KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2009大阪国際女子マラソン雑感~ネガティブ・スプリットの愉悦

2009年01月29日 | マラソン観戦記
大相撲初場所の千秋楽、優勝決定戦の瞬間最高視聴率は36.7%に達したという。63.3%の一員であるである僕にとっては、「復活V」と言えば、やっばり同日開催の大阪国際女子マラソンでの渋井陽子の優勝の方が重要だ。

'01年の初マラソン初優勝以来、8年ぶりの大阪での優勝。男子では'06年の別大毎日で、コース・レコード・ホルダーのゲルト・タイスが10年ぶりに優勝したが、男子よりも競技者寿命が短い傾向にある女子ランナーが同一大会で8年ものインターバルを経て優勝、というのは過去に例がないはずだ。

10000mの日本記録保持者にして、元マラソン日本記録保持者である渋井だが、記録を作っ'04年のベルリン以降は、レースの終盤に失速するレースを繰り返していた。レースの終盤、「驚異的な粘り」で逆転してみせるチームメイトの土佐礼子とは対照的だった。

昨秋の東京国際女子でも終盤に失速で4位に終わったが、直後に10週間後の大阪の出場を表明した。渋井にとっては、どうしても優勝して今夏のベルリンでの世界選手権代表権を獲得しなければいけなかったのだと思う。今春3月で土佐がチームを離れることが決定している(既に、北条に帰宅して生活を始めている。)。彼女に代わって、チームを支える存在とならなければいけないという使命感もあったと思う。
(本人から直接聞いたわけではないので、あくまでも僕の勝手な推測です。)

東京と同じレースをして、ゴールまでペースを持続させようとするなら、10週後のマラソン挑戦は少しきついスケジュールだったかもしれない。そういうレースをしたいなら、4月のロッテルダムに出れば良かった。しかし、ライバルが多数出場して競り合う大阪ではかなり厳しい。

スタートから5kmのペースは17分25秒のスローペース。もしかしたら、今回の大阪は「世代交代」のレースになるかもしれないとも予想していた。僕が「ダークホース」と見ていた吉田香織が序盤で早くも離れていく。よほど足かどこかに異変が生じたのだろう。故障と持病に苦しみ続けた末に、復活を目指した藤川亜希が転倒。思えば彼女の初マラソンも10年前の大阪だった。翌日の主催社系列のスポーツ紙の一面トップは、優勝したリディア・シモンでも、彼女と競り合ったテグラ・ロルーペ(3ヶ月後のロッテルダムで当時の世界最高記録をマーク)でも、日本人1位(4位)の小幡佳代子でもなく、7位でゴールして「マラソン界の新星」と名づけられた彼女だった。マラソンというのは、時として、優勝者が翌日の新聞報道から無視されることがあるのだ。特に外国人ランナーが優勝したりすると。大相撲とは大違いだ。このところ、国内のマラソン大会に海外の強豪ランナーの参加が少ないが、その理由も分かった。外国人が優勝して、その写真を一面に掲載しても新聞が売れないからだ。

集団のペースは2時間26分台のペース。このままでは終わるとは思えない。今回、中継アナも口にしていた「ネガティブ・スプリット」という言葉。どのくらい定着しただろうか。マラソンにおいて、スタートから中間点までのラップタイムよりも、そこからゴールまでのタイムの方が速い展開の事である。ハイレ・ゲブレセラシェにしても、ポーラ・ラドクリフにしても、ネガティブ・スプリットのレースで現在のマラソン世界最高記録を産み出している。昨年の福岡でもツェガエ・ゲベテがやってみせた。30km以降に壁や魔物がいると思っているようでは、「世界のマラソン」は戦えないのだ。今回、初マラソン初優勝も期待された21歳の脇田茜が離れていく。中継車に乗った千葉真子がなんとも辛辣なコメント。
「マラソンを走る身体が出来ていませんね。」

毎年似たような曲がBGMとして流れる大阪城公園。毎年思うのだが、こうしたBGMを流している間に、後方の、市民ランナーの集団にカメラを向けるというのはどうだろうか。実は愛媛マラソンの中継ではそうしているのである。

