【検証3】『神宿る島』宗像・沖ノ島の謎(改訂しました) 2017-07-12 09:40:16 | 古代史 申し訳ありません。 図と本文を修正して以下のページに移動しました。 お手数ですが下の題名をクリックしてください。 よろしくお願い致します。 【検証3】『神宿る島』宗像・沖ノ島の謎 #歴史 | トップ | 【検証4】平原王墓の被葬者... »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 真言密教と言えば (鳥島) 2018-01-20 11:44:47 宗像大社の神宮寺であった鎮国寺は弘法大師が帰国してすぐに創建されていますね。>>沖ノ島祭祀は、海北道中ルートで鉄素材を供給した宗像海人族の当時の功績を称えるとともに、その後に裏切り者としてヤマト王権が追討した宗像の姫卑弥呼のヤマト王権への祟りを抑えるために始められたと推理できる。社格も高く、規模も大きいのに門前町が宗像大社(辺津宮)に形成されなかったのはここいら辺りに理由があるのかもと思ったりしました。 返信する Re:真言密教と言えば (鳥島) (刮目天) (刮目天) 2018-01-20 18:50:32 早速、フレンドにしていただきありがとうございます。>社格も高く、規模も大きいのに門前町が宗像大社(辺津宮)に形成されなかったのはここいら辺りに理由があるのかもと思ったりしました。あ、そうだったんですか。門前町になっていない。やはり、宗像はヤマト王権から警戒された氏族のようで、辺津宮周辺を取り囲むように物部氏を配置していますね。これは出雲大社と同じような状況でしょう。出雲大社のご祭神の祟りを最も恐れたようです。これは大国主というよりも、その祖先のスサノヲの怨霊がヤマト王権最大の脅威だった模様ですね。宗像はそれに次ぐ怖い存在だったのだと思いますね。いいご指摘をありがとうございます。また、よろしくお願いいたします。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
>>沖ノ島祭祀は、海北道中ルートで鉄素材を供給した宗像海人族の当時の功績を称えるとともに、その後に裏切り者としてヤマト王権が追討した宗像の姫卑弥呼のヤマト王権への祟りを抑えるために始められたと推理できる。
社格も高く、規模も大きいのに門前町が宗像大社(辺津宮)に形成されなかったのはここいら辺りに理由があるのかもと思ったりしました。
>社格も高く、規模も大きいのに門前町が宗像大社(辺津宮)に形成されなかったのはここいら辺りに理由があるのかもと思ったりしました。
あ、そうだったんですか。門前町になっていない。
やはり、宗像はヤマト王権から警戒された氏族のようで、辺津宮周辺を取り囲むように物部氏を配置していますね。これは出雲大社と同じような状況でしょう。出雲大社のご祭神の祟りを最も恐れたようです。これは大国主というよりも、その祖先のスサノヲの怨霊がヤマト王権最大の脅威だった模様ですね。宗像はそれに次ぐ怖い存在だったのだと思いますね。いいご指摘をありがとうございます。また、よろしくお願いいたします。