帰国の日21日。大量のコピーを詰め込んだ鞄を押して(滑車が4コついているからもたずに押せる)、友人宅を出たのが朝の9時。12時20分初の日航便まで時間があるが、2時間前に仁川国際空港に到着しないといけない。懸命に滑車をガラガラと回して横断歩道を横切ろうとすると、なんとリムジンバスが。
日本なら停車などしてくれないが、韓国は実におおらか。わたしが手をあげるとドアを開いてくれた。「ラッキー」と思わず一人ごちた。
車内に入ると手荷物をブースにいれないといけない。途中で乗車したから空いているところがない。なんとか隙間を見付けて2コの荷物を詰め込もうとした瞬間、バスは急ブレーキをかけて、わたしは見事に料金投入口まで飛ばされた。
一体何事が起きたのか。
胸部を強打していた。その痛さはガードレールに自転車ごとぶつかり一回転して道路にたたきつけられた時以来の衝撃が走った。つまり何事がおきたのかわからないという茫然自失の状態という意味で。
ガードレール衝突の時は頭部を強打してオッデカイたんこぶができたが、今回は胸部である。もし心臓付近直撃なら大変なことになったかもしれない。料金箱である強化プラスチックにヒビが入ったのだから、これは相当の衝撃である。わたしの体重がそうさせたのでは断じてない。急ブレーキの衝撃でわたしの体重が何倍にもなりそうした事態がおきたのだ。
胸に手をやるわたしが乗客をみやると、驚いて目をむく人。座席から立ち上がり心配そうに様子を見つめる人など、一様に言えるのは、いま起きたことへの驚きが車内にあふれていたことだ。
「クエンチャナ」(大丈夫)と運転手はわたしの顔を見て、すぐバスから飛び降りて、バスの前を横切った乗用車を追いかけた。急ブレーキをかけねばならなくなった無謀な運転は諌めるしかない。左折して道路横のガソリンスタンドに入った乗用車の運転手にバスの運転手は何か小言を言っていたかと思うと、再び戻ってきて携帯電話のようなものをとり再びガソリンスタンドへ。乗用車のナンバーフレートを写した。
すばやい対応とバスの運転手の有能ぶりを賞賛するなかれ。わたしは胸部の痛みに顔がゆがみ、上腹部から胸部中央上部まで痛みが走った。また運転手が「クエンチャナ」ときたから「クエンチャナ」と答えるしかなかった。しかし彼はヒビが入った料金箱を盛んに見ているではないか。私は何なのか!
ほどなくしてバスは走り出した。何事もなかったように。何事もないのではない。強打したわたしは平常な顔を装っているが胸部が痛いのだ。これはわたしにしかわらない。肌着をみるノド空き部分から血痕が染み込んでいるではないか。どうも胸部中央下部がスチルの料金箱にあたり、これが徐々に上部へと移動してノド下あたりまで順次追突していったようだ。血痕は胸部上部のところに集中しているが、胸部下部から痛みが走るのは下部にまずあたって衝撃が上部が一番強かったと考えられる。
とにかく胸部中央部が痛い。バスが仁川国際空港に着いたが、最後に残った客がわたしなのだ。運転手とは話すためだ。「もし帰国後、骨でも折れていたなら治療費で相談しますから」と告げた。「ナップンノムヌン キサニム アニゴ」(悪いのはあなたではない)と、無謀な運転をした乗用車の運転手であることはお互い了解した。運転手はわたしのキズをみながら、「これは仕方がない」とい表情もみせた。しかし災難である。一寸先は闇である。
機上でトイレに入り傷口をみると赤くはれ、内出血もあるようだ。やれやれ。なさけない。
バスが止まってくれてありがたいと思って乗り込んで、この有様だ。好事魔多しとはこのことか。
帰宅後とりあえず病院に行った。「息をして痛いところはありますか」とお医者さんが聞くので、「別に」と答えると、「骨は関係ないですな。とりあえず痛みとめと化膿止の薬を出しましょう」ということで薬を出された。またもや、やれやれ。しかし事故にあうのは1つ1つの行為の積み重ねがある。偶然ではない。そう、そう。反省すべきこともわたしにもある。「十分に時間とって飛行場に行きなはれ」という声が聞こえてきそうだ。秋の足音が早い韓国でのキツイ一発を頂戴した。
