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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

悪霊を追い出すイエス

2018-02-25 17:16:32 | 礼拝説教
2018/2/25礼拝説教
【テーマ】  権威者イエス
【説教題】 「悪霊を追い出すイエス」
【聖書箇所】 マルコ1:21-28
【新改訳2017】
1:21 それから、一行はカペナウムに入った。イエスはさっそく、安息日に会堂に入って教えられた。
1:22 人々はその教えに驚いた。イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。
1:23 ちょうどそのとき、汚れた霊につかれた人がその会堂にいて、こう叫んだ。
1:24 「ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」
1:25 イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。
1:26 すると、汚れた霊はその人を引きつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
1:27 人々はみな驚いて、互いに論じ合った。「これは何だ。権威ある新しい教えだ。この方が汚れた霊にお命じになると、彼らは従うのだ。」
1:28 こうして、イエスの評判はすぐに、ガリラヤ周辺の全域、いたるところに広まった。

○ 前回の続きではあるのですが、もう一度21節から読むことにしました。イエス様が会堂で教えておられた時に今日の話は起こったのです。悪霊という言葉が出てきますので、何かしら恐ろしいと感じる方もおられるかも知れません。必要以上に恐れる必要は無いことをお伝えしたいと思います。

Ⅰ.汚れた霊は働いている
A.汚れた霊とは何か?
1.聖書の中に悪しき霊としていくつかの呼び名で出てきますが、基本的に「悪霊」です。悪霊は元々は神に仕えていた天使らしいのですが、何があったかその天使長と共に神に逆らい、悪霊と化しました。その天使長は悪魔、サタンと呼ばれます。
2.悪魔は悪霊のトップで悪霊どもの働きを指揮する親分で、自らが人にとりつくというのは考えにくく、人にとりつくのは悪霊です。

B.悪霊のすること
1.悪霊は神に愛されている人々を困らせるのです。時に肉体に働き病気をもたらし、精神に働き辛い思いを起こさせたりします。かといって全ての病、精神病、障害というものが悪霊の仕業と捉えないでください。悪霊がそうした悪い事をしてくる可能性があると覚えていただきたいのです。
2.悪霊はクリスチャンには入れませんが、外から悪さを仕掛けることはできます。そして、 Ⅰテモテ4:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。 のように、信仰を惑わしたり、教会をかき乱すこともするようです。

Ⅱ.汚れた霊を追い出す権威
A.悪霊の困惑
1.今日のテキストには 汚れた霊につかれた人がその会堂にいて とあり、神聖と言われる会堂にも入り込んでいます。しかも、そこに来ている人に入り込んでいるのです。しかし、イエス様はこの人から悪霊を追い出されました。
2.そのとき悪霊の言った言葉は 1:24 「ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」 であり、この地上を支配してきたのに、悪霊にとっては今までにない大変なことが起こったのです。

B.悪霊の負け
1.悪霊と対等に話をしてはならないといわれますが、ここでイエス様は悪霊と話をしたというより、命じておられます。 1:25 イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。 です。 黙れ です。悪霊に勝手に語らせてはならないのです。
2.イエス様の言葉に悪霊はどうなったでしょうか 1:26 すると、汚れた霊はその人を引きつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。 悪あがきをしますが、その人から出て行きました。その人を支配していたのに、そこから出て行かねばならなかったのです。イエス様に完敗です。

Ⅲ.私たちもイエスの権威に服する
A.人々にわかるイエスの権威
1.すると 1:27 人々はみな驚いて、互いに論じ合った。「これは何だ。権威ある新しい教えだ。この方が汚れた霊にお命じになると、彼らは従うのだ。」 と一目瞭然、人々にもそのことはわかったのです。今までそういう悪霊につかれた人がいても、ユダヤの指導者達には何もできなかったのです。ところが、人々はイエス様に今までに見たことの無い権威を見出したのです。
2.この権威こそ「神の国」の到来を示すものです。神の国が近づいたのはこの地上を支配している悪魔の働きがイエス様によって打ち砕かれるからです。

B.イエス様に従う私たち
1.悪霊はイエス様の言葉に従います。しかし、人間はなかなかイエス様の言葉に従いません。悪霊はイエス様から嫌な目に遭わせられるのですが、私たちはイエス様に従う時、祝福をいただくのです。
2.今年、「相互牧会」という大事なことに挑戦するのですが、それはまず私たちがイエス様の権威の元に服し、イエス様に従順であることが基本です。その上で、互いに交わりを深め、互いのために祈り、支え合い、励まし合うのです。

★ イエス様には悪霊をも追い出す権威があります。 ルカ11:20 しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。 と、イエス様のおられるここに神の国は来ています。神の国での礼拝をしていきましょう。


