もう16、7年前の話になる。当時、川沿いの鉄筋ビルの1階を借りていた。
入口全体がガラスの自動ドアとなっていたため、とても開放感のあるオフィスだった。そのため人通りは少なかったものの、道を尋ねる人やさまざまな営業マンの訪問を受けることがちょくちょくあった。
そんな春先の或る日――。
女性スタッフ二人が帰り仕度をしていたように記憶している。明らかに夕刻に近い時間だった。自動ドアが開く鈍い響きとともに、小学生とおぼしき一人の少年がふらっと入って来た。少年は以前この近くに住んでいたといい、昔の友達を訪ねているうちに道に迷ったようだ。だがよく話を聞けば、どうもそれだけではない。少年の話から、次のことが判った。
(1)小学生と思った少年は、何と15歳の中学3年生。
(2)福岡市に隣接する前原(まえばる)市に居住している。
※筆者のオフィスから15、6km近く離れている。
(3)昨日の放課後、他校の友人と二人で福岡市内の繁華街へ行き、「ゲームセンター」
で遊んだ。
(4)遊びのお金は、友人がその兄の財布から失敬したもの。
(5)だが友人が「ゲームセンター」で財布を落としたため、二人とも家に帰ることができなかった。
(6)長距離走が得意な少年は、連れの友人を「ゲームセンター」に残して走って来た。
※繁華街の「ゲームセンター」から筆者のオフィスまでは約4km。
(7)少年は、丸一日何も食べていない。
少年はとにかくよく喋った。気づいた時、二人の女性スタッフも興味深く話に聞き入っていた。その二人が、「トースト」と「インスタントスープ」を用意してきた。彼女たちと少年との会話が始まった。
「夜はどこで寝たの?」
「……谷公園」
「寒かったでしょ?」
「……ダンボールで寝た。おじさんが、そこはおれの寝る場所やけんて言うて、はじめは喧嘩になったばってん、仲良うなって一緒に寝たっちゃん……」
どこか“話慣れ”した少年は、少しも臆することがなかった。話ながらもひたすら食べ続け、あっと言う間にすべてを胃袋におさめてしまった。入って来た直後の30分前と比べ、少年の表情には安堵と余裕とが感じられた。それに伴って少年はいっそう饒舌になり、自らいろいろなことを語り始めた。
しかし、私はどこか腑に落ちなかった。お金がないとはいえ、何も「野宿」までする必要はないはずだ。電話一本で家族も駆けつけるだろうし、長距離走が得意というのなら、2時間半もあれば充分帰り着くのでは……。
私は、尋ねたい気持ちをぐっと抑えながら――、
「君とお友達の分のバス代を貸してあげるから、すぐに帰りなさい……」
そう言って、少年が申し出た金額の「硬貨」を少年の手に握らせた。少年はそれを無造作にズボンのポケットにねじ込んだ。一瞬、その表情にほんのちょっと“しめた!”といった笑みが走った。だが私は黙って語りかけた。
「お家の人に、“今から帰ります”と、そこの電話からかけてごらん」
私の提案に少年は間髪入れず、
「さっき、電話したけん……」
と、その質問を予想していたかのような答えだった。だがそれが嘘であることは、後で判った。