犯罪人
A.パラダイスにいます
1.このイエス様に心を開いた犯罪人に 23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 と、パラダイス、天国を約束されたのです。それも「きょう」です。いずれではないのです。
2.彼は洗礼も聖霊のバプテスマも受けていません。悔い改めにふさわしい活動をすることさえ、教会の礼拝にさえ集っていません。その彼を救われたイエス様は、本当に心を見ておられるということです。
B.あなたにも約束されている
1.もし、私たちがゴルゴダの丘の上に立たされたり、この犯罪人のようにイエス様の横にはりつけになったとしたら、私たちは何と言うでしょうか?
2.心を見られるイエス様は、今あなたが何かできているとか、していないとかそういうことで判断されるのでなく、イエス様を愛しているかどうかを見ておられますので、イエス様を信じることで天国を約束してくださるのです。
★ あなたも 「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 と言っていただけていますか?