作家 井上香織 Official Blog

せつない純愛小説、やさしい目線で描かれたエッセイで人気の作家 井上香織が贈る癒しの空間 

シュウメイギクと幼馴染

2024-10-17 | ★Diary★

10月半ばとは思えない気温の日が続いておりますが、

みなさま、お元気にお過ごしでしょうか?

 

実家の庭のシュウメイギク

この夏の猛暑で元気がないのかしら・・と心配していたのですが

 


例年より、少し遅れたものの、ほぼ満開となりました 

 


庭仕事をはじめる早朝。

お向かいに住む幼馴染のYちゃん用に、

ツボミの多い茎を選び花束にして、水を張ったバケツにつけて準備。 

そして。。

いつものように、草取り作業中、Yちゃんが訪ねてきてくれました 

母の好物・キウイを携えて・・

Yちゃんはつい数日前、御父上の四十九日を終えたばかり 

あらかじめ用意しておいたシュウメイギクの花束を差し出すと、

『わーっ、きれい。ありがとう お仏壇にお供えするねっ』

青白く痩せた手で花束を受け取りつつ、

『お骨が家にあるときは、まだ一緒にいるみたいな感じだったけど。

やっぱり淋しい・・・』

弱々しく微笑みながら、そう言っていました 


追伸

今夜・・スーパームーン だったのですね 

雲が晴れ、まあるい大きな月を見ることができました。


今日もひとりぼっちの夜を迎えているであろうYちゃんも・・・

この月を見上げているかしら・・・

 

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母の庭の花々~アメジストセージ

2024-10-13 | ★母の庭の花々★

母の庭の片隅・・・

アメジストセージ 咲きはじめました 

本当は・・・

高さ、幅ともに1メートル以上にまで成長してくれたのですが。

全景を撮影しようとすると、

どう頑張っても、美しくないため、今回は・・・・

 

 

背後に映っているのは カロライナジャスミン

春を迎えた頃、毎年黄色い小さな花をたくさん咲かせてくれます。

7月、翌年の花芽を形成するため、剪定はNGらしいのですが、

あまりに旺盛に蔓を伸ばしてしまっているので、

少しだけ剪定いたしました。

来年の春、またこの垣根が可憐な黄色に染まりますように 


追伸

みなさま、いつもおやさしいコメントをありがとうございます 

ときに落ち込みがちな日々・・・

とても励まされております。

また後日、ご紹介させていただきたく思っております。


これからも、たまにはこのPAGEにいらしてくださいませね 

 

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母の庭の花々~千日紅

2024-10-08 | ★Diary★

母の庭では・・


妹が種から育てたシリーズ 千日紅

咲きはじめてから花期は長いのですが、

10月に入り、つぼみの数はほとんどなくなってしまいました。

 

 


シュウメイギクはようやく咲きはじめてくれました 

でも、この夏の猛暑のせいか、やはり例年よりちょっと元気がないような。。。


続いて。

ミニトマトの横に植えたピーマン 

 


ミニトマトの苗は・・

ジャングル化していた上の方の蔓から順に取り払い、

最後に根を抜き撤去いたしました。

いちばん大きなゴミ袋いっぱいになってしまうほどでした。

今年の夏も豊作で、Yちゃんをはじめご近所の方にお裾分けしたり・・

本当にお世話になりました 


ピーマンは、ミニトマトがいなくなってから、突然、元気になり、

思いがけずたくさん収穫できました 

・・ちょっと形は悪いのですが・・

上の写真は、最後に収穫したものです。

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追悼・レコーディング・エンジニア・大野進氏・PART3

2024-10-06 | 井上香織 LIVE

じつは。

断捨離にて。

このようなものも発掘してしまいました 

 

 

大野進さんのお名前が Directorのところに記されております 

保存しておいても、もはや聴くことはできないとはわかっていても。。。

「あ・・これ大野さんの字だ」

なんて。

当時のプロデューサーに言われてしまったので。

ますます処分できなくなってしまいました。。。

 

