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ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

ただならぬ事態ー歴史の歪曲

2007年03月31日 09時28分32秒 | Weblog

本当にここまできたかの思いだ。軍命の有無をめぐる裁判が大阪地裁でやられているが、疑義を呈した側は大きな目的を達したことになる。

1つに史実が確実にあるにもかかわらず、疑義を呈すると、その事実が揺らぐ。何もしらない人間は「どっちが本当か」となり、「評価がわかれているのでさわらんとこ」となる。その論理が今回の決定に反映している。

ホロコーストはなかったーという論がある。600万に及ぶユダヤ人、ロマ民族虐殺をしたナチスの犯罪はたしかなのに、そういう見解が出てくる。すると第3者は「評価がわかれるなあ」となり、どちらが本当やとなる。

ここに根本的な誤りがある。沖縄の集団自決もそうだが、その史実を探求しようとしないのかー、まともに受け止めないのか、真っ正面に向き合わないのかという評価を下す側の姿勢である。今回はまさしくその姿勢が出た。

削除の理由の1つに軍命の有無をめぐり裁判が行われているからーというのがあった。なさけない。こうして歴史が歪曲されていくのである。これはただならぬ事態である。
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ムリを強いられている

2007年03月30日 09時43分34秒 | Weblog
プライベートなことを記すと、かなりの生活状態を暴露してしまって、笑い事ではなくなるのだが、テレビがとうとう壊れてしまい、さて、「いいテレビを買おう」と量販店に行ったのだが、昔のテレビなど、ほとんどおいていない。

国策としてやられている地上波政策でテレビはそれに対応したテレビが我が物顔で並べられている。3軒目の店でやっと昔のテレビをみつけた。値段は2万円台ならなんとかなると思ったが、購入には躊躇している。

この2週間はテレビ画面の下の方が見えなくなりだすと、テレビを消して、しばらく休ませて、再開。その休息時間がどんどん長くなり、一晩おいても復活しなかった。とうとう、うんともすんとも言わなくなった。電源をいれずとも、チャンネルが電源代り、つまりスイッチになる。電気の世界はまか不思議。奥深いというより、電気がリモコンの至る所に流れているから、リモコンのチャンネル表示のところが電源スイッチになるのか。

なぜテレビ上部の画面が最後まで命を保つのかは、下部はウエイトが小さい。情報も映像下部には重要なものは配置されないのだろう。

テレビを買い換えるか否かだが、知人の出版社の社長はテレビをもっていない。だから見ない。見ないからといって世の中に置かれているわけではない。それでいいのだ。この機会にやめておくか。さてどうするか。

しかしなんであんなに大きな薄型テレビが必要なのか本当にわからない。日本の家は小さい。あわないのに。ムリしている。いやムリを強いられている。それも値段が高い。ここでもムリを強いられている。
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人間の行動が読める場合

2007年03月29日 09時33分29秒 | Weblog
私はすぐ次の行動がわかった。〈乗換駅の生駒ではきっとトイレに行かれる〉と。ほどなくすると生駒駅。予想通りトイレに入られた。

人間の行動は外から観察していると、次ぎの行動がわかることがある。それが今回のことだが、そのためには自分の関心が重要になってくる。実は私もトイレに行きたかったのだ。だからこそ前の紳士の行動を観察できたーというカラクリがある。

もし自分がトイレに行きたいという「物質的」要求がないと、前の紳士がトイレを一端断念してトイレに再度行くことなど、あとでもし尋ねられてもわからないことが多いだろう。ましてや心を読むなどは至難の技である。

ここで心まで支配するいまの社会を考えると、基礎には「個人の自由」が大前提になければならない。それを踏まえて外的規制―つまり肉体的行動を予想すべき規則を作り出すというのが現代社会であろう。だから支配する側は読めるのである。心的な基礎である「個人の自由」をベースにおいているから、つまり読みにくい心的自由をおさえているから外的規制により外的行動を予想することが比較的容易になるのである。