日本なら停車などしてくれないが、韓国は実におおらか。わたしが手をあげるとドアを開いてくれた。「ラッキー」と思わず一人ごちた。
車内に入ると手荷物をブースにいれないといけない。途中で乗車したから空いているところがない。なんとか隙間を見付けて2コの荷物を詰め込もうとした瞬間、バスは急ブレーキをかけて、わたしは見事に料金投入口まで飛ばされた。
一体何事が起きたのか。
胸部を強打していた。その痛さはガードレールに自転車ごとぶつかり一回転して道路にたたきつけられた時以来の衝撃が走った。つまり何事がおきたのかわからないという茫然自失の状態という意味で。
ガードレール衝突の時は頭部を強打してオッデカイたんこぶができたが、今回は胸部である。もし心臓付近直撃なら大変なことになったかもしれない。料金箱である強化プラスチックにヒビが入ったのだから、これは相当の衝撃である。わたしの体重がそうさせたのでは断じてない。急ブレーキの衝撃でわたしの体重が何倍にもなりそうした事態がおきたのだ。
胸に手をやるわたしが乗客をみやると、驚いて目をむく人。座席から立ち上がり心配そうに様子を見つめる人など、一様に言えるのは、いま起きたことへの驚きが車内にあふれていたことだ。
「クエンチャナ」(大丈夫)と運転手はわたしの顔を見て、すぐバスから飛び降りて、バスの前を横切った乗用車を追いかけた。急ブレーキをかけねばならなくなった無謀な運転は諌めるしかない。左折して道路横のガソリンスタンドに入った乗用車の運転手にバスの運転手は何か小言を言っていたかと思うと、再び戻ってきて携帯電話のようなものをとり再びガソリンスタンドへ。乗用車のナンバーフレートを写した。
すばやい対応とバスの運転手の有能ぶりを賞賛するなかれ。わたしは胸部の痛みに顔がゆがみ、上腹部から胸部中央上部まで痛みが走った。また運転手が「クエンチャナ」ときたから「クエンチャナ」と答えるしかなかった。しかし彼はヒビが入った料金箱を盛んに見ているではないか。私は何なのか!
ほどなくしてバスは走り出した。何事もなかったように。何事もないのではない。強打したわたしは平常な顔を装っているが胸部が痛いのだ。これはわたしにしかわらない。肌着をみるノド空き部分から血痕が染み込んでいるではないか。どうも胸部中央下部がスチルの料金箱にあたり、これが徐々に上部へと移動してノド下あたりまで順次追突していったようだ。血痕は胸部上部のところに集中しているが、胸部下部から痛みが走るのは下部にまずあたって衝撃が上部が一番強かったと考えられる。
とにかく胸部中央部が痛い。バスが仁川国際空港に着いたが、最後に残った客がわたしなのだ。運転手とは話すためだ。「もし帰国後、骨でも折れていたなら治療費で相談しますから」と告げた。「ナップンノムヌン キサニム アニゴ」(悪いのはあなたではない)と、無謀な運転をした乗用車の運転手であることはお互い了解した。運転手はわたしのキズをみながら、「これは仕方がない」とい表情もみせた。しかし災難である。一寸先は闇である。
機上でトイレに入り傷口をみると赤くはれ、内出血もあるようだ。やれやれ。なさけない。
バスが止まってくれてありがたいと思って乗り込んで、この有様だ。好事魔多しとはこのことか。
帰宅後とりあえず病院に行った。「息をして痛いところはありますか」とお医者さんが聞くので、「別に」と答えると、「骨は関係ないですな。とりあえず痛みとめと化膿止の薬を出しましょう」ということで薬を出された。またもや、やれやれ。しかし事故にあうのは1つ1つの行為の積み重ねがある。偶然ではない。そう、そう。反省すべきこともわたしにもある。「十分に時間とって飛行場に行きなはれ」という声が聞こえてきそうだ。秋の足音が早い韓国でのキツイ一発を頂戴した。