最近感じること(ブログ版)

粕井貫次の書き下ろし個人エッセイ

詫間海軍航空隊(1944年4月)の写真は九四式水上偵察機か?

2019年06月25日 | メモリアル
息子の誠(三男)が書き込みます。
自分の記事のコピペです。

稽古なる人生
https://blog.goo.ne.jp/kendokun

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現在、奈良の自宅の和室を改装していて、
改装に伴い、押入れの中にあった物など整理している。

いつ貰ったものか、親父(粕井貫次)の写真が数多く出てきた。

今回は、そのうちの1枚に対しての疑問。

粕井貫次は海軍航空隊で水上機の操縦教官をしていた。
最後は特攻隊員として出撃30分待機を最後に終戦を迎えた。


(粕井貫次、昭和18年11月7日撮影)


(昭和19年4月、詫間空・・と裏にメモ書きがある)

さて、この水上機は何なのか?

ウィキペディアで「詫間海軍航空隊」を調べると、
「詫間空では12機の水上偵察機とともに・・・」とあり、
また別の項で「主力機種 九四式水上偵察機」とある。

九四式水上偵察機(E7K1)
全長:14.41m
全幅:14.00m
全高:4.735m
主翼面積:43.60m2
全装備重量:3,000kg
最高速度:239km/h(高度500m)
乗員:3名
発動機:九一式五〇〇馬力発動機二型水冷W型12気筒(離昇750hp・公称600hp)x1
航続距離:2,200km
航続時間:12時間
武装
7.7mm固定機銃x1・7.7mm旋回機銃x2
60kg爆弾x2または30kg爆弾x4

ところが、九四式水上偵察機を画像検索すると親父の残した写真とは違う。


(九四式水上偵察機)

あきらかにカウルが小さい。

写真の水上機は、カウルだけ見ると、九十式2号や、九十五式に似ている。
しかし、九十式2号や、九十五式は単フロート型で、下駄履き(双フロート型)では無い。


(九五式水上偵察機)

さて、写真の水上機は何なのか?
10機以上も並んでいるところを見ると九四式水上偵察機としか思えないが、
九四式水上偵察機にはカウルの大きなタイプもあったのか無かったのか?

親父が生きているうちに聞いておけば良かった。
どなたかご意見を戴ければありがたい。
(メールの場合は、m.kasui@nifty.com まで)


【2019年6月28日追記】

調べていたら九三式水上中間練習機だと判明しました!




(童友社 1/32 旧日本海軍 九三式水上中間練習機 赤とんぼ 水上式 プラモデル)

九三式水上中間練習機(K5Y3)
全長:8.78m
全幅:11.00m
主翼面積:27.00m2
全装備重量:1,650kg
最高速度:107km/h
乗員:2名
発動機:天風11(型式空星9)離昇340hp・公称300hp)x1
航続距離:485km
武装
7.7mm旋回機銃x1
30kg爆弾x2

九四式水上偵察機の性能と比べてもかなり劣ります。
最高速度が107kmだなんて、現代の車よりかなり遅いですね。
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昔の写真が出てきたので(2019年6月19日)

2019年06月19日 | メモリアル
息子の誠(三男)が書き込みます。

現在、奈良の自宅の和室を改装しています。
仕事場である、とんぼ堂の「工房」として手を加えつつあります。

改装に伴い、押入れの中にあった物など整理していますが、
何故か、親父(粕井貫次)の写真が数多く出てきました。
いつ貰ったものかはっきりしません。

その中から、何枚か紹介したいと思います。
年代別ではなく、手に取ったもの順なので悪しからずご了承ください。


(粕井貫次の1才頃の写真かと思われる・大正13年頃)


(昭和5年1月1日撮影とある・お名前は崩してあるので判読はお任せします)
(完は貫次の旧名で“たもつ”と読む)


(写真の裏側に書いてあるので、上の写真とは左右が逆になると思われます)


(昭和18年11月7日)


(昭和20年1月3日・スミチャン)

後ろの軍服が父(粕井貫次)かと思われる。
スミチャンは、ご存命であれば80才半ばか。
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