北朝鮮報道を考えると、北の政策、民衆の動向を報じると、日本の視聴者の反応は手に取るようにわかる。「個人の自由」がほとんどない社会に対しての拒絶感が北朝鮮観に直結する。だから北の報道をいくら流してもいい。個人の自由がない社会の拒絶感はあきることはない。

テロ対策でいくら規制しても海外渡航を制限しない限りその施策が支持を失うことがない。もし渡航制限を打ち出せば人々の反発は高まることは必至。この思考で日米、日韓、日中関係を解くと大きな発見が相次ぐだろう。
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亡くなられた俳優植木等さんの思い出

2007年03月28日 07時57分46秒 | Weblog
俳優の植木等さんが27日未明亡くなった。取材ということ会場に行ったのだが、植木さんの講演会(大阪)はそのことを忘れて聴き入ったたことがある。話術の妙というべきか。「ま」のとりかた、話のクライマックスのもっていき方など誠に感心した。芸能界でもまれるとあれだけの話術を身につけるのかとも思った。

 お父さん徹誠(てつじょう)さんは解放運動の指導者で三重県で有名な闘争を指導した。妻の実家に身を寄せていた時に差別の現実に出会い、朝熊闘争とういう闘争を指導するまでになる。その半生記は植木さんの聞き書きのようなかたちで朝日新聞の北島編集委員がまとめられ共著になっていると思う。もう20年くらい前に出た本だ。実によくまとまった本で、いま手に入るだろうか。たしか『夢を食いつづけた男』(朝日新聞社)というタイトルだと思う。

植木さんの話は自分の話ではなく親父さんを語るというテーマであった。真宗の僧侶で、その権威にとらわれない、偶像崇拝をしない姿が息子、植木さんから語られたのだが、畏敬の念が実によく現れた講演だったと記憶している。

深酒も飲まずに節制されていた方だからご長寿だと思っていた。しかし、青島幸男さんが昨年12月20日に亡くなられた時、その葬儀に参列された植木さんの姿があった。テレビに映ったその姿は、呼吸を補助するカテーテルのようなものを身に付けておられた。それが肺気腫からくる療法とは思っていなかった。体調を崩しておられることは読み取れた。それからまもなくして入院されたようだ。

「わかっているけどやめられない」とは、バカげたことだとわかっているがやめられない人間の性をうたった名言だ。「わかっているけど、浮気の虫はやまない」「わかっているけど深酒をしてしまう」など。

「わかっているけどやめられない」の次ぎは「バカはしななきゃ治らない」となり、そして「ハイ、それまでよ」と。「スーダラ-節」などの豪快な笑い声は高度経済成長期だからサラリーマンの励ましとして響いたに違いない。

 それと28歳で亡くなった弟が植木等さんが好きで、映画をよく見たし、「シャボン玉ホリデー」ほ日曜日午後6時、10チャンエンルの定番番組であった。よく2人で腹をかあけて笑った。そういう思い出を残してくれた人だ。の40年以上も前の話だ。


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言論の公共性、公益性とは何jか

2007年03月27日 00時06分48秒 | Weblog
韓国の言論改革市民連帯(言論連帯)の動向を伝えるニュースで言論の公共性と公益性の追求をさらに深める論議を深めたーとあった。

言論労働者の側が公共性と公益性を追求するというのは「どういう意味をもつのか。その成果が2005年1月に可決した「新聞法」なのだが、日本では考えられないことだ。運動の側が国家に充実した政策を進めよという言はあまりとらない。

古典的な言論の自由の観点に立つのが日本で、言論の自由は「無冠の帝王」という言葉で象徴されることからもわかる。「社会的責任主義」に対して「古典的自由主義」だと説明されるのだが、言論の思想的展開・発展はまず権威主義的言論観から展開、次いで自由主義言論観、そして社会的責任主義をベースにする段階に及ぶというのが歴史的趨勢とされるが、社会的責任をどうみるかの議論で日本はメデイア規制にすぐ直結するのはなぜか。それは民主主義の課題にどうしたスタンス、態勢をとるかの視点が弱いからではないか。

