私はながねん版画を制作してきたから、 この人の事はよく知っている。
特異な作風だが、 中でも一番有名な作品。 代表作はなんといっても
この作品だろう!
・・・・・ 初年兵哀歌シリーズの中の「歩哨」である ・・・・
初めて本物が見られるので、昨日JR-バスと乗り継いで行って来た。
―― 「北九州美術館」の「浜田知明展」 ――
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星一つ、 の初年兵が歩哨に立って、 軍隊生活のつらさに耐えきれず、
小銃を逆さにして、銃口を自分の喉元に当て、 左足の指で今にも引き金
を引いて、 自殺しようとしている ・・・ 目に涙が一擲!
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あまりにも有名な作品だが、 思ったより小さく 20㎝ × 15㎝ 位の
エツチングとメゾチント(銅腐食版画)の作品で、エデューション(刷り数)
をよく見たら30枚位刷ってあった。・・その中の一枚を北九州美術館が
所有している。と云う事・・・
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「展覧会の挨拶文」
「かつて僕は一兵士としてまる五年間の生活を軍隊で過ごさねばなら
なかった。 厳重に張回された 目に見えぬ鉄格子の中で、来る日も
来る日も太陽の昇らない毎日であった。 僕は自殺の事のみを考えて
生きていた」
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「銃架の陰で」 エッチング
浜田知明は東京美術学校(現東京美大)の油絵科を出て、5年間兵隊
に行っていたらしい。
私も軍隊生活は経験しているが、 初年兵時代は真冬の朝鮮龍山歩兵
連隊で、随分つらい思いをし、 逃げられるものなら逃げて帰りたかった。
だが、本当につらいのは初年兵時代で、次に新初年兵が入ってくれば
古兵殿と云うことになり、、次第に軍隊の要領にも慣れ、左程でもなくな
るし、又、旧制の中等学校以上の学歴があれば、幹部候補生の受験の道
もあり合格すれば、将校か、下士官になれる道もあった。
彫 塑 「風 景」
だが、この人は 軍隊用語で云う余程「軍隊は馬が合わん」人だった
のだろう? ・・・ 太陽の昇らぬ毎日云々・・・はちょっと意味がよくわ
からない? 概して、繊細な芸術家は野卑?な軍隊に合わないの
は当然理解できる、することなすこと 要領悪く、上官に睨まれ、昇進
も遅れ ・・・・ ? ?
彫 塑 「風 景」
当時は国民の三大義務の一つ。 「兵役の義務」で男は満20歳で
徴兵検査を受け、身体に異常のない限り皆陸軍か海軍に入隊した。
20歳前でも志願で入隊するものは結構多かった。
因みに、軍隊数え唄の中ににこんなのがある。
♪ 人の嫌がる軍隊に 志願で来るような馬鹿もおる ♭