『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・常連のセレモニー(下)/天ぷら『ひらお』

2011年09月25日 00時45分35秒 | ■つれづれに(日記)


 たっぷりと「大根おろし」が入った「天つゆ」――。「白身の魚」を沈没させるほどひたすと、いっそう食欲が増してくる。その天つゆがしみた白身魚を器の中で二つに折り、一切れを口へと運ぶ……。「天ぷら」と「胃袋」との“美味なる遭遇”。嗚呼(ああ)。この“瞬間”とセラビー氏との友情のために、はるばる20数キロもの道のりを車を飛ばして来たのだ。
 
 ……と“小さな幸せ”に入りかけているところへ、おや? 今夜はもうエントリーNo.2のエビが揚がって来たではないか。たった今しがた口に含んだばかりの白身魚は、やっと咀嚼(そしゃく)の道半ばというのに。いつもより少しタイミングが速くはないだろうか? 

 店が混んでいるから? しかし、セラビー氏との「時間帯」はいつもこの夜7時台半ば。結構「待ち客」がいる状態が当たり前となっている。それでも、このような“性急なタイミング”は記憶になかった。

 とは言え、『ひらお』にしてみれば、早く“揚げたい”のも無理はない。今夜は“立ち待ち”が出るほど。「待ち席」も早々と満席となっている。「客の回転率」を上げるためにも、いや、ベンサム先生流の『最大多数胃袋の最大幸福』のためにもやむをえまい。……とわが身を説得しているところへ、何とブタナスカボチャとがトリオとなって来たではないか。 ん? こりゃ、いくらなんでも速くない? 

       ☆  ☆  ☆

 今夜は何かが違う――。いつもは地味な出で立ち親爺による「天ぷら揚げ」。だが今夜は威風堂々たる「シェフ・スタイルの女性」。長い髪、はっきりとした顔立ち、そしてやや濃いめのメイク。客席への配慮の具合からして、並みの従業員ではないのだろう。何とも言えない存在感が漂う。
 
 彼女は「天ぷら」を揚げながらも、常に客席全体を見まわしている。かなり手慣れた様子であり、その所作には無駄がない。店全体に気を配りながら「具材」をボールに入れ、揚げたり、返したりのタイミングを見極めているのだ。確かにいつもの親爺達に比べ、明らかにその手元の作業が早く、またスマートだ。ということは、「銀バット」に運ばれてくるタイミングも当然早くなる……。

 そう察知した筆者は“常連”としての自覚のもと、急遽“セレモニー全体の構成”をアレンジする決心をした。言うまでもなく、こちらも“揚げ方のスピード”に合わせた“食べ方”をしなければならないのだ。

 そう想って、あらためて「銀バット」を見た。エントリーNo.2の「エビ」……その上を「マント」のような「ブタ」が覆っている。その横には、「カボチャ」「ナス」「ピーマン」の野菜トリオが、ラッシュアワー状態だ。これまで「銀バット」を小さいと思ったことは一度もない。なぜなら「具材」たちは、いつもゆとりあるローテーションに基づいて揚げられ、一つ一つが充分な“間合い”を持って運ばれて来たからだ。それに比べて、今日のこの「銀バット」の何と小さいこと……。

 とにかく急がねば。決断後の筆者の行動は速かった。まず一度たりとも欠かしたことのない「イカの塩辛」の“おかわり”を急いだ。この「セレモニー」だけは絶対に省略したくはなかった。何ゆえに“今ここに我は在るのか”その哲学的な存在理由を問われかねないからだ。それに加え、今日初めて口にする壺入りの「わさび味噌」をご飯の上にのせた。無論、「キュウリの漬物」を継ぎ足すことも忘れなかった。

 ようやく、隣のセラビ―氏を見る余裕を得た。……いつもながらの上品でおっとりしたマイペースの動作――。それでも、さすがに「口も手も」ともに“忙しそう”だ。それはそうだろう。同じ“常連”として、天ぷらも食べなければならない……イカの塩辛と漬物のおかわりも……、それに「わさび味噌」も味わいながらである……。セラビー氏は、先ほどの「女性シェフ」に奨められたこの「わさび味噌」がかなりお気に入りのようだった。一口食べた後、『はまりそうですね』と言ったほどだ。

 その彼も筆者同様、“常連”としての自覚を胸にしているに違いない。筆者はそう確信しながらも、「イカの塩辛」の消化具合と、銀バット上の「天ぷら」達それぞれの「油のまわり具合」を計算してもいた。そして、「エントリーNo.7」すなわちトリを務める「イカ」との最後の「決戦」に備えようとしていた。
 