民主主義は何人も基本的人権を有し、幸福を追求し相互に尊重しあう社会の実現を目指すことにあり、新聞の言論の自由もその役割を担うことに例外ではない。「少数の所有者と幹部によって多数の国民の福利が犠牲になることは真の自由ではない」と韓国のメディア紙で論じた国会議員がいたが、自由主義であろうと、社会主義であろうとあてはまる普遍的な定義だろ。
そこから公共性と公益性を考えれば「多数の国民の福利」がキーワードになるだろう。それがメディア規制には結びつくものではない。言論の横暴を正すのも公共性、公益性であろう。

言論連帯のホームページのニュースによれば、金ソンス政策委員(全北大教授)は「私有化と開放化時代を生きて行く私たちに情報と文化の共有化の理念を深めることは戦略的にも重要」との趣旨の提案を行ったという。公共性と公益性をさらに追求するもので、金教授が言う「私有化」とは個人中心主義を意味すると解釈され、「開放化」とはグローバルリズムの波を意味するとみていい。その中で公共性、公益性の確立を運動の側から目指すところに韓国の言論改革運動の神髄がある。政府や国家権力により押しつけではなく、それらに迫る主体が言論改革運動を担うのだ。ここのところでの迫り方が日本では不足しているのではないか。
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本の紹介 高文謙『周恩来秘録』上・下

2007年03月26日 09時12分30秒 | Weblog
 周と毛沢東の実像をこの書により知らされる。というより毛は『毛沢東の私生活』などでその猜疑心あふれる権力者の姿を知ったのだが、周の姿はこのノンフィクションで描かれることで知る事が多い。だいたい周についてはナンバー2でいることで政治的生命を長らえるこtができた人であり、日中共同声明での日本国民へのメッセージで高い評価をえた中国の政治家では最も日本では評価―人徳、識見ともーの高い人なのだが、今回の本で知ることも多いし、驚くことも多々ある。

 毛の猜疑心は周の鮮やかな政治的手腕すらボルテージがあがるのだからしかないが、周は生き延びるために毛の前で平身低頭していく。高の本では文化革命時には同士たちを見捨てる決定をし、革命前には転向幹部の一家全員を処刑にさせる冷徹さもあったと説く。

圧巻は膀胱がんにかかった周に病名を伝えず追い落としをはかる毛の姿だ。周は臨終の間際でも毛を讃える歌を口ずさむというのだからすごいというか、その権力関係は何なのかとも思う。

中国共産党の中央文献研究室で機密文書を読める立場にいた著者がアメリカに亡命した。そして膨大な資料とインタビューで本書を編んだ。本の紹介したの野村進はフィクションでないことで驚愕している。著者高は「皇帝型権力専制主義」が中国の本質という。超大国中国をこの著でも検証したいし、毛の元で従い続けた周に半生、そして中国革命、中国政治の姿を探ることを掻き立てる本だ。

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18世紀の京都の画家伊藤若冲

2007年03月25日 00時10分21秒 | Weblog
伊藤若冲 (いとうじゃくちゅう 1716~18009)に傾倒している友人が京都にいて、先だってはその講義を同志社大今出川校舎近くの喫茶店で受け、京都・相国寺境内にある若沖の墓まで案内していただいた。

 相国寺境内の墓はまるで歴史博物館のように藤原定家の墓があれば、長州藩藩士たちの戊辰戦争での墓があるなど、少し参拝時間をとるといろんなものに気づく。それにしても同志社大に隣接する相国寺がこんなに静寂だとは意外な感をした。