時が満ち、神の国が近づいた

2018-02-11 17:57:42 | 礼拝説教
2018/2/11礼拝説教
【テーマ】  イエスの宣教開始
【説教題】 「時が満ち、神の国が近づいた」
【聖書箇所】 マルコ1:14-22
【新改訳2017】
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
1:16 イエスはガリラヤ湖のほとりを通り、シモンとシモンの兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
1:17 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
1:18 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
1:19 また少し先に行き、ゼベダイの子ヤコブと、その兄弟ヨハネをご覧になった。彼らは舟の中で網を繕っていた。
1:20 イエスはすぐに彼らをお呼びになった。すると彼らは、父ゼベダイを雇い人たちとともに舟に残して、イエスの後について行った。
1:21 それから、一行はカペナウムに入った。イエスはさっそく、安息日に会堂に入って教えられた。
1:22 人々はその教えに驚いた。イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。

○ イエス様の誕生のことはクリスマスで大変有名ですが、その後イエス様が30歳ぐらいで活動を開始されるまでいったい何をなさっていたのか? まったく話がありません。どんな青年時代を過ごされたのでしょうねえ。

Ⅰ.イエスの宣教が始まる
A.時が満ちた
1.ヨハネが捕らえられたという危ない中で、イエス様は宣教を開始されました。その時に言われた言葉が 1:15 「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」 でした。
2.赤ちゃんが生まれる時、「月が満ちて」と言われます。それまでその子の声を聞くこともなかったのに、生まれた途端、泣き声や笑い声が聞こえるのです。また、コップに水を注いでいる時も、しばらくは何ともないのですが、満ちた途端、一気に溢れるのです。そのように今まで何も無かったような状態から一気にイエス様の凄まじい活動が始まったのです。

B.神の国が近づいた
1.どのような時が満ちたのかというと 神の国が近づいた ということです。イエス様の宣教と神の国は一つです。イエス様のおられるところが神の国です。しかも、イエス様はそのご自身に託せられた仕事を果たすべく、活動を開始されたのです。
2. 悔い改めて福音を信じなさい と、間違った方向から正しい方向に向きを変えて、福音の中に生きることを決意しなさいというのです。

Ⅱ.イエスの弟子集めが始まる
A.人間をとる漁師
1.イエス様は宣教のために弟子をお集めになりました。ガリラヤ湖で漁師をしていたシモンとアンデレを呼ばれ、有名な 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」 と言われました。
2.彼らは魚を捕ることに関してはプロでしたが、福音宣教に関しては全くのド素人です。しかし、イエス様に着いていけば人間をとる漁師にしていただけるのです。私たちもイエス様に着いていけばいいのです。

B.イエスに従った
1.イエス様のこの言葉に 彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った のです。この言葉だけではいとも簡単に二人は弟子になったように読めますが、実際はどうだったのでしょう。
2.網を捨てるというのは仕事を辞めて収入も無くなるということであり、家族を捨ててイエス様に着いていくことになるのです。簡単なはずはありません。催眠術でもかけられて意識の無いまま着いていったのではないのです。彼らは自分の意志で着いていくのです。

Ⅲ.イエスの言葉には権威があった
A.大工からラビに
1.こうして集められた幾人かの弟子達とイエス様はカペナウムに行かれ、会堂で話し始められました。明らかにラビという人ならわかるのですが、少し前まで大工の息子として働いていたイエスが、ガリラヤ湖畔で語り始めてから、弟子ができ、いつしか人々にラビと認められ、会堂で話すまでになっているのです。
2. 1:22 人々はその教えに驚いた。イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。 と、ありますが、人々がイエス様に着いていくようになったのは、イエス様の持つ権威がパリサイ人やサドカイ人とは違ったのです。

B.人々は神の言葉に惹きつけられる
1.パリサイ人達は確かに立派なことは言ったみたいです。しかし、イエス様は彼らと違って権威があったというのは当然でしょう。イエス様は神であり、語ることすべて神の言葉だからです。
2.人々がイエス様を神とは信じていなくても、神の言葉には惹きつけられるのです。イエス様がただ立派なことを言っただけでは無いのです。権威があったので、惹きつけられたのです。真の権威は単なる上からの圧力ではありません。心にジーンと染み込んできて、従う決心がつくものです。ですから、弟子達も従ったのです。

★ イエス様の宣教は権威に満ちていました。パリサイ人達のような上から目線の圧力的な権威ではなく、愛に満ちた権威でしたから人々は惹きつけられました。私たちもこのイエス様の弟子として聖霊に満たされて福音を伝えたいものです。


