生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

プーランク 「ルイ・アラゴンの二つの詩」 第1曲 「C」 あるいは「セーの橋」

2016-09-03 23:07:06 | プーランク

 日本で最も歌われている、あるいは聞かれているフランス歌曲は何でしょうか? おそらくフォーレの「夢の跡に」は間違いなくベスト3に入りますよね。それからプーランクのこの「C」、マスネの「エレジー」も入りますか。サティの「ジェ・トゥ・ヴー」も案外と歌われているかも知れませんね。オペラのアリアまで範囲を広げれば、ビゼーの「カルメン」から「ハバネラ」等でしょうか。

 このところ、数年以内に生前葬コンサートを演ろうかと真面目に検討し始めていて、その際の演目の中には「C」だけでなく、「ルイ・アラゴンの二つの詩」の2曲を歌おうかと候補に挙げていて、歌詞を覚えようと頑張っています。と言うことで通勤時間など、出来る限り音源を聴き込んでいます。まだ完全に覚えられるまでには努力が必要な段階ですが、それでも歌詞の全体像が何となく頭の中に入ってくると、曲の細部が良く見えてきます。それまでモノクロ写真で見ていたと思っていたら、いつの間にかカラー写真になっていたというか、モノラル音源がステレオ音源になったというか、低解像度のディスプレイがいきなりハイレゾ、2K・4K等の高解像度ディスプレイに代わったというような。

 フォーレの「夢の跡に」は名曲だと思っていて、歌い続けるべき作品で、歌い続けていれば歌い手の中で作品が成長していくタイプの曲だと思います。と言うことで歌ってみたこともありますが、まだ自分が歌うには作品のほうが大きすぎる気がして、正面から取り組んではいません。プーランクの「C」も画家に取っての習作の様な、勉強するための作品というぐらいのつもりで取り組み始めましたが、「夢の跡に」以上の名曲かも知れないと思い始めています。「夢の跡に」の詩はロマン・ビシューヌによるもので暗喩的な表現もあるものの、愛の歌であることは明白です。一方で「C」は明らかにドイツに占領された祖国フランスを詠った反戦歌であることは明らかです。

 曲想としては「夢の跡に」の方がフランス歌曲らしい、柔らかくフォーレの耽美的な特徴が良く発現していて、誰が聞いてもうっとりする旋律ですよね。従って器楽作品で旋律を演奏する編曲も多数行われていて、中には器楽曲と思い込んでいる方も少なく無いと思います。それに比べるとやはり「C」の方が演奏頻度としては少ないかも知れません。それでもプーランクの歌曲の中では最も歌われる曲ではないかと思いますし、フランス歌曲としてはやや硬質で輪郭のはっきりした構成はむしろ気品、占領されてもなお屈していないという気高さを醸し出すことに成功していると思います。

 「C」は、フランス歌曲としては日本においても生で耳にする機会の多い作品だと思います。詩を判らずに聞いても美しい旋律で耳に残ると思います。それでもどの様な詩が謳われているのかを知ってしまうと、歌い手によっては歌詞の内容を理解せずに歌っていることがバレてしまう演奏もあります。このブログでこのことを指摘するのは今回が始めてではありませんが、今回この数行を書きながらその理由が解りました。祖国を占領されても決して屈していないという決意が歌い手によって表現されているかどうか、この違いはかなりはっきり解ります。そうです、そういうことですね。今回この記事を書いたことで自分自身の思考を整理することが出来ました。良かった。ありがとうございました。


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