バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

バベルの塔 言葉が通じなくなった

2013-07-07 06:20:51 | インポート

  2013/7/7ウエルカムサンデー礼拝説教

【説教題】  「言葉が通じなくなった」
【聖書箇所】 創世記11:1-9
  11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。
11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。
11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。

○ 私は英語ができません。世界が一つの言語だったらどんなにいいだろうかと思います。そんな言語が一つの時代が、昔この世界にはあったらしいです。

Ⅰ.名を上げようという思い
  A.良き時代だったのか?Photo_2
    1.11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。 とあるのですから、良き時代ですね。でも本当に良き時代だったのでしょうか?

   2.石の代わりにれんが、粘土の代わりに瀝青(アスファルト、コールタール)を用いて建築方法も格段に発達したみたいです。つまり、文化・文明が進んできたのです。
    3.歴史を学びますと、どんどん便利な時代が訪れ、人々は幸せになってきたかのような錯覚を起こしますが、現代世界で一番幸せな国と言われるブータンは近代文化とはほど遠い状態です。学校の遊具は木で作った鉄棒のようなものだけ。しかし、子どもたちは生き生きしているのです。
   
  B.現代も良き時代なのか?
    1.現代日本、先進国と言われる国々は、科学の時代、IT時代で、かつてできなかったことがどんどんできるようになりましたから、良き時代なのでしょう。
    2.不治の病と言われた癌もかなりの率で癒やされていく時代になりました。また、iPS細胞の発見によって無くなった臓器などが再生されるようにもなってきました。なんとすばらしい時代でしょうか。
    3.長寿社会は人々の願いだったのです。かなり実現に近づいています。しかし、お医者さんがあるおばあちゃんに「きちんとこの薬を飲まないと死ぬよ!」と何度言ってもきちんと飲まない。長寿よりも死を願うのでしょうか? ところがこのおばあちゃんに「きちんとこの薬を飲まないとぼけるよ!」と言ったらこのおばあちゃん、きちんと飲むようになったそうです。死よりも怖いのは「痴呆」なのかも知れません。
   
  C.神様より偉くなれる?
    1.創世記11章の時代、人々は何を幸せと思い、何を恐れたのでしょうか?  11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」 と、名を上げれば、神様から散らされないと思ったようです。つまり、神様に対抗しているのです。
    2.名を上げようとは神様よりも偉くなろうということなのでしょうか? そんなことができると本気で思ったのでしょうか? 正しく神を恐れていれば幸せな日々を送ることができたのです。人は神様より偉くなれるはずがないのです。

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Ⅱ.言葉が通じないと消える一致
  A.何を基準とした一致なのか?
    1.人々はどうやら同じ思いになって、当時の最高の建築技術を用いて町と高い塔を建て始めました。同じ思い、一致というのはすばらしいことですが、単に人間的な一致というのはどこかで何かを崩していくものです。なぜなら人間は完全では無いからです。
    2.現代も「一人一人を大切に!」と言いつつも、考えや性格等の違いを受け入れられず、村八分的なこと、いじめは相変わらず無くなりません。それは人間的な何かの基準を設けてしまっているからです。往々にしてその基準は「自分」なのです。
   
  B.大きいことがよいのか?
    1.スカイツリーが世界一高い塔であるということで日本人は優越感を感じます。世界一高いビルは今はドバイにあるブルジュ・ハリーファ168階建て636m(アンテナまで入れると828m)でしょうか? もっと高いのができているのでしょうか?
    2.人は高い塔などを好むのは、権威・権力・国力などの象徴のように感じるらしいのです。バベルの塔を建てた人々も 名をあげよう と言っています。
    3.企業も社員数、資本金、売上高、本社ビルの大きさ等々何でも大きいことが立派であるかのように思っています。教会もやたら人数を聞かれることがあります。
   
  C.一致を破壊する高慢
    1.こうした外側の一致、高い、偉いということは「高慢」という罪と非常に近い関係にあります。高慢無しに一致し、高くなれるのなら良いのかも知れませんが、なかなか難しいことです。Photo_4

    2.バベルの塔はまさにそういうことの象徴で、高慢になった人間の罪を神様は放置することができませんでした。神様は彼らの言葉を混乱させました。言葉が通じないのです。
    3.彼らはちりぢりばらばらになって各地に散っていきました。町の建設は中途で終わってしまいました。ここから世界各地に色々な言葉ができたと言われています。

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Ⅲ.最高のお方は神様だけ
  A.現代のバベルの塔
    1.現代は言葉の違いを超えて通じ合うようになりました。英語が中心なのかも知れませんが、インターネットの普及で世界の情報が瞬時に伝わるようにもなりました。
    2.このことは同時に現代のバベルの塔かも知れません。昔から世界平和は願われてきましたが、そこには独自の世界征服というもくろみもあったようです。バベルの塔を建てていた人たちと何ら変わらない「高慢」という罪を抱えているのではないでしょうか?
    3.そうだとすれば、神の警告を今日の聖書の箇所から感じとることが必要だと思います。高い塔を造ることが間違っているとは思いません。人間の高慢がバベルの塔です。
   
  B.本来の人間の幸せは・・
    1.バベルの塔を建てた人たちは一致した気持ちでこれをおこなったとすればすばらしいことです。一致というのは企業や学校、家庭においても大事な事です。
    2.ただ、人間的に一致しても幸せは掴めないということを聖書は教えているのです。人間の一致はどこか強いリーダーのもとで一致していきやすいのです。Photo_6
    3.聖書は一致の中心は人では無く、神様であること、イエス様であることを教えています。イエス様にあって一致するなら真の幸せをつかむわけです。
   

  C.神から与えられる一致
    1.夫婦になる時、その誓いは神に対してなされます。神を中心とした家庭を築くことを夫婦が共に決心するからこそ、神様が一致を与え、幸せな家庭ができるのです。
    2.世界の教会は言葉は違って、賛美も礼拝形式も違います。でも不思議な一致があるのは神様が中心だからです。決して牧師でも強い役員でも無いのです。神様が一致をくださいます。
    3.ペンテコステの日にすでにイエス様はおられませんでしたが、弟子たちは言葉の違う多くの人々と不思議な一致をもち、多くの人々がイエス様に立ち返りました。神様が彼らの心を一つにしたのです。

★ 本当の一致と幸福は神様を第一にすることで与えられるのです。


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