2時間で見終わるだろうと見当をつけていたが、
時を忘れて見入ってしまい、
最後、若干切り上げる形でも3時間近くを
東京オペラシティのアートギャラリーで過ごした、
去る18日のこと。
自筆譜、原稿、作業机周辺のの再現展示、
絵画、彫刻、映画のポスターなどが展示されていた。
既に他界している私の父は、
若い頃というか、私がまだ幼かった頃、サラリーマンをしながら、
仲間と「現代華道院」「木(もく)の会」という団体を構成運営していた。
池坊の免許を持ち、師範として教えてもいたが(今思えばアルバイト?)、
時には、お仲間(同好の志とか彫刻家さんとか)と、
作品をどこかへ発表もしていたようだった。
彼の創作活動は私が覚えている限り、
少なくとも10年は続いていたように思う。
「太陽」「池坊」というような雑誌が毎月居間にあり、
私も幼いながら写真や写真脇の文章などを、
飽きずに何度も見たり読んでいた。
今回の展示を見るのに時間がかかったのは、
展示の品々の生まれた時代をも、
自分の記憶とともに反芻しながら見ていたためだったと思う。
武満氏やその仲間たちが追求した”現代・・”。
そこに投影しようとしていたもの、託そうとしていたものを、
もしかしたら父も追い求めた時があったのかもしれないと。
ギャラリーの展示の中に曲もあった。
ヘッドフォンで聴けるようになっていた。
走り書きしたメモから。
「閉じた眼」
ピアノ演奏、ピーター・ゼルキン。
ドラマチック、切り裂く感じ、美→悲痛、最後の最後に昇華
「イサムノグチの追憶」
フルート
遠く高い景色とぐっと近くにある実像
時を忘れて見入ってしまい、
最後、若干切り上げる形でも3時間近くを
東京オペラシティのアートギャラリーで過ごした、
去る18日のこと。
自筆譜、原稿、作業机周辺のの再現展示、
絵画、彫刻、映画のポスターなどが展示されていた。
既に他界している私の父は、
若い頃というか、私がまだ幼かった頃、サラリーマンをしながら、
仲間と「現代華道院」「木(もく)の会」という団体を構成運営していた。
池坊の免許を持ち、師範として教えてもいたが(今思えばアルバイト?)、
時には、お仲間(同好の志とか彫刻家さんとか)と、
作品をどこかへ発表もしていたようだった。
彼の創作活動は私が覚えている限り、
少なくとも10年は続いていたように思う。
「太陽」「池坊」というような雑誌が毎月居間にあり、
私も幼いながら写真や写真脇の文章などを、
飽きずに何度も見たり読んでいた。
今回の展示を見るのに時間がかかったのは、
展示の品々の生まれた時代をも、
自分の記憶とともに反芻しながら見ていたためだったと思う。
武満氏やその仲間たちが追求した”現代・・”。
そこに投影しようとしていたもの、託そうとしていたものを、
もしかしたら父も追い求めた時があったのかもしれないと。
ギャラリーの展示の中に曲もあった。
ヘッドフォンで聴けるようになっていた。
走り書きしたメモから。
「閉じた眼」
ピアノ演奏、ピーター・ゼルキン。
ドラマチック、切り裂く感じ、美→悲痛、最後の最後に昇華
「イサムノグチの追憶」
フルート
遠く高い景色とぐっと近くにある実像