かねうりきちじの新書遍歴

多彩な職務経歴を持つ五十路男が、今読むべき新書を紹介します。

登る時は現在地確認を忘れずに

2012年07月24日 | トレッキング
「出かける時は忘れずに」
アメリカン・エクスプレスのCMの台詞。

確かプロゴルファー、帝王ジャック・ニクラウスが出ていた記憶があります。

閑話休題。

六角牛山から帰る時間が遅くなったと、昨日、ここで書きました。

その理由は、降りるところを間違えたから。

kaneurikichiji は登ったルートを引き返してくるのは好きでないので、周回コースがある場合、行きと帰りのルートは別々です。

で、六角牛山の場合、県道35号ぞいの「六角牛神社」に車を停めて登り始めました。



頂上で一息ついて、2万5千分の1地形図で帰りのルートを確認しました。地図に「六神石神社」とあったので、そこを目指しました。



そうです。

登った所は「六角牛神社」で、降りた所は「六神石神社」。


赤が六角牛神社、青が六神石神社の場所。六角牛山は緑です。

神社の名前は微妙に違って表記される事がよくあるのであまり気にせず、車を停めた場所が「六神石神社」だと思いこんでいたのが失敗の元でした。

道路の幅を気にすれば、駐車した場所が「六神石神社」出はないと気付いたはずだったんですが・・・・・。

今度は気をつけます。



今年は延長戦!

2012年07月23日 | よ市
おととい、六角牛山から帰宅したのは、ちょっと訳があって午後6時。

いつもならよ市に参戦するのはあきらめる時間ですが、おとといに限っては大丈夫。

なぜなら、その日は材木町の酒買地蔵尊(永祥院)の例大祭で、それに合わせてよ市も、前後に1時間ずつ時間を延長して、午後2時~8時までだったからです。

 
御神輿が出た頃は明るかったですが(左)、帰る頃にはあたりは真っ暗(中)。お地蔵様も大きくなってお出まし。

暑すぎず涼しすぎず雨でもなかった、ちょうどいいビール日和。

ベアレンブースでは550リットルのビールが販売されたようです。

よ市での販売量としては過去最多だとか。

さすがお酒好きのお地蔵様のいる街ですね。


六角牛山に登りました~経埋ムベキ山(17)

2012年07月22日 | トレッキング
毎週土曜日はトレッキングの日と決めているのですが、先月、東根山に登ってからは天気が悪かったり仕事だったりで、どこにも行けませんでした。

昨日(7月21日)も曇りでしたが、降水確率も低かったので行ってきました、六角牛山。

「ろっこうし」と読み、早池峰山・石上山と合わせて遠野三山と呼ぶようです。

山の中腹、標高約700mの所に駐車場があり、そこが登山口となっているようですが、

 

今回は県道35号沿いにある六角牛神社(場所はここに車を停めて、麓から。



さすが遠野、途中にホップ畑がありました。



40分ほどで登山口(場所はここ)に到着。

ここから山頂までは1時間10分ほど。



途中、センジュガンピが疲れを癒してくれます。

山頂はこんな感じ。

 

登頂直後はあいにく雲がかかっていましたが・・・・、



徐々に晴れて・・・・



下山直前にはここまで見晴らせました。



帰りは別の登山口(場所はここへ。



こちらへの方がなだらかで、降りやすいと思います。


合掌土偶を見てきました!

2012年07月20日 | 博物館見学
先日訪れた是川縄文館。

関東系土師器を展示していたのは、“掘り day はちのへ”といって、毎年前年度に八戸市が実施した発掘調査で出土した遺跡やそこから出土する企画展。

常設展示はその名の通り、是川遺跡(国史跡)や風張1遺跡から出土した縄文時代の土器や漆が塗られた木製品が展示されています。

いずれの遺跡から出土したものも重要文化財に指定されていますが、その中でも白眉は風張1遺跡から出土した合掌土偶。

常設展示室の掉尾を飾る名品で、個室が与えられています。

その名も国宝室。

 
国宝室に限らず、展示室はすべてフラッシュ禁止。ですので、遠目からだとブレブレです。

そうです、合掌土偶も他の土器などと同じ重要文化財だったのですが、2009年に国宝になったのです。

 
海外出張も3度こなした人気者

文化財でも国宝ともなると待遇が違うのですね。


八戸と関東を結ぶ点と線

2012年07月19日 | 博物館見学
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面白かったのが「関東系土師器」。

一般的な言葉でないので説明しますと、こうです。

今から約1700年前から1000年ほど前、日本列島に住む人が使っていた、弥生土器の系譜をひく軟質の土器を土師器(はじき)といいます。

縄文土器や弥生土器は地域ごとの個性がかなり強かったのですが、土師器になると地域色は後退しています。

とはいっても、やはり全くなくなるというわけではありません。

東北の土器はこう、中部地方の土器はこんな感じといった具合に、(専門家でなくても)並べられれば見分けることは可能です。

そうした土器、特に日常使われるものは、日常生活圏の中で消費されるので、他の地域の土師器が出土することはまれです。

が、今から約1300年前の東北地方では、関東地方から多くの人々が移住してきたこともあり、関東地方で使われていたような形の土師器が出土することがあります。

その多くは、土をよく観察すると地元産の土師器と同じものが使われていることが分かるので、東北産であることが分かります。

そんな東北地方で出土する、関東地方の土師器と同じ形の土師器のことを「関東系土師器」といいます。

以前、kaneurikichiji は前の職場で発掘を担当した、盛岡市の遺跡から地元産の土師器と入れ子になった状態で関東系土師器を掘り当てたことがあります。

そのことを紹介した記事で、当時は最北の関東系土師器でしたが今では八戸でも見つかっています、と書きました。

その八戸の関東系土師器を見に、是川縄文館まで行ってきました。

立派な建物ですなぁ

先日の記事では入れ子になって出土した状態の写真しかアップできませんでしたが・・・・・

是川縄文館さんは、写真撮影OKなので、ありがたく撮らせていただきました。

で、これが関東系土師器です。



といわれても、???ですよね。

もう少し引いてみましょう。



隣にあるのが、東北地方で作られるタイプの土師器。

並べてみると、違いがよく分かると思います。

この土器ひとつだけでも、当時の人々の動きを垣間見ることが可能なんですよ。

たかが土器、されど土器。

1点の土器といえども侮れないのです。