たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

大学生協で1985円/『医療人類学のレッスン』解題

2007年10月02日 14時04分16秒 | 医療人類学

どうやら風邪を引いたらしい、まずは、風邪薬を飲んで様子を見てみよう・・・4月の健康診断で、γーGPT値が基準を超えていると判定され、以前の週3回から週1回にアルコール摂取をペースダウンしている・・・というような、わたしの病気や健康の日常。叔母は、昨夏、心臓弁の置換手術をしたが、その後、経過は順調のようである・・・うつ病だと診断されたA子は、抗うつ剤を服用しているが、口が渇いたり、目がかすんだりするという副作用に悩んでいる・・・というようなわたしの周りの人たちの病気や健康の日常。

わたしやわたしたちの病気や健康は、わたしやわたしたちにとって、この上なく大事である。そのことは、病気や健康について考えるための、身近な手がかりでもある。がしかしである。学問領域としての医療人類学。知的な鍛錬の場としての医療人類学
は、そのような本来の「持ち場」をいったん離れて、勢いをつけてポーンと、飛び出す。そのようにして飛び出した遠心力で、人類の病気、健康、医療というようなことを考える。それが、この新刊書籍、『医療人類学のレッスン~病いをめぐる文化を探る~』の一番根っこにあるものである。

そのような観点から、ヒト以前の動物とヒトの病気のちがいが取り上げられ、人間の医療の特徴というべきものが探られる(2章)。

ついで、呪術、憑依、シャーマニズムといった、病気や健康と深く関わる、人間の身体の奥底にただよう心理的・宗教的な問題系が、検討の俎上に載せられる(3,4,5章)。

 わたしたちがもっとも信頼を置く医療(近代医療)が、なぜ、これほどまでに、地球上で広く行なわれているのかと、問いをひっくり返し(6章)、その射程のなかに、出産や女性の身体の問題を捉えようとする(7、8章)。

その果てに、近代医療の「治療神話」には、疑いのまなざしが向けられる(1章)。

老齢を、ケアや医療などの財政負担や葬儀ビジネスの対象
としてしか捉えないような日本の「知的貧困層」(ちょっと言いすぎかな?)に対しては、地球規模で、老い意味を掘下げて、学びの機会を提供する(9章)。

次から次へと積み上げられていく精神病患者のファイルに対しては、踵を返して、「狂気」って、人間にとって、人間社会にとって何なのかという問いを突きつける(10章)。

池田光穂・奥野克巳共編著
『医療人類学のレッスン~病いをめぐる文化を探る~
学陽書房
本体2,100円+税

1 医療人類学の可能性―健康の未来とはなにか?・・・ 池田光穂
2 病気と文化―人間の医療とは何か?・・・奥野克巳&山崎剛
3 呪術―理不尽な闇あるいはリアリティか?・・・池田光穂&奥野克巳
4 憑依―病める身体は誰のものか?・・・花渕馨也
5 シャーマニズム―シャーマンは風変わりな医者か?・・・奥野克巳
6 グローバル化する近代医療―医療は帝国的な権力か?・・・奥野克巳&森口岳
7 リプロダクション―「産むこと」は単純ではないのか?・・・嶋澤恭子
8 女性の身体―身体は所与のものか?・・・松尾瑞穂
9 エイジングと文化―老いはどのように捉えられているか?・・・福井栄二郎
10 心と社会―狂気はどのように捉えればいいか?・・・池田光穂
11 今日における健康問題―なぜある人びとは病気にかからないのか?・・・池田光穂


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