友人によれば若冲は錦小路の青物問屋に生まれ、40歳で弟に商売を譲り、絵に没頭する。その若冲の生家跡にこのあいだまで八百屋さんがあったというが、いまはもうない。その八百屋さんは若冲とは姻戚関係がなく、若冲の血を引いた青物商は幕末にとだえたという。

絵画学校などある時代ではなく、足繁く寺に掲げられた作品を師としたようで、ものの本には「宋、元、明の中国の名画に学び、光琳の筆意をまじえ、写実的描写と特異な形態・色彩感覚による斬新で個性的な花鳥画他山水、人物画を描いた」とある。花鳥画の代表作《動植綵絵(さいえ)》30幅、大阪西福寺の「仙人掌(サボテン)群鶏図襖」(1790)などの作品で知られる。

廃仏毀釈で危機に陥った相国寺は若沖の絵を宮内庁に売却、再生したーと友人は教えてくれた。絵は「大本山」である寺をも救うのである。

5月に若沖の作品展が日本経済新聞主催で相国寺内の美術館で開催されるという。楽しみだ。

それにしてもこの半年で3,400冊の若沖関連の本を読み、100枚の論文にまとめたこの人はすごい。以前に「天才や」と言って、知人に「それはないでー」と顰蹙を買ったが、この人の集中力はすごい。わずか1か月で作家住井すゑさんの大半の作品を読み、年譜を作られたあの驚きは忘れられない。

若沖の作品は小学館により大半がデーターべース化されているという。小学館の目のつけかたがすごい。権利関係を整理することは重要だろう。これは意外と怠っている。運動圏関係では痛感する。

若冲が活躍した18世紀後半の京都は自由の気風がみなぎっていたという。だからこそ若沖は40歳で家督を譲るなどの行為が異様ではなかったのだろう。京の学問的雰囲気は歴史をもち、いまに流れてきているが、しかし京都は東京に喰われている。いま京都学派など言わないし、哲学も東京の学者の勢いがすごい。デジタル時代に対抗するのは宗教世界での深まりだろうーというのは保守的すぎるか。
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書く方にウエイトを置く

2007年03月24日 20時48分38秒 | Weblog
沖縄での取材の仕事、在日コリアンの聞き取りの仕事、何かパンフ制作の仕事…とかなりハード。ないよりは本当にいい。そう思いやっている。準備が大変なのも心地いい。

しかし本を読まないとアイデアがわいてこないし、人と会わないと企画がでてこない。

本つくりは当分をお休み。そうしないと、人がいい私は嘱託を勤めていた出版社で成立しない本の企画に対して「出版社紹介しましょう」となり、それに神経が集中することを繰り返すから。

ここらでしばらくはストップ。書く方にまわります。というよりそれが体にあっている。
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環境問題での連携

2007年03月24日 09時52分16秒 | Weblog
それぞれのお国の事情かしらないが、その住人に健康被害を生む問題が放置されている事例は事欠かない。アメリカではBSE問題がひた隠しにされている。中国では急激な工業化での化学公害が顕著だ。日本ではアスベス公害で近隣の住人も死亡する事態が続出した。

なぜ放置され、ひた隠しにされるのか。簡単な理由である。それを主導するものが何かをみればわかる。国であり、企業である。被害に遭う人々が隠し続けることなどありえない。ただし「世間に知られることで就職ができない」「社会から白い目で見られる」など、社会的な偏見を恐れる心性から、隠さねばならない地獄―それは2重の地獄だーを生きてきた体験を痛苦の生としてわれわれは知っている。

国や企業が隠すなら、風穴は人々のネットワークだ。NGOの役目、民際交流の役目、面目躍如たるものがある。公害にかかわる日本の体験をアジアの人々に伝える運動は1980年代からある。韓国、フィリピンなどでの交流が積み重ねられてきた。環境問題は実は政治的利害、商業的利害が背後に潜んでいる。だから超大国アメリカは一酸化炭素削減で京都議定書に署名しなかった。これを突き崩すには民衆のネットワークしかない。

