『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

若い雲水の叱責(叱られるために―下)

2010年04月20日 20時04分43秒 | ■禅・仏教


 参禅者の食事の世話や「作務(さむ)」(※註1)の指導は、三、四人の雲水が担当していた。だが吉田さんの叱責役は、いつも決まった雲水だった。その雲水に対し、何人かの参禅者(私もその一人)は、正直言ってあまりよい感情を持つことができなかった。みんなの想いは、以下のようなものだったろうか……。

 ……雲水といっても、大学を出たての世間知らずの青年にすぎない。その彼が、何十人もの社員やその家族のために日夜苦闘している五十歳半ばの中小企業の経営者に、あのような言い方をしてよいものだろうか。曹洞宗において、いかに「作法」が重視されるとはいえ、吉田さんは故意に間違えたわけでも、真摯な態度を欠いたわけでもない。

 仏道の大きな慈悲心と、何ものにも執着しない禅の奥義からすれば、作法における一所作のミスなど、取るに足らないものだ……。

 ……歳を重ねるにしたがって、人はどんなに注意しても忘れたり、間違えたりするもの。それは免れることのできない“生老病死”の一局面ではないか。あの雲水には、年配者を思い遣る気持が欠落しているように思う。“叱る”そのことが悪いのではない。問題は“叱る側”の心のありようといえる……。

 三泊四日の参禅修業が終わる最後の夜がやってきた。明日の昼頃には、永平寺の山門をくぐって娑婆に戻ることができる……。控室はその空気に包まれ、参禅者全員がささやかな解放感に浸り始めていた。そのとき、吉田さんが連れの若い社員とともに改まった態度で挨拶を始めた。

 『叱られてばかりの私に、みなさんは呆れたり、不愉快な思いをされたりしたことでしょう。今回で三回目の参禅となるのに、我ながら作法の憶えが悪いと思います。仕事のことは一回聞けば理解でき、絶対に忘れることはないのですが。それなのに、永平寺に入った途端「駄目人間」になってしまって、叱られてばかり……』

 吉田さんは、微笑みながら若い社員の方に視線をやった。

 『でも本当のことを言えば、私がここに来る理由は“叱られるため”と言えるでしょう。会社での私は、若い社員や下請けの人をよく叱ります。無論、理不尽な叱り方や憎悪の感情をもって叱ることはありません。それでも、叱った後はいつも反省しています。“本当に叱る必要があったのだろうか”。“叱り方や叱る言葉は適切だったろうか”。“そもそも自分には、人を叱る資格があるのだろうか”……と』

 そう言う吉田さんには、作法を間違えておどおどしている「参禅者」の表情はまったくなかった。明らかに「企業経営者」としての威厳と力強さが感じられ、その口調や視線の配り方には風格さえ漂っていた。

 『ここで叱られるたびに、私は社員や下請けの人々を叱った自分を想い出し、反省させられるばかりです。今の私を叱ってくれるのは、この永平寺しかありません。ここで叱られなかったら、私は自分というものを深く掘り下げて見つめることは無いのかもしれません。
 人は誰であれ、“一方では叱り、他方では叱られる”という“巡り合わせ”、いえ“使命”を担っているような気がします。いつも私を叱るあの雲水にしても、先輩の雲水から叱られていることでしょう。そしてその先輩の雲水も、また別の雲水から叱られているはずです』

 『私がここに新入社員を連れて来るのも、惨めに叱られている自分の社長をしっかりと見つめ、“叱ること”また“叱られること”の意味をじっくり考えてもらいたいからです。そしてこの彼が会社に戻ったとき、ここ永平寺で見聞したことをそのまま他の社員に伝える役目を担っています。そのための「同行者」であり、「報告者」なのですから。ある意味では“叱られ役”の私より大変な役目かも知れません』

 誰一人、口を開くことはなかった。参禅者の眼差しは、一点となって吉田さんの口元に注がれていた。

 “自分はなぜこういう気付きができなかったのだろうか……”
  私は、ただひたすら自分の不明と不遜を恥じるほかなかった。(了)

   

※註1:作務は、そのほとんどがトイレ掃除。毎日1時間以上徹底的にやらされました。というより、誰もがその作務に真剣に励んだものです。

 

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永平寺の座禅修行(叱られるために―上)

2010年04月14日 19時46分12秒 | ■禅・仏教

 

 ニ十余年前、初めて福井の永平寺に“坐禅修行”に訪れた時の話だ(※註1)。
 十人ほどの参禅者の中に、大阪から来た二人の男性がいた。名前は忘れたが、一人は五十歳代、もう一人は二十代の前半だったろうか。二人の会話の様子から、初めは父親と息子と思っていた。

 だがすぐに判ったことだが、二人は中小企業の「社長」とその会社の「新入社員」だった。その会社では、毎年、一人の新入社員が社長の“坐禅修行”に同行することになっているという。会社は「機械工具メーカー」のように記憶している。

 この社長、名前を『吉田さん』としておこう。とにかく、事あるごとに「指導僧」から叱られてばかりの人だった。指導僧といっても、永平寺では一番末席の“雲水(うんすい)”であり、その年の春に大学を卒業したばかりの、まだ二十三、四歳の若い青年だった。

 吉田さんは、ことに食事中に叱られることが多かった。三度の食事のたびに、何か一つは「作法」を間違えていたように思う(※註2)。そのたびに、若い雲水から容赦ない叱声が飛んだ。

 ――何度教えたらすむのですか。
 ――本気で修業する気はあるのですか。

 最初は気の毒に思っていた他の参禅者も、吉田さんがあまりにも叱られることが多いので、半ば呆れたような受け止め方をしていたように思う。そのため、吉田さんが一度も叱られないまま食事を終えたとき、誰もが心の底からほっとしたものだ。「控室」(※註3)に戻ったとき、だれからともなく小さな拍手が湧き起こった。

