“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

『漢和辞典的に申しますと。』( 円満字二郎氏) を拝読していて(2)

2017-05-14 11:46:59 | 日記
こんにちは。
昨日、しろねこの地域では、終日雨でした。

随分記事が離れてしまいましたが、3月20日にお出しした、「『漢和辞典的に申しますと。』を拝読していて(1)」の続きです。

しろねこが1度目の拝読を終えたのは、先月エイプリルフールの日。発売が3月10日で、11日から読み始めたので、160本のお話に約20日間かかったということになります。
前回(拝読開始から10日目に当たる)の記事に、「半分は読んだ気がする」と思って、そう書きましたが、目次のコピーをマーカーで塗っていくと、実際には3分の1ほどしか読めていないことが分かりました。つまり、残り3分の2は後半10日間で読み終えたということで、いくら朝晩の乗り継ぎの隙間時間にしか読書しないとはいえ、相変わらず読むのが遅いしろねこなのでありました。

本書は、週刊『読書人』の連載「漢字点心」の内容をもとにしたものと、ご本人のブログ記事をもとにしたものと、書き下ろし原稿から構成されているそうです。
今や第220回を越えている「漢字点心」については、しろねこは第59回より前は未読なので、一部、書き下ろしかそうでないかの区別がつかないものもあります。

「一冊にまとめるにあたって、旧稿にはかなりの手を入れました。ほとんど別の文章になったものも少なくないことを、お断りしておきます。」
と「あとがき」にあるように、特に字数の限られた「漢字点心」からの発展形では、もとのお話の、より詳しい事情が加筆されていたり、「だ・である」の文体から「ですます」の文体に変化していたり、わりと雰囲気に違いが見られます。
因みに、「漢字点心」は新聞のコラムなので、「だ・である」体になっているのは自然ですが、ご本人のブログの文体は「ですます」体です。ただし、ブログ開設当初からそうだったわけではなく、本書の[予]の項目のもとになっている2008年8月の記事(「ヨアライ再び……」)の中に、さらに5か月前の関連記事について、
「ああ、あのころは『だ・である体』で書いていたんだなあ、妙な力が入っていたなあ、などとぼんやり考えておりました」
とあるように、以前は「ですます」体ではなかったのです。

それと、数年前まで円満字さんの一人称は一貫して「ぼく」でしたが、近頃はほぼ「私」となっていて、ご本人の中で何か心境の変化があったのかなあ、などと拝読しながら考えたりしています。

本書の160の見出しの下には、それぞれ関連したイラストや写真が載せられており、それらは円満字さんの手によるものと思われますが、装丁と各章の扉絵は佐々木一澄さんという方のイラストであるということです。どれもほのぼのとした優しい雰囲気で、「漢字で見る愛のいろいろ」の扉絵は特に、すてきなアイデアだなあ! と楽しく拝見しました。

160本のコラムは、20本ずつ、「飲食、スポーツ、愛情、自然科学、人生訓、時事的な話題、季節感、そして漢和辞典編集という仕事の上での悩みをテーマとした、八つの章に分け」られています。それぞれに雰囲気の異なる面白さがありました。
文理問わない、このジャンル分けを眺めるにつけ、各々の20本の内容のバリエーションを味わうにつけ、漢字は人間の生み出した、この世を映し出す鏡の集合体なのだ、と実感せずにはいられません。そして、その鏡をのぞいて、人は何を思い、考えるのか……その案内人が、本書では円満字さんであり、読者である私たちは、ちょうど天体望遠鏡や顕微鏡を案内されてのぞくときのように、見出しの漢字をじっと眺めて、そこからめいめい自分の心に映った事柄に思いを馳せる、というわけです。

円満字さんの漢字エッセイの魅力のひとつは、ある程度長期的に拝読していると、個々の漢字に関連する、ご本人のものすごく個人的な感覚が、ふっと文章の中に織り込まれている箇所に出会うところ。客観的な漢字の観察を拝読しているつもりが、うっかりフェイントをかけられてしまいます。けれどそこから、様々な用例、文献を踏まえて、自分だけではちょっと考えの及ばない小宇宙まで連れていってもらえる。公私の境目ははっきりある中で、なにかこう、心を揺さぶられるものがあるんですよね。