大野進様

KRSそして伊豆スタでは、

素人シンガーの井上香織におつきあいいただき、

ありがとうございました 

また、プライベートでも私の結婚にまつわることにまで

相談にのっていただき本当にお世話になりました。

2010年9月21日夜半。

元KITTY・神田善啓さんから『大野さんが亡くなった』

ご連絡いただくまで、お体を壊していたこと存じ上げなかったので

本当に衝撃を受けました。

9月23日 江古田駅近くの会場にてお通夜。

お別れをいたしました。

会場前にはお焼香に訪れた方たちの長い列が。。

やはり・・・

音に対する真摯な姿勢と、詩情豊かで繊細かつ確かな技術力。

大野さんはこんなにも、みなさんに愛されていたのですね 

そう思いつつ、ようやく会場にたどり着き、遺影を見上げ手を合わせると、

思わず涙があふれてきてしまいました 

 

・・列席していたかつての私のボイス・トレーナー・長田明子さんに、

『こういう場で泣いていいのはご家族だけ・・』

注意されてしまいました 

 

・・遠い昔。

あんなにもお心配りいただいたというのに。

教員になった後は、年賀状だけのおつきあいとなり、やがて、

こちらからご連絡させていただくこともなくなってしまいました。

本当はもう一度、おめにかかり、

私は著述の道に進んだことなど報告させていただきたかった。

そして。。。

2017年。

当時のスタッフの方たちの後押しもあり、

はじめて単独ライブをさせていただいたとき・・・

できれば、何らかの形で参加していただきたかった。

あの場にいていただきたかった・・

 

追伸

今年の6月。

7年前の井上香織ライブの発起人のひとりである岩瀬貞行氏から、

新たにコピーしたライブDVDをお送りいただいたのですが。

確認したところ。

 

・・・7年前は、亡き父にまつわるエピソード―を語っていたとき、

ギター・谷川学さんの背後に、いくつもの不可思議な白い光が立ち上っていたのに。

今回は。

そのシーンには、なにも映っておりませんでした。。。

ところが。

大野進さんの紹介をした直後・・私の語りの向こうで、

・・おうっ・・

みたいな声が聞こえた気がいたしました 

 

気のせいでも、なんでも構いません。

私には、大野さんの声が聞こえた。。。

ということてす 

 

大野さん。

当時のスタッフの二人は、現在、闘病中のようです。

どうぞ見守ってさしあげてくださいませね 

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追悼・レコーディング・エンジニア・大野進さん・PART2

2024-10-02 | 井上香織 LIVE

レコーディング・エンジニア、大野進氏のことに関して・・

 

先の記述に誤りがございました 

赤塚不二夫さんの作品 『もーれつア太郎』

ニャロメというネコの声優をつとめていらしたのは

大竹宏さんという方だったのですね。


大野進さんは・・・

『ニャロメのうた』

という曲の歌唱を担当なさっていたとのこと。


読者のみなさま。

ご指摘いただき、ありがとうございました 


検索してみたところ、大野進さんは、

『おれと結婚しろニャロメ』

という曲も歌っていらっしゃったみたいです。


かつてスタッフの方が、

『大野さんってニャロメの・・・』

そう言いかけた際、いつも温和な大野さんが、いつになく冷淡な口調で

『その話は・・]

遮られてしまったことを鮮明に記憶しておりましたので。

てっきり、意にそわないまま、その特徴的な声でスカウトされてしまったのかな

そう思い込んでおりました 

以降、大野さんに直接、その件について伺うことはございませんでした。

 

これは言い訳ですが。

もしかしたら、アニメは再放送されていたのかもしれませんが、

『テレビは週に1時間のみ』父の厳しい管理のもとに育った幼い私は

ニャロメという奇妙なネコの存在は知っていたものの

その声を聴いたことはなかったのです 

 

いずれにしても、きちんと調べもせず、誤った記載をしてしまい、

本当に申し訳ありませんでした 


・・PART1のその間違い箇所は、後日訂正させていただきますね・・


大野進氏は、

 Kitty Recording  Studio 通称[KRS]