 その決戦が終われば、あとは“すみやか、かつ、爽やかに席を立ち”、「待ち客」の“胃袋の幸福”を少しでも早くするという一点しかない。だがこの“一点”こそが、この店における“常連”としての“最後”の、そして“究極のセレモニー”となるのだ。(完)

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・常連のセレモニー(上)/天ぷら『ひらお』

2011年09月21日 12時13分53秒 | ■つれづれに(日記)


 福岡に『ひらお』という「天ぷら」の専門店がある。眼の前で「揚げたて」を食べさせてくれる、地元ではよく知られたお店だ。とは言っても、セレブ用の高級店ではない。庶民感覚の店であり、サラリーマンから高齢者、それに恋人、夫婦、家族連れと客層が広い。日曜祭日の夜など、ファミレス感覚の家族連れで賑わう。

 この店はわが友《アドリブログ》のセラビ―氏との行きつけの店であり、今年はほぼ月に1回のペースで出かけただろうか。このあいだの日曜夜も、二人で「早良店(さわらてん)」へ行ったばかりだ。

 市内近郊に、本店他5店の系列店があるという『ひらお』――。店内はどこもほぼ同じようなレイアウトで統一されている。仕込みや調理場から完全に分離した「客席」部分は横に長い。「早良店」の場合、「天ぷらを揚げるコーナー」が両サイドにあり、全部で34、5の「カウンター席」に囲まれている。そのいずれの「席」からも天ぷらを揚げる様子を眺めることができる。

 「客席」はすべてカウンターであり、テーブル席は一切ない。店内の「周囲」に壁を背にした「順番待ちの席」が設けられ、多いときは「立ち待ち」を含めて40~50人が待っている。だが待ち時間は意外に短く、「立ち待ち」が出ても20分以上待つことはないようだ。順番が繰り上がるたびに移動して進むわけだが、この「順番待ちの席」からも「天ぷら」を揚げる様子がよく判る。と同時に、食事をしている顧客の動きも見渡せる。

       ☆   ☆   ☆

 何と言っても、この店は“うまい”し、“はやい”。そのうえ価格が“リーズナブル”と来ている。筆者の定番でもある人気メニューの「お好み定食」は780円。小さな「どんぶり飯」に「味噌汁」、それに「天ぷら」は、白身魚、豚、エビ、イカにナス、ピーマン、かぼちゃと七品の具材がつく。

 しかし、この店の最大の魅力は、筆者の“DNAの源泉”とも言うべき「イカの塩辛」が食べ放題ということにある。だがセラビ―氏も、実は筆者に負けず劣らず「イカの塩辛」大好き人間だ。もしも『ひらお』にこの「イカの塩辛」がなかったなら、二人がこの店にこだわる理由はなかっただろう。

 われわれは、今やすっかり『ひらお』の“常連”と言える。なぜなら、“常連”の行動には共通した“暗黙の行動”が見られるからだ。ところでこの場における“常連”の定義は、セラビ―氏のような一部の青年を除けば、“おおむね”というか“ほとんど”が「チューネンオヤジ」ということになるだろう。

 ともあれ、まず“常連”はカウンターに着くなり、当然のように2枚の「小皿」を自分の事実的支配領域に引き寄せる。次にこれまた当然のように、そのうちの1枚に「イカの塩辛」をしっかりと盛り付け、残ったもう1枚の皿に、数種の中から選んだ漬物などを取り分けるというもの。

 この“一連の行動”は、黙々としかも流れるような動作に基づいて行われる。そこには一縷の無理も無駄も、そして寸分の躊躇もない。しかもこのような“一連の行動”は、何も筆者とセラビ―氏だけにとどまらないのだ。あたかもそれが長年受け継がれて来たこの店の“伝統的なセレモニー”でもあるかのように、カウンターのあちこちで静かにかつ整然と行われている。

 そしてこの“セレモニー”が終了する頃、タイミング良く「ご飯」と「味噌汁」が運ばれて来る。だが“常連”にとっては、実はここからが“本番のセレモニー”となる。それは「イカの塩辛」を、「ご飯の最初の一口」とともに食べるということだ。つまりは「揚げたての天ぷら」が運ばれて来るまでの、いわば“前座のセレモニー”となっている。
 この“前座”の盛り上がりがあればこそ、“揚げたて天ぷら”との“美味なる遭遇”が、胃袋に“感動的なクライマックス”をもたらすのだ。

 ……てなことを考えているうちに、エントリーNo.1の「天ぷら」が揚がったようだ。目の前の「銀バット」に「白身の魚」がのせられる。「イカの塩辛」によって誘い出された食欲がぐんと増し、胃袋との本格的な臨戦態勢が整う。 よっしゃあ~!   (続く)

       ★   ★   ★


 ※「銀バット」:「揚げたて天ぷら」をのせるスチール製の容器すなわち「バット」。「銀色」であるところから、同店では『銀バット』と呼ぶとのこと。

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・『ランチボックスのエレジー』……その後

2011年09月12日 12時24分47秒 | ■つれづれに(日記)

  

 
 この数日、知人から次のようなメールが来ました。

 ――“あのランチボックス”……その後どうなりましたか?

