2015/2/22礼拝説教
【テーマ】 神の救いの計画
【説教題】 「救われて欲しい」
【聖書箇所】 ローマ9:1-5
9:1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
9:2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
9:3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
9:4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
9:5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
○ ローマ人への手紙の後半に入ります。9章~11章の主題は「イスラエル」です。
Ⅰ.同胞の救いを思う
A.祈りは愛
1.木曜日の祈祷会では毎週互いの家族のために祈っています。出席者の祈りの課題にも毎週、家族や親族のことが出てきます。私たちはどうして家族のために祈るのでしょう。私は「祈りは何か?」と聞かれたら、「祈りは愛」と答えます。
2.私たちは神様に似せて創られたため愛の基を持っているのですが、愛は成長・発達し、また、聖霊によって自分に無い愛を天からいただくのです。この愛は知らない人に対してよりも身近な人に対して働くようになっています。
3.ですから、私たちは家族や親族、同胞のために祈りやすいのです。祈ると愛が湧いてきます。祈ってあげないと私たちの中に愛は生まれません。
B.大きな悲しみ
1.パウロも同胞ユダヤ人を愛していました。そればパウロがユダヤ人の救いと祝福のために祈っていたからです。そのパウロが 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。 と言っています。つまり、同胞ユダヤ人がなかなかイエス様を信じない、キリスト者を迫害しているという実体に悲しく、心に痛みを覚えているのです。
2.果たして私たちは家族や同胞(日本人)が救われていないことに悲しみを感じているでしょうか? 心に痛みを感じているでしょうか?
C.呪われてもよい
1.パウロは 9:3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。 と言っていますが、これは同胞が救われるためなら自分は地獄に行ってもよいということです。つまり、自分の天国行きの保障を同胞の地獄行きと交換して良いというのです。
2.もちろん、これはそれほど強い気持ちだということを表しているだけです。誰も地獄に行ってはなりません。また、身代わりはイエス様の十字架で完結していますので、他の人が身代わりになるということも有り得ません。私たちが家族のために身代わりに地獄に行くということもないのです。ただ、それほどの気持ちは私たちも持ちたいものです。
Ⅱ.イスラエル人
A.神が分からなくなっていった
1.パウロがイスラエル人のためにここまで言うのは確かに同胞だからということもありますが、4-5節にあるように「イスラエルは選ばれた民であるという理由も挙げられます。
2.創世記のはじめの方に書かれているように、世界各地に人類は広がっていきましたが、人々は神から離れ、神がどのようなお方か知らない人達がどんどん増えていきました。しかし、神を求める心が人間にはありますから、勝手に偶像を造り、偶像礼拝に走る様になっていったのです。
3.そこで、神様は一つの民族をつくり、その民族を通して、神がどのようなお方なのか、人と神の関係、人間の生き方、あり方、真の幸福というものを教えることになさったのです。
B.イスラエル人が造られた
1.そのためにアブラハムが選ばれました。アブラハムは幼い頃より信仰心が篤く、神の声を聞ける人でした。そこで、神様はアブラハムを偶像の町からカナンの地に移し、そこで真の神に従い生きることの素晴らしさを教えることになさったのです。
2.そのアブラハムの息子イサク、そのイサクの双子の息子エサウとヤコブ。そのヤコブを神様は後にイスラエルという名前に変え、彼からイスラエル人を造られました。そして、国名としても「イスラエル」が使われるようになりました。
3.イスラエル(ヤコブ)の子ども達からイスラエルの12部族が生まれます。ところが、ヨセフをエジプトに売ったことでイスラエル人は後にエジプトの奴隷となるのです。イスラエルはカナンの地から離れ、エジプトの奴隷になってしまい、神に助けを求めるのでした。
C.信仰の浮き沈み