そのスタジオ設立に関わり、

チーフとして後進の育成に尽力なさっていらっしゃいました。

また、日本ではじめてのリゾートスタジオ IZUスタジオ 

通称・伊豆スタの設立プロジェクトに参加し、

運営も担当なさっていらしたようです。


伊豆スタには一度だけレコーディングで訪れたことがございます。

そのスタジオは閑静な別荘地の一角にありました。

ボーカルのブースは、なんとガラス張りの窓際に設置されており、

窓越しに広がる緑の芝生や木立、そして空を感じることができる

とても素敵な空間でした 

 

・・・残念ながら。

集中できないので、結局、暗くしていただき、

歌うことになっちゃいましたが 


その際は2泊3日だったかと思います。

2日目の晩は、スタッフの方たちと一緒に

大野さん行きつけの居酒屋さんに連れていっていただきました。

翌日。

大野さんは当時の愛車にて、最寄り駅まで送ってくださいました。

その車には[無線]が搭載されておりました。

大野さんは運転しつつ、様々な方たちとお話をしていらっしゃいました。

『今、〇〇から〇〇へ向かい走っています』

『こちらは現在〇〇を〇〇方面へ向かい走行中』

そういった会話だったように記憶しております。

緊張感のある繊細な仕事終わりに、

こうして見ず知らずのドライバーさんたちとの会話を

楽しんでいらしたのかなと思いました。

 

その伊豆スタのあとだったでしょうか。

当時、大学生だった私は、都内にて深い時間に仕事が終わると、

終電にも間に合わず帰宅困難だったため 

いつも、あらかじめひとり暮らしの女友達や

KITTYの女性スタッフにお願いして、お泊りさせていただいておりました。

大学の教材やファイル、着替えなどなど詰め込んだ大きなバッグをかつぎ、

ほとんど移動式ヤドカリ状態 


そんな話を聞いたのか、

あるとき、大野さんから

『香織ちゃん、次の歌いれのあと予定がないなら、うちに泊まりにおいでよ』

そう誘っていただきました 

 

そして。KRSでのレコ―ディン後。

大野さんの愛車にて、ご自宅に連れていっていただきました。

その際は、ご両親、奥様、まだ小学生だったご子息たちともお目にかかり、

お食事までご一緒させていただきました。

・・・恥ずかしながら。

おそらく過密スケジュールが続いておりましたため、

お片付けのお手伝い等、さほどできないまま、

きちんと整えていただいた客室にて爆睡してしまったったような・・

 

ご家族のみなさま。

あの折は、お世話になりありがとうございました 

 

・・・この続きは、PART3にて書かせていただきたく存じます・・・    

 

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母の庭の花々~シュウメイギク

2024-09-27 | ★母の庭の花々★

9月も後半というのに、気温は行きつ戻りつ・・

先日の庭仕事は、また9時過ぎには30℃近くなった上、

かなり蒸していたので、とても辛い作業となりました


とはいえ・・・

 

 

シュウメイギクが咲きはじめ・・・

 


6月に植えた小菊も・・・

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追悼・レコーディング・エンジニア・大野進さん・PART1

2024-09-22 | 井上香織 LIVE

御彼岸ということもあり。

今回は、14年前にお亡くなりになった私の恩人・・

レコーディング・エンジニア大野進さんのお話をさせていただきたく思います 

 

大野さんは私、井上香織のディレクターのみならず、

ミキシングも担当してくださっていました。


最初に紹介された当時、スタッフの方たちから、

大野進氏の経歴に関して、詳しく訊かされてはいなかったのですが。

のちに・・・


1973年 担当した井上陽水さんの『氷の世界』は

日本ではじめてLP売り上げ100万枚を突破 

 

エンジニアとしての技術はもちろんですが、

ハスキーで味のある独特のお声をなさっていたので。

『もーれつア太郎』というアニメに登場するニャロメというネコ(?)の声を

担当なさったこともあったそうです 

 