幸いインターネットが普及している。相互の体験を持ち寄りたい。韓国にも、中国にも、台湾にも。朝鮮共和国にも、この東アジア1地域一つとっても、きっとアスベスト公害で苦しんでいる人がいる。最後に付け加えるが問題はどう交流を活発化するかーである。(「ジャーナリスト・ネット」コラムより)
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 週刊誌の新聞記者批判

2007年03月23日 06時30分10秒 | Weblog
 こういう記事を読んでいると、本当に人間がひん曲がってくる感じだ。退職の記事が書かれること、それがどうしたということ、なぜとり上げるのかということなのだが、記事を読んでも、書く側も、本当に人間性が悪くなるのではないか。ためにするとはこのことなのか。

 書く側も社の方針に従っているというわけだが、奥で本当に賛同しているようには読めなかった。最後の締めにはそれが読み取れた。「こんなもん書けまへん」と言えばいいのに。

 コメントを寄せる知識人、報道人も批判の材料を提供しているのだが、利用されているだけではないかとも思う。そのことがわかって応じているのだろうか。

 一方、随分と「朝日新聞」の社内事情にも通じた編集記者が書いたものだとも思った。一読してよくわかる。

 結論的に言うと、こうした記事を書いていると発行部数拡大には結びつかないだろう。新聞が取り上げない記事が載るなら、読者が求めるのは、それオーソドックスな真っ正面からの記事である。最近では角岡さんの「週刊現代」のような記事である。ただ相撲の八百長記事はどうもわからない。直接説明する物証があるのかーとそこがわからない。その「製品」のバランスの悪さは週刊誌の信用を損ねている。

 今回の記事もその1つだろう。
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五階百貨店で買い物

2007年03月22日 14時53分21秒 | Weblog
 大阪で恒例の会議があり、次の約束まで2時間ほどあったので日本橋の五階百貨店に行った。

 目的はオーディオのスピーカーを買うためだ。

 あいにく、木曜日は五階百貨店は休日。

 しかしいくつかの店は「熱心」にも営業していた。うち1軒の店に入る。そこでスピーカーを探す。いくつか手ごろなのがありー

「おばちゃん、これどうですか。まけてくれますか」

と、6800円を5800円にまけてもらえる商談が成立。

 そこで1万円からおつりをもらうことになったが、それから大騒ぎ。

「おつりないがな」

 とほかの店にあたったりして、それでもおつり4200円がそろわない。200円をもちうろうろおばちゃん。

 とうとう「どうしまひょう」ときた。

とおばちゃんがいうから、「それならいっそう4000円で‥‥」と言いかけたが、財布をまさぐるおばちゃんの顔をみて言いよどむ。〈あかんなあーさもしいね〉。

 そこへ若旦那らしい40くらいの経営者らしき男性が出て来て、「お客さん、よけいに1000円もっていません」と質問。冷静で目が泳いでいない。さすが。

 するとおばちゃんは「なんでやの」といぶかることしきり。

「いま200円手にもっているやろ。わし5000円あるから、その200円合わして5200円返したらええやん」

「なるほど」と私も膝を打つ。1000円を差し出し、これで一件落着。

 スピーカーを一個づづもち駐車中の車のところまで運んでもらったら、「堺筋できんのうは、近くでイベントありました。大勢の人出でしたが、五階百貨店まで流れてきまへんでした」とポツリ。男性店員の弁。

 私は30年来のお客さんだから五階百貨店大事にしてくださいやーと念じた。そういえば35年前、1万円でオープンリールデッキを五階百貨店で買い、いまだに自宅隅で鎮座している。新製品ばかり飛びつかずとも、ええもん、ながもち出来るもんありまっせー。
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レディースデーと6者協議の共通点

2007年03月21日 19時07分15秒 | Weblog
朝、ガソリンを入れていたら、ゴミ収集にビニール袋をサービスで渡していたので、給油を終えたあと、なかなかもってきてくれないので、「それ1ついただけますか」と問うと、意外な答えが返ってきた。