 また、インテリアコーディネーターの教え子でもあった女性は、

 ――ミスターランチボックス、ずっと気になっています……。

  彼らの関心は“筆者のこと”より、“ランチボックス”の方にあるようです。それにしても“気になる存在”として「ミスター」とまで呼ばれる「ランチボックス」――。何とも羨ましい。

 だが“ミスター・ランチボックス”は、すでに「ランチボックス」としての“職務”から引退しています。そのため、今後はその華麗なる外観の色調に敬意を表し、「ミスター・ネイヴィーブルー」と呼ぶことにしましょう。

       ☆   ☆   ☆

 『ランチボックスのエレジー:(下)』のラストシーンをご記憶でしょうか。筆者が「弁当専門店」の「弁当」に切り替えるとの決意を言葉にしたとき、それは「ランチボックス」との“別れの瞬間”を意味していました。

 しかし、その“別れ”とは「ランチボックス」としての“使命”を終えた“別れ”であり、「ランチボックス」そのものが筆者の元から消え去ったわけではありません。事実、“彼”は拙宅におり、いつも筆者の身近にいます。どうかご安心ください。

 今思えば、「ミスター・ネイヴィーブルー」の「ラッチボックス」としての“現役生活”は、わずか十数日にすぎませんでした。それも「ランチボックス」らしい“起用”を受けて登場したのは、その半分いや三分の一にも充たないでしょう。

 もし彼が「プロ野球」の「投手」であったなら、まことにアンラッキーな選手であり、不本意な起用に遭遇したことになります。チームに迎えられ、「先発投手」として起用されたその“初日”に、肩に違和感を覚えたというところかもしれません。

 それでも、かっての「神様、仏様、稲尾様」よろしく、翌日もその翌日も起用され……その後、「故障者リスト」入りしてメジャーリーグのブルペンから姿を消したということになるのかも……。

       ☆   ☆   ☆

 とはいえ、いつまでも過去を引き摺っているわけにもいかないようです。……そこで“彼”の近況報告を――。

 現在、彼はベテラン(引退者)として静かに“余生”を送っています。といっても、何もせずにぶらぶらしているわけではありません。「冷蔵庫」の中に自分の“居所”を見出した彼は、ちょっとした「おかず類」の管理責任者つまりコーチとしてプレーを続けています。

 「辛子めんたい」を受け入れる時もあれば、「佃煮」類の時もあるようです。「中仕切り」も健在ですが、どちらかといえば、液体系が苦手のようです。そのため、「イカの塩辛」を担当することはないのかもしれません。

 他の「おかず入れ」が色身のないものばかりであるため、冷蔵庫を開けたとき、眼に飛び込んでくる「ネイヴィーブルー」は、よく映えます。もちろん、“あの蓋付き”です。

 もはや「ランチボックス」として筆者と一緒に移動することはありません。そのため、バンドできつく全身を拘束されることも、外力の抑圧を受けることもなく、静かに冷蔵庫という平穏な空間の中で時を過ごしています。

        ☆

 彼が再び「ミスター・ランチボックス」として起用される日があるかというご質問ですか? 

 う~ん……どうでしょうか。おそらく当分はないのではないでしょうか。

 なぜなら、“あの監督”――。あの後に入って来たうら若き麗しきY嬢と、「ミスター・ランチボックス」の引退のきっかけを作った……つまり「弁当専門店」のランチを勧めたTさんとの「ランチタイム」を堪能しているからです。

 二人の美女と“同じランチ”をともにしながら、少し鼻の下を伸ばした“あの監督”の表情を見ている限り、「ミスター・ネイヴィーブルー」が再度「ミスター・ランチボックス」に戻る可能性は、今のところ限りなく……に近いような気がしますが……。

 もちろん、気まぐれ屋の“あの監督”のこと、いつなんどき……ということもありえないわけではありません。
 
 ……ということにしておきましょうか。

                    

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・十団子も小粒になりぬ秋の風  森川許六

2011年09月09日 00時22分32秒 | ■俳句・短歌・詩

 