私たち一人ひとりにとって、漢字との出会いや漢字の勉強というものが、義務教育の集団学習的な側面はあっても、本来はかなり個人的で、ある意味孤独な営みである、けれども、その個人的な感覚を、時にだれかと、または時空を越えた人々と共有できる……その伸縮自在な感覚を、円満字さんの文章は追体験させてくれるのでしょう。



【付記】
漢検リピーターとして本書から拾った語句を列挙しておきます。なお、珍しい漢字でも、本書の目玉ネタになるようなものについては載せていません。解説文中にあって、あっ、この語は頭に入れなきゃ! というセンサーが働いたものに限ります。
「※」印は、しろねこによるもの。

・「菜単」(中国語で、「ツァイタン」)…「『メニュー』という意味」。
※「最近は日本でもよく見かけるようになった」とあるのですが、しろねこはこの単語が記憶にないくらい、最近中華料理店に行っていないことを認識しました。

・「宿酲」(しゅくてい)…「“二日酔い”のこと」。

・「觴」(しょう/さかずき)…「もともとは動物の角を彫って作った高級品」。
※やはり、部首の力は偉大ですね。「流觴曲水」のイメージが、より具体的かつ風雅になりました。

・「白兵」(はくへい)…「本来は“白い武器”つまり“抜き身の刀など”を指すことば」。

・「蒐」(しゅう)…「古い時代の漢文では、“借りをする”という意味でよく使われています」。

・「警策」(けいさく/きょうさく)…「心がちょっとでもたるもうものなら、パシッ! と叩かれてしまう、あの棒のこと」。
※辞書(スーパー大辞林3.0)には、次の4通りの意味が載っています。
〔「策」はむちの意〕
(1) 馬を走らせるためのむち。
(2) 注意・自覚を促すこと。
(3) 文章全体を生き生きさせる重要な句。きょうざく。
(4) 〔仏〕 禅宗で,座禅中の僧の眠気や気のゆるみを戒めるためなどに用いる棒。長さ四尺二寸(1.3メートル)ほどで先が板状。きょうさく。

・「蠧害」(とがい)…「“ものごとを内側からダメにしてしまう”こと」。

・「蠧賊」(とぞく)…「国家の一員でありながら、自分の欲望のために悪巧みをめぐらして“国家を危険にさらす者”を表す」。

・「洋行」(ようこう)…「“西洋人が経営するお店”や“西洋の商品を扱うお店”のことをいう」。
※「銀行」の「行」の意味の関連で挙げられた語。因みに辞書(スーパー大辞林3.0)には、次の2通りの意味が載っています。
(1) 欧米へ留学・旅行すること。 「―帰り」
(2) 中国で,外国人経営の商社。

・「『商』を、漢詩の世界では『秋』を指して使うことがあります」。
※中国の音階と「五行」説との関係。

・「黜免」(ちゅつめん)…「“ポストを取り上げて仕事を辞めさせる”」。

・「黜罰」(ちゅつばつ)…「“仕事を辞めさせて処罰する”」。

・「徽言」(きげん)…「“すぐれたことば”のこと」。

・「徽音」(きいん/きおん)…「“すばらしい音楽”や“すぐれたことば”“うれしい知らせ”を指す」。

・「『騒』の一文字で、“詩”を指すようになった」。
※屈原の『離騒』より。

・「葵傾」(「きけい」)…「アオイの花がいつも太陽の方を向いているところから、“臣下が君主の徳を慕って、君主の方ばかり向いている”ことのたとえ」。

・「葵心」(きしん)…「“常に君主を敬い、忠誠を誓う気持ち”」

・「天漢」(てんかん)「銀漢」(ぎんかん)「雲漢」(うんかん)…「“天の川”」。

・「稲孫」(ひつじばえ)…「刈り取ったあとに伸びてくる稲の芽」。