1.イスラエル人はモーセによって奴隷から解放され、荒野で神の律法をいただき、訓練されてヨシュアの時代に、カナンの地に戻ったのです。神の力で敵を打ち破り、落ち着いたかに見えましたが、士師記に見るようにイスラエルの堕落がありました。
2.その後、ダビデ、ソロモンの時代にイスラエル王国と神殿礼拝が確立したのですが、またしてもどんどん信仰は衰え、イスラエルの歴代の王が偶像礼拝をします。イスラエル人は捕囚の民となってしまいました。
3.その捕囚中でもダニエル達のように信仰深い人達がいたので、イスラエルは回復していくのです。神殿の再建が認められ、イスラエル王国が復活したかに思えましたが、多くのイスラエル人の不信仰で国は復活しないのです。しかし、預言者は必ずイスラエルの復活があると言います。
Ⅲ.クリスチャンの使命
A.霊的イスラエル
1.クリスチャンは霊的イスラエルと呼ばれることがあります。どうしてでしょうか? イスラエル人は神様から特別に選ばれて、神様のこと、神様と人間との正しい関係について、世界中の人々に伝えていかねばならなかったのに、正しい信仰生活をしなくなっていったのです。
2.力強いイスラエルの王を待ち望む民衆の前に遂に現れたのがイエス・キリストです。イエス様はイスラエル人から誕生されたのです。救いの計画はイスラエル人を通して実行されている証拠です。しかし、イエス様を信じないイスラエル人の指導者達によって十字架にかけられました。
3.ところが、この十字架はむしろ人類の救いの道となりました。そこで、イエス様を救い主と信じるクリスチャンによって、かつてイスラエル人を通して人々に教えようとされていたことを、イエス様を信じる全ての人(クリスチャン)に託されたのです。
B.全人類の救いのために
1.イスラエル人は自分たちだけが選ばれ、救われると考えましたが、そうではなく、神様は全ての人の救いを願い、そのためにイスラエル人を計画されたのです。
2.イエス様の十字架はイスラエル人のためだけではありません。イエス様はイスラエル人と少しの異邦人の前に現れただけでしたが、イスラエル人がイエス様(神の言葉)に従わないので、信じ、従う異邦人を用いられたのです。つまりクリスチャンは霊的イスラエルなのです。
3.私たちはパウロが言うように人々の救い、特に同胞の救いを熱く願っているでしょうか。
★ あなたは誰かの「救われて欲しい!」という熱い願いと祈りによって救われたのです。そのあなたが今度は「救われて欲しい」と願い、祈る人があるのではないでしょうか。家族、親族、友人、同胞は救われていますか?
【テーマ】 神の救いの計画
【説教題】 「救われて欲しい」
【聖書箇所】 ローマ9:1-5
9:1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
9:2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
9:3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
9:4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
9:5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
○ ローマ人への手紙の後半に入ります。9章~11章の主題は「イスラエル」です。
Ⅰ.同胞の救いを思う
A.祈りは愛
1.木曜日の祈祷会では毎週互いの家族のために祈っています。出席者の祈りの課題にも毎週、家族や親族のことが出てきます。私たちはどうして家族のために祈るのでしょう。私は「祈りは何か?」と聞かれたら、「祈りは愛」と答えます。
2.私たちは神様に似せて創られたため愛の基を持っているのですが、愛は成長・発達し、また、聖霊によって自分に無い愛を天からいただくのです。この愛は知らない人に対してよりも身近な人に対して働くようになっています。
3.ですから、私たちは家族や親族、同胞のために祈りやすいのです。祈ると愛が湧いてきます。祈ってあげないと私たちの中に愛は生まれません。
B.大きな悲しみ
1.パウロも同胞ユダヤ人を愛していました。そればパウロがユダヤ人の救いと祝福のために祈っていたからです。そのパウロが 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。 と言っています。つまり、同胞ユダヤ人がなかなかイエス様を信じない、キリスト者を迫害しているという実体に悲しく、心に痛みを覚えているのです。
2.果たして私たちは家族や同胞(日本人)が救われていないことに悲しみを感じているでしょうか? 心に痛みを感じているでしょうか?