   十団子も小粒になりぬ秋の風  許六

  作者は芭蕉門下の俳人、「蕉門十哲」の一人と言われた森川許六(もりかわきょろく)。画業にも優れた技を残したと言われる彦根藩士でした。

  十団子(とうだご)と読み、東海道の「ある峠」で売っていた名物の「だんご」のようです。しかし、句の鑑賞には、そのような知識はなくともいっこうに構わないでしょう。むしろ「特定のだんご」ではない方が、場所やだんごのイメージが固定されず、解釈やイメージに “遊びや余韻” が生まれます。串刺しの団子よし。皿に盛られた団子またよし……。

  筆者にとって “この風” は、初秋から仲秋にかけての、やや “冷やかさ” を含んだもののような気がします。無論、“晩夏” から “初秋” の変わり目の一瞬……としてもよいのですが、そうなればあまりにも “秋そのもの” を大きく捉えることとなり、“だんご” を “こつぶ” と感じた “俗世の凡庸さ” が、今一つ伝わらなくなるように思えてなりません。

  「桐一葉」であれば「落ちて天下の秋を知る」であり、「立秋」つまりは初秋の風をそこに感じることでしょう。しかし、ここは、“だんご” とその “こつぶさ”――。それを “さりげなく” 感じ取る「市井の人」の日常性と感覚に任せたいと想います。

 となれば、ひっそりとした秋の、そのたたずまいのなかの “風” となるような気がするのですが……。

           ☆   ☆   ☆

   何処にでもある「峠の茶屋」が想い浮かぶことでしょう。街中と異なり、山あいの峠道は閑散としており、人の姿もまばらなようです。夕刻近まる秋の日差しには、思わずハッとするような冷やかさが感じられます。

  「○○路へ三里」の路標が、小さな木陰に守られるように立っています。傍らに腰を降ろしている旅人。その横を遍路旅の夫婦が会釈をしながら通り過ぎ、視線の先の峠下には、何かの「一座」がこちらへと向かっているのでしょうか……。飛脚の姿が次第に大きくなって来ているようです。

  「峠の茶屋」から職人風の男が二人出て来ました。取り留めもないことを語り出し、互いに適当な相槌を打っています。
  ややあって――、 

「なあ。おめえ気がつかなかったか?」
「何が?」
「今の茶屋、ひさご屋だ」
「ひさご屋がどうした?」
「だから、おめえは鈍いってんだ。だんごだよ。だんご……」
「だんごがどうした……」
「ほんとに気づかなかったのか……」

  やむなく男は、独り呟くように、
   “あの団子、なんか小さくなったような気がするんだが……”

  だが、もうその話は終わったようです。その後も、二人の取り留めもない会話が続いています。
  やがて「峠の茶屋」に、飛脚の息づかいがまじかに聞こえ、二人の姿は豆粒ほどの大きさになっていました。

 一陣の風に、近づく夕刻の冷えがまた少し感じられるようです。

           ☆

 

 ※参照句(☟クリックしてください)

 ◆閑や岩にしみ入る蝉の声/芭蕉(上)

 ◆閑や岩に染み入る蝉の声/芭蕉(下)

 


   ★★★ 鮮烈のデヴュー❢★★★

 ――あたくし的には、ここはやっぱり……、

   みたらしもこつぶとなりぬ秋の風

  なんかどうかしら。……でもやはり「みたらし団子」では、まともに “かぶって” しまうでしょ? と言って「おだんご」の代わりに「ケーキ」はないし……。ここは「マロングラッセ」って雰囲気かな。季節的にもちょうどいいのかも……。

   マロングラッセもこつぶとなって秋の風

  上五の八音の「字余り」りも気にならないでしょ? カタカナ表記で少し洒落た感じもあるし。中七の「こつぶとなって」も、お話しが弾みそうな気がしない? 「おだんご」では、どうしても年配の方のイメージがあるように想うの。

 その点「マロングラッセ」は、アラフォーのあたくしなんかには、少しも不自然ではないでしょ? ねっ? ……この句良いと思いません? 

 なんだかあたくし、俳人になれそうな気がするの。「カタカナ文字」と「字余り」をふんだんに使って、歌人の俵万智さんのような俳句を作ったら話題になるかもしれないわね。

  俳壇の俵万智鮮烈のデヴュー……って。

 ところであの方に匹敵するような「俳句界の女流」の方ってどなたがいらっしゃるの? どんな作風の方? 

 それにその方の魅力…… つまり……その……ちょっと言いにくいの…… 女としての魅力……って意味なの…… その中にあたくしが入って行く……ってことなんだけど、どうかしら……。率直におっしゃって……。 

  ねえ? 聞いてる? あれ……? ね~え。あれっ? やだあ~ 眠ちゃったの……? 