「レディースデーなので、男性にはわたせません」

おっと驚いたというか、うかつというか。そういう日はあることは知っていたが、いざ直面すると、商業主義はジェンダーをも飲み見込むことを知った。資本主義の恐ろしさとは、少々オーバーか。

電車の女性専用車両など、性的被害から守るための施策はよくわかるが、ガソリンまではと思う。それは商業主義と結びついているからだ。みえみえ。しかし営業成績をあげないといけないから、それが効果があるなら仕方がないのかもしれないが、資本主義はとにかくたくましい。

話は変わる。6者会談も1つには共和国の民族主義の「勝利」ともいえるが、一方では資本主義の増殖ぶりなのだ。つまり北は社会主義国として生き残るのではなく、資本投資した分の何倍もの資本流入を求めて闘ってきたとはいえないか。

もう北のリードでしか展開しない6者協議。今後流入する資本はどう展開していくのか。金正日総書記は世襲制社会主義を断念したとの観測が流れたが、より国力を強める権力移譲を行うことはたしかだろう。それが世襲か集団指導体制かはわからない。

イラクの侵略でアメリカが見せた腹の底―「悪の枢軸」を駆逐せよーに対応したのが北朝鮮だ。結論までもういったのである。だからもう北も米もロシアも、腹の底を見たのだから、核兵器廃絶に舵を大きくとらねばならないだろう。腹の底を見せてイラクを攻撃したブッシュ大統領ではなく「独裁者」フセイン大統領が戦犯というのはどう考えても納得がいかない。
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白髪頭

2007年03月20日 11時00分44秒 | Weblog
 親族の相次いでの死が大分こたえたのかも知れない。それよりも「極楽トンボ」の私が様々なぬきさしならない現実に直面したことがあるだろう。それはそれで仕方がないことだ。

 しかし精神が頭髪にあらわれるものなのか。これは科学的根拠がないが、7年前のビデオを見て自らを振り替えることを迫られた。「何をいまやらねばならないのか」と。
 
 遺伝的要素もあるようだ。頭髪ぬけ落ちて禿頭になる人もおれば、70歳をこえても1本の白髪もない人もいる。しかし加齢とは恐ろしく枯れていくものだ。

 枯れてもそういう実感がないのはどうしてか。肉体と精神のギャップは想像以上に大きいのかもしれない。

 
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池田正枝さんを偲ぶ会

2007年03月19日 23時57分59秒 | Weblog
 本当に遠方からこられたのには敬服した。鹿児島、富山、東京…。17日も大阪で偲ぶ会をしたのに、そこで参加された方が3人も来られた。恐れ入る。
 
 偲ぶ会では13-4人は挨拶されただろうか。「すーぱーおばあちゃん」と表現された方がおられたが、なるほどそのとおりだ。あれだけ節を曲げず生涯を貫いた女性もそういるわけではない。池田さんの遺志を受け継ぐという偲ぶ会の趣旨は会場にみなぎっていた。

 司会を務めたが、映像の処理は苦手で冷や汗をかいた。
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池田正枝さんの追悼集づくり

2007年03月15日 23時30分00秒 | Weblog
しかし各分野の方々から原稿が集まったものだ。33人からなる追悼集だ。

総ページで65ページで、頒価は300円。この値をつけなければならなくなった。

当日は遠方から来られるが、何人になるかわからない。

今日夜大阪で学生運動の指導者の追悼集をつくっている方と会ったが、4月の一周忌に追悼集が出る段階ではない、という。早くことを進めないと追悼集はできない。

池田さんのは10日でやれたのだから、昨晩に、正確に言うと本日未明に2本の原稿が入ったとしても、上出来だろう。冷や汗ものだが。

どれくらい印刷するか。明日決める。印刷、製本も私がやらないといけないが、池田さんの徳がさせる。
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