C.呪われてもよい
1.パウロは 9:3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。 と言っていますが、これは同胞が救われるためなら自分は地獄に行ってもよいということです。つまり、自分の天国行きの保障を同胞の地獄行きと交換して良いというのです。
2.もちろん、これはそれほど強い気持ちだということを表しているだけです。誰も地獄に行ってはなりません。また、身代わりはイエス様の十字架で完結していますので、他の人が身代わりになるということも有り得ません。私たちが家族のために身代わりに地獄に行くということもないのです。ただ、それほどの気持ちは私たちも持ちたいものです。
Ⅱ.イスラエル人
A.神が分からなくなっていった
1.パウロがイスラエル人のためにここまで言うのは確かに同胞だからということもありますが、4-5節にあるように「イスラエルは選ばれた民であるという理由も挙げられます。
2.創世記のはじめの方に書かれているように、世界各地に人類は広がっていきましたが、人々は神から離れ、神がどのようなお方か知らない人達がどんどん増えていきました。しかし、神を求める心が人間にはありますから、勝手に偶像を造り、偶像礼拝に走る様になっていったのです。
3.そこで、神様は一つの民族をつくり、その民族を通して、神がどのようなお方なのか、人と神の関係、人間の生き方、あり方、真の幸福というものを教えることになさったのです。
B.イスラエル人が造られた
1.そのためにアブラハムが選ばれました。アブラハムは幼い頃より信仰心が篤く、神の声を聞ける人でした。そこで、神様はアブラハムを偶像の町からカナンの地に移し、そこで真の神に従い生きることの素晴らしさを教えることになさったのです。
2.そのアブラハムの息子イサク、そのイサクの双子の息子エサウとヤコブ。そのヤコブを神様は後にイスラエルという名前に変え、彼からイスラエル人を造られました。そして、国名としても「イスラエル」が使われるようになりました。
3.イスラエル(ヤコブ)の子ども達からイスラエルの12部族が生まれます。ところが、ヨセフをエジプトに売ったことでイスラエル人は後にエジプトの奴隷となるのです。イスラエルはカナンの地から離れ、エジプトの奴隷になってしまい、神に助けを求めるのでした。
C.信仰の浮き沈み
1.イスラエル人はモーセによって奴隷から解放され、荒野で神の律法をいただき、訓練されてヨシュアの時代に、カナンの地に戻ったのです。神の力で敵を打ち破り、落ち着いたかに見えましたが、士師記に見るようにイスラエルの堕落がありました。
2.その後、ダビデ、ソロモンの時代にイスラエル王国と神殿礼拝が確立したのですが、またしてもどんどん信仰は衰え、イスラエルの歴代の王が偶像礼拝をします。イスラエル人は捕囚の民となってしまいました。
3.その捕囚中でもダニエル達のように信仰深い人達がいたので、イスラエルは回復していくのです。神殿の再建が認められ、イスラエル王国が復活したかに思えましたが、多くのイスラエル人の不信仰で国は復活しないのです。しかし、預言者は必ずイスラエルの復活があると言います。
Ⅲ.クリスチャンの使命
A.霊的イスラエル
1.クリスチャンは霊的イスラエルと呼ばれることがあります。どうしてでしょうか? イスラエル人は神様から特別に選ばれて、神様のこと、神様と人間との正しい関係について、世界中の人々に伝えていかねばならなかったのに、正しい信仰生活をしなくなっていったのです。
2.力強いイスラエルの王を待ち望む民衆の前に遂に現れたのがイエス・キリストです。イエス様はイスラエル人から誕生されたのです。救いの計画はイスラエル人を通して実行されている証拠です。しかし、イエス様を信じないイスラエル人の指導者達によって十字架にかけられました。
3.ところが、この十字架はむしろ人類の救いの道となりました。そこで、イエス様を救い主と信じるクリスチャンによって、かつてイスラエル人を通して人々に教えようとされていたことを、イエス様を信じる全ての人(クリスチャン)に託されたのです。
B.全人類の救いのために
1.イスラエル人は自分たちだけが選ばれ、救われると考えましたが、そうではなく、神様は全ての人の救いを願い、そのためにイスラエル人を計画されたのです。
2.イエス様の十字架はイスラエル人のためだけではありません。イエス様はイスラエル人と少しの異邦人の前に現れただけでしたが、イスラエル人がイエス様(神の言葉)に従わないので、信じ、従う異邦人を用いられたのです。つまりクリスチャンは霊的イスラエルなのです。
3.私たちはパウロが言うように人々の救い、特に同胞の救いを熱く願っているでしょうか。
★ あなたは誰かの「救われて欲しい!」という熱い願いと祈りによって救われたのです。そのあなたが今度は「救われて欲しい」と願い、祈る人があるのではないでしょうか。家族、親族、友人、同胞は救われていますか?