 最後の夜となった三日目の夕食。その食事でも、やはり吉田さんは作法を間違えて雲水に叱られた。控室に戻ったとき、たまたま眼が合った私に、彼は呟くように言った。
 『みなさんには、ご迷惑ばかりおかけして。子供の頃から、とにかく格段に“物覚え”が悪かったものですから……』

 “……それなのに、社員何十人もの中小企業の経営者が務まるとは……”。
 他の参禅者の偽らざる気持であり、私にしても同じだった。だが“物覚えの悪さ”を滔々と語る吉田さんの表情には、一縷の暗さも卑屈さもなかった。
 
 語り終えた吉田さんは、いつものように「新入社員」の青年と言葉を交わし、自分の練習用にと持ち込んだ「応量器(おうりょうき)」(※註4)を包んだ布を解(ほど)き、作法を再確認するように畳の上に広げた。そこへ別の参禅者が「雲水役」となって、応量器に“食事をつぐ”真似を始めた。

 この“真似事”は、食事後の控室での日課であり、吉田さんの食事作法の練習相手を務めることは、参禅者全員の“暗黙の奉仕”だった。

   

※註1:『一休の頓知問答(上)』参照。
※註2:食事の作法は、とにかく“こと細かく”決められています。茶道の作法と同じようなものと考えると、その大変さが理解できます。
※註3:ここで寝起きし、また休憩をとった。男性と女性とは、階が異なった「控室」に分けられ、一切行き来することが許されませんでした。また永平寺の敷地の外に出ることは許されず、家族の死亡以外は、電話をすることもその取次も禁止されていました(この時代、携帯電話はありません。あったにしても、無論、使用禁止となっていたでしょう)。
※註4:「応量器」とは「食事用の器」を意味する曹洞宗での呼び方。「入れ子式」の大中小5種類の器を食事の器とするもの。一番大きな器を「頭鉢(ずはつ)」といい、これはご飯やお粥用の器。お釈迦様の頭の形に似せたものとされ、直接口をつけることができません。そのため、「お粥」のときは「匙(さじ)」で食べます。器は本来、無垢の「欅(けやき)」に漆塗りというのが正式のようですが、残念ながら参禅者用はプラスティック製でした。

 

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・『第三の男』(映画は脚本-下)

2010年04月07日 18時52分44秒 | ◆映画を読み解く

 『……イタリアでは、ボルジア家30年の圧制下に、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、そしてルネッサンスを生んだ。スイス500年の同胞愛と平和が何を生んだ? ……鳩時計さ……。』
 
 この「映画」の中で私が一番好きな「場面」であり、「セリフ」だ。もうお判りの方もいらっしゃると思う。映画は、オーソン・ウェルズ主演の『第三の男』。

 掲出のセリフは、希釈したペニシリンを売りさばく“闇の商人”ハリー・ライムのもの。彼の「希釈ペニシリン」によって、死者や痛ましい身体毀損の被害者が続いていた。病院でその姿を目の当たりにしたハリーの親友ホリー・マーチンズ(ジョセフ・コットン)は、自ら囮となって彼を警察に渡すことを決意する。時代は、第二次大戦直後の不安定な世情のウィーン(オーストリア)。二人が乗った夜の大観覧車が、何とも物悲しく二人の運命を暗示している。

 最後の『……鳩時計さ』という口をすぼめた“捨てゼリフ”は、シニカルではあってもどこか茶目っけを感じさせる。それは、自らの悪行を正当化するハリーの世界観や人間性を巧みに物語るものであり、また自らの弱さと曖昧さを現実の中で正当化しようとする“こういう類の人間”の狡猾さをよく表している。

 夜が織りなす光と影を背に立つハリー・ライム――。その黒い帽子と黒いコートが、このドラマに登場する人物たちの暗部を示唆しているようだ。同時に、ドラマ全体の時代背景や闇社会の存在を彷彿とさせる。

 映画『第三の男』の、まさに“第三の男”にして可能なセリフといえる。“喋りすぎず”また“寡黙になりすぎず”、絶妙なタイミングで観客の“イマジネーション(想像力)”と“クリエイティビティ(創造力)”を喚起しようとしている。優れた「ドラマ」すなわち「脚本」の必須条件と言える。

 映画やテレビ、それに舞台演劇は、所詮“フィクション”でしかない。だが優れたフィクションは、“ノンフィクション”のただ中に生きている“観客”の“共鳴”や“共感”を強く誘う。そしてその共鳴や共感は、優れたドラマから刺激を受けた“観客”のイマジネーションによって増幅するとともに、“観客”自身のクリエイティビティをさらに膨らませる。だからこそ、いっそうそのドラマの中に入り込んで行けるのだろう。

 先日、TVドラマの『不毛地帯』が終わった。初回こそ惹きこまれて観たものの、二回目以降はほとんど観ることがなかった。それは「脚本」ことに「セリフ」にあまり魅力が感じられなかったからだ。説明調のセリフが多く、観る側としては、イマジネーションを刺激されることもないまま、クリエイティビティの働く余地もなかったように思う。だらだらと物語の進行に付き合わされているような印象を受けた。

 それにしても、冒頭の“セリフ”。その内容も凄いが、このセリフをオーソン・ウェルズ自身が考え出したというところがさらに凄い。正直言って無条件にシビれたし、何度観てもその感動は色褪せない。「脚本」の“場面構成と登場人物とセリフ”との“絶妙な組合せ”の勝利と言える。無論、その“絶妙な組合せ”は他にもふんだんに出てくる。この『第三の男』に限らず……。“名作”といわれるものには……。 (完)





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