音楽に関しては厳しくも、とてもおやさしい方でした。

新人のエンジニアさんをはじめスタッフへの心配りはもちろん、

素人の女子大生である私に対しても、いつも穏やかに接してくださいました 

 

井上香織・作詞の『静けさの中で』という曲のレコーディングの際、

音の世界に入り込みすぎて、サビの途中からこみ上げる感情があり、

私はつい涙ぐんでしまったのですが ・・笑・・

狭い歌唱ブースのガラス越しに、

卓の前にいる大野さんに助けを求めふと目をやったところ、

私の異変に気づいた大野さんは、微笑みつつ、大きくうなずいて・・

そのままラストまでオケをとめず、最後まで歌わせてくださいました。


歌い終えたあと。

「・・すみませんでした・・」

指先で涙をぬぐい、苦笑いを浮かべつつ、ブースから出て謝ると、

大野さんは、

「感情がのっていてすごくよかったよ。ちょっとだけ休んでこのまま、もう一回いこうか」

そう言って、紙コップのコーヒーを手渡してくださいました。

 

プロのシンガーとは決していえない私をいつも精神的に支えてくださっていたのは、

大野さんでした。

そして。。。

感情の起伏により、ムラのある私の歌唱を優れた技術でつないでくださいました 

 

 

左側・・難しい表情を浮かべ煙草を手にしている方が、大野進さんです 

 

このスタジオ、通称[KRS]

大学から近かったこともあり、

私は午後の講義を抜け出して、レコーディングに通っておりました。

 

・・・ちょっと長くなりそうなので、

    続きは後日、書かせていただきますね・・・

 

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新しい目覚まし時計・・そして・・

2024-09-18 | ★Diary★

8月中旬。

いつも頼りにしていた淡いシャイニーブルーの目覚まし時計が

動かなくなってしまいました 

ずっと元気でいてくれたのに。

電池を入れ替えても、

もう動いてくれなくて・・


そして・・・

いろいろ迷った末

こんなアンティーク調の目覚まし時計を購入いたしました 

 

 

命尽きてしまった古いSEIKO製の目覚まし時計・・・

写真に残さないまま、すでに処分してしまいましたが。

こうして書きつつ、ふと過去の出来事が蘇ってまいりました。

 

[夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・PART1]]に書かせていただいたエピソード

父の葬儀の朝、実家の2階にて、

誰もONに設定などしていないのに、勝手に鳴り響いていた、あの目覚まし時計は、

まさにその淡いブルーの目覚まし時計でした 

 

しかも。それは。

私が・・例の[忌まわしき]・お祝い事の際・・

約30年前、父にプレゼントしたものでした 


父の逝去後。

ひとり、断捨離をはじめた母から、

『これ、もう使わないけど、どうしよう』

そう相談され、たまたま新しい目覚まし時計の購入を考えていた私が

引き取ることにした・・そういった経緯がございました。


なぜ今まで、そのことを失念していたのか。

我ながら、ちょっとびっくりいたしましたが。 

 

つまり。

亡き父があちらの世界から贈ってくれていたメッセージの数々

その力はもう尽き、ようやく安穏な世界へ逝った・・・

ということなのかもしれません 

 

 私は新しい目覚まし時計のお世話になることなく

   朝4時起きで始発にて実家へ通っております 

 

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中学時代の恩師・蘇畑瑠璃子先生のこと・・追記

2024-09-14 | ★Diary★

かつてこのブログに掲載させていただいた 

追悼・・恩師 蘇畑瑠璃子先生

という記事に、[晴海中学校]さんよりコメントをいただきました 


『私は1992年~1995年までの中学三年間、蘇畑先生に社会を教わっておりました。

どんな時でもぶれることなく、信念をお持ちの先生でした。

~(中略)~ 珍しいお名前なので、こちらで先生の訃報に接することができました。

まさかこんな検索結果になってしまうなんて悲しい限りですが、

発信下さりありがとうございました』


晴海中学校さま

コメントいただき、ありがとうございます 

私がこのブログに、はじめて蘇畑瑠璃子先生に関する文章を書いたのは2012年の秋頃でした。

その後、あなたと同様、私の出身中学校の後輩にあたる方からも、

『恩師・蘇畑先生のことを検索した結果、井上さんのブログにたどり着きました』

というコメントをいただいたりもいたしました 


もしかしたら・・

同窓会というタイミングで、お世話になった先生方の消息を探していらしたのかもしれませんが、

卒業後、長き刻を経た今も、

蘇畑先生のことを検索してくださる教え子がいらっしゃるなんて・・

 

