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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

低きに下る愛

2016-01-31 17:51:50 | 礼拝説教
2016/1/31礼拝説教
【テーマ】  教会の一致のために
【説教題】 「低きに下る愛」
【聖書箇所】 ローマ12:9-10
  12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

○ 先週、キリストのからだである教会を建て上げていくために神様は信徒みんなに賜物を与えておられる事を語りました。

Ⅰ.アガペーをいただこう!
A.賜物と愛のバランス
1.パウロは一連の賜物の話をした後、「愛」について語ります。そのことはコリント人への手紙第一でも同じように「愛」の重要性を語ります。Ⅰコリント12章では「賜物」のことを書き、その直後の13章では「愛」のことを書いています。またこのⅠコリント13章は「愛の章」とも言われる有名な章です。
2.賜物と愛は切り離せないのです。それは、賜物を与えるのは聖霊で、聖霊は愛だからです。しかし、私たちは神ではありませんので、賜物と愛をバランスよく使えるとは限りません。だから、聖書はこの大事なバランスを訴えているのです。

B.アガペーの愛
1.聖書でよく使われる「愛・アガペー」は、神様の愛とも言われます。アガペーの愛は何でも包み込んでしまう感情ではありません。私たちは「愛」を持っているのですが、「アガペー」はもともと持っていません。そのため、どうしても人間的な基準で愛してしまいがちです。
2.アガペーの愛は神様からいただく以外にありません。賜物は突然でも頂くことができますが、愛は時間をかけて熟成されるものです。「御霊の実」とも言われるように、時間をかけて実を結ぶものなのです。

C.人は愛されて愛を学ぶ
1.アガペーを持つためには神様と親しくすることです。人と親しくして愛するようになっても、悪さえ混じり込んでだ愛をもってしまいます。自己中心な愛等です。子どもを愛している親にありがちな「溺愛」もそうです。
2.アガペーを持ち得ない私たちはアガペーそのものである神様から学ぶのです。赤ちゃんは愛を親から学びます。愛されてをもつようになるということです。私たちは神様に愛されていますので、神様から愛を学んでいるのです。とは言え、見えない神様から学ぶので、聖書から神を知り、善に親しむのです。

Ⅱ.互いに尊敬し合おう!
A.兄弟愛
1.10節に出てくる「兄弟愛」、これはもちろんクリスチャン達のことを言っています。肉の兄弟では無く、霊の兄弟です。クリスチャンは互いに「兄弟・姉妹」と呼び合う習慣があります。
2.私は最初教会に行って「●●兄弟」「●●姉妹」と言っているのを聞いて不思議な気がしました。すごい数の家族だなあと。そして、自分も「藤井兄弟」と言われるようになり、なじむとなんら不思議な気がせず、友達を教会に呼ぶと今度はそれを聞いて友達が変な顔をしていました。
3.教会は兄弟愛を持つ人が集まって来るから教会には愛が満ちるのではなく、神様からの愛によって愛の人になっていくのです。

B.尊敬する
1.教会は神の家族だから、「兄弟・姉妹」と呼び合うのですが、それが呼びかけだけでは問題です。 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 と言われているように、 尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思 うのです。ここは、 思いなさい と命令形です。自分が尊敬されるから他の人をも尊敬するのではなく、真っ先に自分から人を尊敬するのです。
2.教会の中で目だった賜物を持つ人、牧師等々は尊敬されやすいです。しかし、賜物の目だたない人に尊敬の念を持つということです。
3.権力を好む人が教会を支配して後の人はおとなしくついていけば教会が成り立つというのではないのです。

Ⅲ.教会を愛で建て上げよう!
A.潤滑油としての愛
1.賜物は何のために与えられるのでしょうか? 聖霊が内住されるということは、その人たちに恵みに応じて賜物が与えられ、キリストの証人として力強くさせ、キリストの体を建て上げていくために与えられます。
2.様々な働きがあると同時に、それらの働きの潤滑油が必要です。どんなに良い歯車でもその間に潤滑油・グリスを入れないとガチガチでまともに動きません。私は自転車が好きで、かつては全部ばらして元どおりにすることができました。自転車屋になりたいとさえ思ったことがあります。その時、車輪をばらすと、ベアリングがあって、小さな鉄の玉があるのです。きれいに磨き上げたのですが、グリスを持っていなかったので、そのまま入れてみたのですが、なんとも走りにくいし、途中でガタガタいいだしました。もう一度ばらすとベアリングの鉄の玉が割れていたのです。今度は鉄の玉が1個無くなりましたが、グリスを入れて走ったところ、とてもスムーズに走るのです。
3.賜物だけでは教会はガタガタ、ギスギスすると思います。愛は潤滑油・グリスのようなところがあります。

B.偽りの無い愛
1. 愛には偽りがあってはなりません とは、偽善ではいけないということです。「偽り」という言葉は「仮面」を意味する言葉です。皆さんはミッキーマウスの中の人を見たことがありますか? くまモン、ふなっしー、等々。仮面では良い笑顔でも、中では怒っているかも・・・。
2.愛は心の底から笑顔を出させます。出産なさったお母さんは激痛の中で赤ちゃんを生みます。いわば、赤ちゃんはお母さんを痛めつけているのですが、生まれるとお母さんは心の底から嬉しくて笑顔で赤ちゃんを見ます。

C.聖霊によって可能になる兄弟愛
1.一人の人がイエス・キリストを信じるのも同じでイエス様は十字架の苦しみを味わっても、私たちを心底喜んでくださるのです。ここに最も低きに下った愛があります。
2.私たちの中に住まわれる聖霊はそういう愛のお方です。ですから、聖霊に満たされることで 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 が可能になるのです。

★ あなたもイエス様と共に低きに下って、兄弟姉妹を愛してください。


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