ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

池田正枝さんの訃報

2006年12月20日 17時41分22秒 | Weblog
 「電話が通じない」ということで、車を走らせ東生駒のアパートまで行った。4階に池田さんの自宅がある。一度部屋にあげていただいたことがあるが、西側の窓からは生駒山がまじかに見える。役の行者の修行の場が生駒山の歴史始祖となっている。渡来人である役の行者ーこの1点で、日本人は朝鮮からきたーという論者であった池田さんにはこの地がえらく気に入られていた。だから最後まで離れることはなかった。

 4階まであがると、池田さんの部屋にチャイムを何度鳴らしても応答はなかった。がらんとした室内の雰囲気に「引越しをされたのか」と瞬間思った。とにかく周辺の隣人に聞いてみたが、これが不在の部屋が多く、やっと在宅の方に出会い
尋ねた。

「池田さんはどうされていますか」

「なくなりました」

「えっ!」
 
 言葉を失った。近々お話を聞く予定だったことなどどうでもいい。次元が違う話に戸惑い、「え、え」と出るだけで次の言葉が出なかった。

 「1週間くらい前でしょうか。葬式も済まされ、親戚の方でしょうか、荷物を整理されていかれました」

 なんというあっさりしたことなのか。池田さんは誰にも迷惑をかけたくないーと常々言われており、病が重くても入院されようとしなかったのか。見舞いなどで迷惑をかけると思われたのか。

 わたしは11月末に新聞の切り抜きをいただいていた。そこには何もかかれていないので安心していた。安心というとうそである。いついもと変わりなく池田さんが資料を提供されるという思いであり、変化や心配をその郵便物からは感じることはなかった。

 それが12月に入り体調をこわされたのか、この1週間電話が「使われていません」という事態がおきてきた。知人は心配しだしたのだが、お一人で住む方だからそれに応じた連絡体制をとらねばならないだろう。全然共同性がない。なんの手をとることもなくきた。それが今回の事態に遭遇させた根本原因だ。

 「生者はいつも悔やむのは誠実にその相手に向き合うことができないからだ」。かってこのブログで書いたが、今回もその事実を繰り返してしまった。

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1 コメント

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言葉が・・・ (典虚)
2006-12-20 19:28:32
 何といっていいのか、言葉が出てきません。
 
 と同時に、一人暮らしの私・・・。いつ何があって
格好わるくない程度に、身辺を片付けておかなきゃと
思いました。

 池田さんの笑顔を思い浮かべています。
                合掌

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