28km(ちょうど3分の2)過ぎて大阪城公園を抜け出したあたりから、ようやく渋井が先頭に立った。いつもながら、沿道の三井住友海上のランナーへの応援は激しい。ペースも上がったようで集団がばらけ始める。この展開は予想できたが、少し早い仕掛けではないかという危惧もあったが、30km過ぎてのペースアップで渋井に付いたのは初マラソンの赤羽有紀子だけ。五輪の10000m代表ランナーがマラソンで優勝争いを演じるという、ある意味では理想的な展開。しかし、同郷の後輩には負けられないという気持ちも加わったのか、渋井はさらにペースを上げ、完全に独走状態となった。

30kmから5kmのタイムが16分11秒!30kmまでのタイムが17分16秒だったのだから後続のランナーたちはたまったものではなかったと思う。

30km過ぎてこんなに快走する渋井は久しぶりだ。ペースメイカーに引っ張られて走ったベルリン以来ではないか?

11回目のマラソンを自己4番目のタイムとなる2時間23分42秒でゴール。中間点通過が1時間13分1秒だったから後半は1時間10分41秒まで上げたことになる。2年前の大阪や北京五輪代表選考レースだったその年の東京では中間点から1時間23分台にまで落としてしまった彼女がこんなレースをしようとは。(ちなみに、僕のハーフマラソンのベストは1時間22分24秒。)

'90年代、日本の男子マラソンのエース候補と呼ばれたランナーたち。彼らは一様に駅伝や30kmまでのロードレースでは無類の強さを誇ったが、マラソンではいつも30km過ぎて大きく失速していった。彼らの姿に何度ため息をついただろうか。渋井もまた、彼らの「女性版」とのイメージが固まりつつあったのに、彼らに出来なかったことをやってのけた。

僕程度のレベルでは参考にならないかもしれないが、かつて僕もマラソンでサブスリー(3時間以内)を目指していた頃、いつも中間点を1時間25~27分台で入り、終盤は1時間40分を越えるペースまで落としていた。2時間近くかかったこともあった。そんな僕の、もっとも後半ペースを落とさなかったレースは6年前の愛媛マラソン。ゴールタイムは3時間12分台だったが、前半は1時間34分台で通過し、後半も1時間37分台で上がることが出来た。当時はサブスリーへの執着心は弱くなっていたが、この時の気持ち良さは忘れられない。終盤は元四国電力の女性ランナーを追い抜けたのも覚えている。終盤に失速を繰り返してきたランナーにとっては、終盤までペースを維持し、さらに上げるレースが出来た時の喜びと気持ち良さはたまらないものがあるのだ。自己ベスト記録を出した時と同様の喜びを感じるし、何よりも
「自分はマラソンが巧くなった。」
という気分にまでなるのだ。こんな時こそ本当に
「自分で自分を褒めたくなる。」
のだ。

渋井は単なる大きな自信以上のものを得たと思う。本人のコメントの中にも
「コツがわかった。」
という言葉があったところから伺える。23分台というタイムに物足りなさを覚えたひともいるかもしれないが、あの渋井が「こんなマラソン」を見せた、というだけでも僕は嬉しい。かつての男子の「速すぎたランナー」たちがなかなか出来なかったレースだったからだ。マラソンは「我慢と集中力」というのが本当に分かった。ここでの「我慢」とは、「苦痛に対する忍耐」のことではなく、「セルフ・コントロール」のことだ。トラックのスピードで劣る土佐が渋井よりも勝るのは、集中力だったのではないかと思う。この次は、終盤に後ろを振り返らないで欲しい。

2位の赤羽も前半を上回るペースでゴール。「ママさん」ばかりが強調されがち(ユーナちゃん、可愛すぎるもん)だが、「全日本大学女子駅伝の優勝メンバー初の五輪代表」という面も強調しておきたい。その点でも後に続くランナーが増えて欲しい。

「ハイペースでゴールまで押し切るマラソン」も、またいずれは見せてくれるだろう。次は、ラドクリフやミキテンコ相手にどんなレースをしてくれるか、である。


(文中敬称略)



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