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・時を超えて:下/V.E.フランクル『夜と霧』

2011年09月01日 14時44分42秒 | □愛読書及び文学談義

 

 父は英書に示されたアウシュビッツのあるポーランドの地図を示した。「強制収容所」の位置がいくつもあり、父はそこで行われた実態を、原書の一部を拾い読みしながら話し始めた。と同時に、最初は見せなかった屍体の写真も見せてくれた。

 ……労働と飢餓により骨と皮だけとなってうずたかく積まれたもの。処刑されたもの。ブルドーザーにより取り除かれるもの……。それらの夥しい屍体の山は、どれもが信じがたく、とても現実に起きたものとは想えなかった。

 だがそうした事実が、偽りのない歴史として残されたことにひどく傷ついた。子供なりに“人間というもの”についての信頼や安心が、揺らぎ始めた瞬間であったと言えるのかもしれない。

 少年は“生々しい人間世界の現実”を覗き見たのであり、その“リアリティ”のインパクトとその持つ意味の大きさに圧倒されていた。しかし少年はこれ以降、こっそり父の書棚の本を開き、また拾い読みすることとなった。それは生来の“読書好きの少年”を、“終わりのない本の世界”へと誘うきっかけとなった。

        ★  ★  ★

 それから十余年後、私は法学部の学生となっていた。大学生協の書籍売場で拾い読みしているとき、『夜と霧』という背表紙の表題が眼を引いた。題名がとても気に入り、導かれるようにその下の小さな副題に視線が行った。そこには「ドイツ強制収容所の体験記録」とあり、手にした表紙のセピア色の写真に釘付けとなった。  

 銃を抱えたドイツ親衛隊の前で、あどけない帽子姿の少年が手を挙げている(いわゆる「ホールドアップ」している)。その少年の隣で、一人の婦人が手を挙げたまま、少年とドイツ兵を振り向いて見ているようだ。少年の母親なのかもしれない。……どこかで見たことがあるような写真……と想ったそのとき、一瞬にして小学三年生当時の記憶が甦った。
 
 永く喪っていたものを探り当てたような気持だった。私は急いで巻末の写真をめくった。やはり、“それらしき写真”があった。紛れもなくあの日に見せられたのと同じような写真だった。私は軽い興奮を感じながら、その本をレジまで運んだ。

        ★  ★  ★

 いま手元に『夜と霧』(みすず書房)がある。数年前に新たに購入したものだが、学生時代に生協で購入したものと変わりはない。何気なく目を通したある一節に釘付けになった。

 心理学者でもあった著者のフランクルは、新婚早々、妻とともにアウシュビッツへ送られた。彼は著作の中で、学者としての怜悧な観察と緻密な分析に徹している。それが抑えの効いた文章であるだけに、背景としての残虐で悲惨な状況が、いっそう不気味にまた切々と伝わってくる。彼は述懐する。

 
 ――収容所という、考えうる限りのもっとも悲惨な外的状態――できることといえば、その苦悩に耐えることだけであるような状態にあっても、人間は愛する人間の精神的な像を想像して、自らを満たすことができるのである。

 彼が収容所の中で死の恐怖と闘いながら、そのような思索を続けているまさにそのとき、最愛の妻は同じ収容所の中ですでに殺戮の被害者となっていた。のみならず、両親と二人の子供も、ガス室や飢餓によって死に追いやられていたのだ。彼はそのことを想定しながらも、なお次のように述べている。

 ――愛する人間が生きているかどうかということを、私は今や全く知る必要がなかった。そのことは、私の愛、私の愛の想い、精神的な像を愛しつつ見つめることを一向に妨げなかった。もし私が当時、私の妻がすでに死んでいることを知っていたとしても、私はそれにかまわずに今と全く同様に、この愛する直視に心から身を捧げ得たであろう。 

 この「愛する直視」に敬服するとともに、妻への愛をこれほど確信的かつ純粋に言い留めえたことに驚く。殺戮する側とされる側という極限状況……。その中にあっても「あるべき人間」を捨てず、高雅な精神を保ち続けた人間が存在していた。

 『夜と霧』――。数少ない愛読書の一つとなっている。同時に小学三年生のあの時、父が写真を見せてくれたことにあらためて感謝しながら、自分がフランクルの立場であったらと何度も考える機会があった。

 いつの世においても、そしてどのような状況下においても、人間の尊厳と希望は喪われない。無論、それは深い洞察力と人間性によって初めて可能になるのだろう。そういう崇高さと可能性とを学ぶことができる。(了)

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