おそらく、先生の最初の教え子であり、

また新設中学の一期生として、そしてバレー部の初代主将として、

大変お世話になった私としては、心よりうれしい限りです 

 

 

蘇畑先生からは、たくさんのお手紙をいただきましたが、

残念ながら現在、手元に残っているのは・・

 


下の文章は・・・

年賀状として送っていただいたもの。

右上の南国風の葉書には・・ [名瀬市〇〇 蘇畑瑠璃子]とあり、

夏休み後半、先生が故郷、奄美大島に帰郷中、お送りいただいた絵葉書です。

先生が不在の間、先生が担任をしている同級生の母上が突然の事故で亡くなってしまい・・

その知らせを受けたあと、書いてくださったお葉書。

・・・貼ってあった切手はなんと・・10円切手・・・

 

『休みも残り少なくなってきました。

風が吹くたびに夏の終わりの寂しさが心の内を吹き抜けてゆくようです』


そんな一文のあと、告別式にて同級生たちの誘導係を務めた私へのねぎらいの言葉があり、

『私は帰ってからお参りさせてもらいます。

今日の夜遅く、船で出発します。

この葉書よりも私が先でしょうね』

 

それから。。。。

[晴海中学校]さんたちを担当なさっているときもそうだったのかもしれませんが。

当時、先生はかなり本格的なカメラをお持ちで、

私たちの記録をたくさん残してくださいました 

 


霞台中学・一期生・バレー部の四人が

蘇畑先生に鎌倉へ連れて行っていただいたとき、

由比ガ浜の海岸にて、先生に撮影していただいた写真です 


・・・Yちゃん、KUNKUN、 EMIちゃん

   許可なく勝手に写真を掲載してしまいました 

     どうぞ蘇畑先生への哀悼の意に免じてご容赦くださいませ・・・

 

[晴海中学校]のみなさま、

そして霞台中学のみなさま。。。

これからも、折あれば。

蘇畑瑠璃子先生という、凛々しく素晴らしい教師がいらしたこと

思い出してくださいませね 

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夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・Part4

2024-09-09 | ★Diary★

9月に入ったというのに、相変わらず猛暑の日々が続いておりますが、

みなさま、お元気でお過ごしでしょうか?


こちらは・・・

つい先日、幼馴染のYちゃんのお父様がお亡くなりになりました   

5月の末頃から入院なさっていたのは存じていたのですが・・・


ふだん、Yちゃんと私は、必要伝達事項があるとき以外、

ほとんどメールのやり取りはしていなかったのに、

ここのところ、父の死にまつわることを思い出しつつ過ごしていたせいか、

なぜかふと気がむいて、

『毎日暑いけど元気? 無理しないようにねっ

何気ないメールを送ったところ、その翌日。

『メールありがとう。返信が遅くなってごめんね。

じつは昨日、父が・・・』

という返信が・・・


家族葬とのことでしたので、お弔いには伺わず、

母とお線香をお渡しするのみといたしました。

 


ひとりぼっちになってしまったYちゃんのことを思うと、

心が痛みます・・・

頬もこけ、すっかり痩せてしまったYちゃん・・・

これから彼女が少しずつでも笑顔を取り戻してくれるよう、

さりげなく応援していきたいと思っております。

 

追伸

ソライロノタネさま

いつも心和むエピソードや、おやさしいコメントをありがとうございます 

シニアの悲劇]・・・傷はもう癒えましたでしょうか?

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