商業界ゼミナールは毎年2月に箱根で行われました。この受講者から後日、
流通業界において、わが国を代表する人々が輩出しました。ゼミナールの講
師は商業界主幹の倉本長治先生をはじめ、新保民八先生、岡田徹先生、喜多
村実先生、成瀬義一先生らであった。その教えは「正しきによりて滅びる店
あれば、滅びてもよし、断じて滅びず」にあるように、商人としての正しい
生き方を心構えから学び実践する道場のような場です。
参加者のうちにはニチイ(当時はハトヤ)の西端行雄氏、岡田屋(後のジ
ャスコからイオンに)の岡田卓也氏、長崎屋の岩田孝八氏らがいました。
鈴木さんは昭和30年から参加されていますが、私はその翌年の昭和31
年から参加し、多大の感銘をうけ、「商人としての誇りと喜び」を自覚した
のでした。
鈴木さんを知ったのはその後、ゼミナールの参加者の同窓会のような会合
が大阪でありました。その頃、ケントクの新社屋が東淀川の三国に立てられ、
そこが商業界大阪同友会の月例勉強会の会場になっていました。そこの広い
舞台のある部屋で、一燈園のすわらじ劇団のお芝居を見た事がありました。
劇の始まる前に一燈園の西田天香さんの講話があり、それを今でも覚えて
います。「盥に水を入れ、まな板のようなもので水を手前に引きよせても、
水は向こうへ流れてしまう。逆にまな板で水を向こうへやっても水は手元に
戻ってくる」と、商いもそのようなものとの教えでした。
鈴木さんの経営理念である「損と得とあれば損の道を選ぶ」がまさにそれ
でした。
流通業界において、わが国を代表する人々が輩出しました。ゼミナールの講
師は商業界主幹の倉本長治先生をはじめ、新保民八先生、岡田徹先生、喜多
村実先生、成瀬義一先生らであった。その教えは「正しきによりて滅びる店
あれば、滅びてもよし、断じて滅びず」にあるように、商人としての正しい
生き方を心構えから学び実践する道場のような場です。
参加者のうちにはニチイ(当時はハトヤ)の西端行雄氏、岡田屋(後のジ
ャスコからイオンに)の岡田卓也氏、長崎屋の岩田孝八氏らがいました。
鈴木さんは昭和30年から参加されていますが、私はその翌年の昭和31
年から参加し、多大の感銘をうけ、「商人としての誇りと喜び」を自覚した
のでした。
鈴木さんを知ったのはその後、ゼミナールの参加者の同窓会のような会合
が大阪でありました。その頃、ケントクの新社屋が東淀川の三国に立てられ、
そこが商業界大阪同友会の月例勉強会の会場になっていました。そこの広い
舞台のある部屋で、一燈園のすわらじ劇団のお芝居を見た事がありました。
劇の始まる前に一燈園の西田天香さんの講話があり、それを今でも覚えて
います。「盥に水を入れ、まな板のようなもので水を手前に引きよせても、
水は向こうへ流れてしまう。逆にまな板で水を向こうへやっても水は手元に
戻ってくる」と、商いもそのようなものとの教えでした。
鈴木さんの経営理念である「損と得とあれば損の道を選ぶ」がまさにそれ
でした。