たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

ユーチューブ学あるいは人類学の未来

2007年07月14日 02時00分05秒 | エスノグラフィー
昨晩(2007年7月13日)、H大学で行われた、Oさんによるセミナーに出席した。同じ時期に、同じところで、人類学を学んだ(が、その後、人類学からは、大きく踏み出てしまった!)Oさんの才覚の、その後のゆくえを知るために。

http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/godozemi.html

そのセミナーは、ユーチューブ学、あるいは、文化人類学(=異文化理解?)の別の可能性の提示ともいうべきものであった。わたしが度肝を抜かれたのは、Youtube をつうじて、異文化の不思議さ、驚きにふれることができるだけでなく、それこそが、いまや、わたしたちに、異文化をもたらしてくれる、超絶的なツールであると、Oさんが、断定的に語っていた点である。

Oさんはいう。2001セプテンバー11は、「キリスト教」と「イスラーム教」の衝突として描かれることがあるが、その図式は、ある政治的な悪意をもった人びとの捏造ではなかったかと。Youtube をつうじて、投稿された異文化のビデオを見ていると、そういった図式は、人びとの営みの映像のなかに、溶解して、意味のないものになるという。

Youtube に、人類学でお馴染のキーワードを入れてみる。kwakiutl, kula, nuba, sweat lodge・・・すると、わたしたちは、パソコンの前に座ったままで、異文化・異世界の映像を見ることができる。それは、その場にいながらの、遠くの他者との出会いである。

たしかに、スゴイことが起きているように思う。そして、そのことは、多くの可能性を秘めているように思える。

http://anthropologix.blogspot.com/

しかし、である。そういった手軽なかたちでの異文化の不思議発見は、人類学が、これまで培ってきた異文化との関わりとは、あまりにもかけ離れている感じもする。人類学は、スピードアップし、手軽に手に入れられる異文化ではなくて、その土地の言語から学び、まずくても与えられた食べ物を食べ、何でそんなふうにするのかということを、悩みながら考え、さらには、人びとの苦悩や苦痛だけでなく、ときには、快楽をも共有しながら、ゆっくりと、スローなペースで、異文化の全貌を捉え、そして、その過程をとおして、自らの実存を大きく揺さぶられるような経験だったのではないか。

わたしは、人類学とは、そのようなものだと思っている。そのことから、Oさんの試みが、怪しいであるとか、間違いであるということでは、いまのところない。しかし、こういった試みが、ますます、異文化発見の手軽さゆえに、人類学者、とりわけ、若い人類学者たちのフィールド離れを加速するような危惧もあるように思える。

はたして、Youtube というメディアは、人類学の未来の一つの可能性を切り拓くことができるのだろうか。なんでも、そのセミナーは、電車が走る夜明けの4時半頃まで、夜を徹して、行われるという。つまり、いまのところ(午前2時)まだ、やっているわけだ。わたしは、仕事がたまっているので、早めに切り上げてしまったが、徹夜でセミナーをやる人類学的な狂喜に敬意を表して、感想を書き留めておきたい。

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