何としても伝えたい福音

2018-02-04 17:34:42 | 礼拝説教
2018/2/4礼拝説教
【テーマ】  イエスという福音
【説教題】 「何としても伝えたい福音」
【聖書箇所】 マルコ1:1-13
【新改訳2017】
1:1 神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書にこのように書かれている。「見よ。わたしは、わたしの使いをあなたの前に遣わす。彼はあなたの道を備える。
1:3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現れ、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。
1:5 ユダヤ地方の全域とエルサレムの住民はみな、ヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
1:6 ヨハネはらくだの毛の衣を着て、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1:7 ヨハネはこう宣べ伝えた。「私よりも力のある方が私の後に来られます。私には、かがんでその方の履き物のひもを解く資格もありません。
1:8 私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります。」
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレからやって来て、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。
1:10 イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。
1:11 すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」
1:12 それからすぐに、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの試みを受けられた。イエスは野の獣とともにおられ、御使いたちが仕えていた。

○ イエス様の生涯を書くことによって神の福音を伝えようとした最初の福音書がマルコの福音書です。つまり、マルコは何としても神の福音を伝えたくて書いたのであって、この書は単なるイエス様の伝記でもなく、歴史書でもありません。神の福音という点に着目してご一緒にこの福音書を見ていきましょう。

Ⅰ.マルコの福音書とは
A.マルコとその福音書
1.マルコは「使徒の働き」の中に数回登場し、ヨハネとも呼ばれています。母の名はマリヤで彼らの家はエルサレムの裕福な家でした。クリスチャンとなった彼らは、自分の家を集会のため用いていたので、マルコは早くから福音に触れていました。
2.「慰めの人」で知られるバルナバとマルコはいとこで、パウロの伝道旅行にも同行したことがあります。さらにペテロの通訳者として働いていましたので、ペテロからイエス・キリストの事は直に聞いていた人と言えます。そこで、ペテロの語ったことを書き残す必要に迫られ、AD50年頃にこの福音書が書かれました。

B.ローマ人のために書かれた
1.このマルコの福音書を見ていくに当たって、今日のテキストには大きく三つのことが記されています。第一はヨハネのこと、第二はそのヨハネからイエス様がバプテスマを受けたこと、第三はバプテスマ後、サタンの誘惑を受けられたことです。
2.マルコの福音書の最初はヨハネであって、イエスの系図も誕生も書かれていません。イエス様の教えよりも奇跡などの占める割合が多いのもこの福音書の特徴です。それは力ある人間を好んだローマ人のために、最も力ある方はイエスだと伝えたかったからでしょう。

Ⅱ.バプテスマを受けるイエス
A.バプテスマのヨハネ
1.最初に登場するヨハネは、荒野で生活した修行僧のような感じの人で 1:6 ヨハネはらくだの毛の衣を着て、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。 とあり、彼の言葉には威厳がありました。人々は彼こそメシヤではないかと思い、彼の言葉を聞いて悔い改めてバプテスマを受けました。
2.しかし、ヨハネは常にへりくだってイエスがメシヤであることを伝えようとしています。イスラエルには長い期間、預言者が現れませんでしたが、遂にこのヨハネという預言者が現れたのです。彼は自分の後に来られるイエス様のために道備えをした聖書に忠実な人でした。


B.イエス様の受洗
1.このヨハネからイエス様もバプテスマを受けられます。神の子は罪が無いのですからバプテスマを受けなくてよいのです。しかし、イエス様は全ての人の身代わりになるために来られたので、人のすべき事を受け入れられたのです。
2.ただイエス様のバプテスマが他の誰とも違ったのは イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」 というところです。色々な人がバプテスマを受けていますが、誰一人このようなことはありませんでした。

Ⅲ.サタンの誘惑を受けるイエス
A.サタンに打ち勝ったイエス
1.イエス様はバプテスマの後、すぐ荒野に行き、40日の断食をされ、父なる神からご自分の使命を確認されたのでしょう。イエスの活動が始まっては困るサタンはイエス・キリストを誘惑します。
2.しかし、その誘惑にイエス様は御言葉をもって勝利しました。アダムとエバはサタンの誘惑に対して自分の考えで語り、その罠にはまり込んでしまいました。サタンに打ち勝つのはイエス様だけなのです。

B.今もサタンに打ち勝つイエス
1.この科学の現代にあって、サタンだとか悪霊だとか信じない人が多いです。しかし、この世にはびこる諸悪、死、病、などの原因はサタンであり、そのサタンの誘惑にそそのかされて神の言葉を無にした人間の罪です。
2.いくら科学が進み、医療が進んでも、サタンに人間は打ち勝てません。誰も死を克服できません。それができるのがイエス様で、マルコはそのことを確信したのです。マルコはこの大事な福音を書き記し誰でもわかるようにしてくれたのです。

★ マルコが何としても伝えたいイエスは私たちも伝えたいイエス・キリストです。イエス・キリストはあなたを救う神です。
  あなたもマルコのようにイエス様の言葉や活動を見聞きして、書き残すほどの感動を覚えませんか。