本当にここまできたかの思いだ。軍命の有無をめぐる裁判が大阪地裁でやられているが、疑義を呈した側は大きな目的を達したことになる。
1つに史実が確実にあるにもかかわらず、疑義を呈すると、その事実が揺らぐ。何もしらない人間は「どっちが本当か」となり、「評価がわかれているのでさわらんとこ」となる。その論理が今回の決定に反映している。
ホロコーストはなかったーという論がある。600万に及ぶユダヤ人、ロマ民族虐殺をしたナチスの犯罪はたしかなのに、そういう見解が出てくる。すると第3者は「評価がわかれるなあ」となり、どちらが本当やとなる。
ここに根本的な誤りがある。沖縄の集団自決もそうだが、その史実を探求しようとしないのかー、まともに受け止めないのか、真っ正面に向き合わないのかという評価を下す側の姿勢である。今回はまさしくその姿勢が出た。
削除の理由の1つに軍命の有無をめぐり裁判が行われているからーというのがあった。なさけない。こうして歴史が歪曲されていくのである。これはただならぬ事態である。