ホスピタルサーカスのワークショップへゲスト参加。今日は、ワークショップのしめの日、一応、全体的なワークショップは最後の日なんだって。あとはプチワークショップやセクションごとミーティングなり制作を重ね、4月25日の本番を迎える。
今日はkananaga、子どもとゆるーく遊びつつ音楽しつつ、キーワードになる言葉や物語を一緒につむいでいけたらいいな、という打ち合わせで、その場に降り立った。
ホスピタルサーカスでは、病院という場所の特徴に向き合って、ワークショップの形態を模索し続けてきた。1階ロビー、中庭、2階のプレイルームなどで、同時並行流動的に、ワークショップは行われている。このやり方自体とても抽象的で、すごく難しいことで、デリケートで、面白いし、可能性を感じる。浅くやろうと思えばそういう方向性もできてしまう方法とも見られがちかもしれないが、でもこのひとたちは踏み込む覚悟があるひとたちであることは確認済みで、実際、かなりくい込んでいけていると思う。それと、抽象的なアプローチであるだけに、常に自分に問いかけられるというか、自分の持っている引き出しを、容易に使えない感じがあるのだ。だって、常に新しい出会いだからねえ、前から知っているひととだって、その日その時はまた新しい出会いだからねえ(ほんとは、どの場もそうのはず)。ほんとうのほんとうに、即興力を要求される。頭で考えてしまったら、必ずワンテンポ遅れる、身体が感覚的に反応しないと。そういうことを、なんか感じる場なんだ。でもほんとうは、ひととひととのコミュニケーションや、自分がおかれる環境というか場というか、そういうものに対して、準備なんてできないはずなんよね。だって、人生、何が起こるかわからないわけだし。それに、わかってしまったら、面白くないと思うし。いつでも、初舞台だ。その場に、自分は、どういられるのかな、どういたいのかな、このひとに、この場に、どう接したいのかな、って、ずっといつも、問いかけ続ける。問いかけて決めてから行動する、みたいな順番にはいかなくって、いつも、同時。ああ、でも、もっと、自然でいられるのかもしれない、とも思う場でもあるの。kananagaの自然って、どういうところなんだろう。これも、そんなこと思いながら、やっぱり同時に。
さて、ロビーのワークショップ。1階ロビーにテーブルをおいて、色々な、後に舞台美術になるであろうものを作るワークショップ。プラスチックのお花の花びらに絵を描いたりする。その行為ひとつひとつに、語り尽くせないドラマがつまっている。通院してる子と家族、入院してる子とその家族、ものすごくたくさんのひとが、関わっていく。例えば通院してる子とその家族とかでは、おうちのスケジュールの事情などで、その場にちょっとしかいられなかったりする場合もある。でも、子どもはずっとそこにいてずっと遊んでいたかったり。入院してる子の、たぶん多くには、身体が思うように動かないことや、外に出られないストレスを溜め込んでいたりもする。そういうところを内包した状態からのコミュニケーション。その場でそういうひとたちと接しているスタッフだって、色々な想いや問題やなんかを抱えていて、色々な想いやしがらみや障害や喜びや希望や愛情、そういうものを、抽象的に交換したり共有したりする。そのコミュニケーションには、出会いの数だけ種類があると思うんだけど、そこの色々なせめぎ合いというか、微妙で抽象的な想いのあらわれかたとか関係性が、かなり興味深い。それがどんな風に結晶していくのだろう、いけるのだろう。ここには、そういうトキメキが、色々なレベルとか種類とか感じでいっぱいある。そもそも、ほんとに大事にしたいことって、こういう、微妙で抽象的なことだったりする気がする。
中庭では、しんたさんたちが、平面巨大キリン設置や、今まで子どもたちに作ってもらったパーツを組み合わせて作ったでっかい平面人形の調整に、汗水を流している。ロビーからはこの様子が、窓越しによく見える。その感じが立体的で、またよいのだった。
kananagaは、まずは、1階ロビーのワークショップをしているあたりで一緒に。テーブルのすぐ横には、靴を脱いであがる、子どもがおもちゃで遊べるふかふかしたところがあって、4歳くらいの男の子がひとりで遊んでいた。kananagaが少し楽器を鳴らしたりしていると、色々興味深そうに質問してくる。それに答えているうちに「おもちゃで遊ぼ」と誘われる。誘われるままに楽器もしながら遊びは展開。そのうちその子は、一種のプチトランス状態になるというか、いや、もともとひらききっているのか、妄想の世界に入っていく。素敵な言葉がいっぱい飛び出す、楽しい。ちなみに、kananagaは、最初、おばちゃんと呼ばれていたが、最後のほうには、おねえちゃんと呼んでくれていた。お母さんに訂正させられたんだろうか。。。この子とのやりとりは、録音準備がまだできてないときのことだったため、記録できず、ああ。。。でも、幸先いい出会いだった。ほかにも色々なひととコミュニケーション。子どもおばあちゃんが、kananagaが演奏したメロディーをくちずさんでくれていた、この方は、身体が自然に、なんていうか、リズムにのって動いている。もっと、くい込んで関わってみたいひとだったなあ。ある女の子は、お花に絵を描く作業をしつつ、kananagaの音が気になって仕方がない。少し距離があると、楽しい、でも、すぐそばにいくと、ちょっと怖いらしい。では、少し離れたところから。
しばらくしてkananagaは、2階のプレイルームに行ってみることに。犬飼美也妃さんときょんちゃんと一緒に。まっちゃん、たけちゃんの記録チームも一緒に。みやきさんは、ひとの息を集める作品制作やパフォーマンスなどをずっとしているアーティスト。彼女の今日のアプローチは、自分がビニールの服を着てお面もしてホスピタルマンになり、そのボディをあちこち両面テープ状態にしておいて、息を入れてくくったビニール袋を投げてくっつけてもらおう、というもの。きょんちゃんは、ホスピタルマンの弟子というか助手として、仮面だけかぶってよりそう。
今日のプレイルームは、人数少ないうえに、盛り下がっていた。。。うーん。ベッドに寝たままの、この前会った男の子が2人、それぞれゲームに熱中、鬱屈してまんな~。まだ、学校に行っている子たちが帰ってきてない感じだし、一度1階に降りて、20分くらいしてからもう一回こようということになった。
するとその道中、エレベーター前で、とんでもない出会いがあった。車椅子の、うーん、何歳くらいかな、小学校1~2年生くらいかな、Tくんと、Mちゃん。ホスピタルサーカスの舞台案のイラスト資料を見せて、こんなんしようとしてるんだよ~、と説明することから始める。みやきさんのいでたちが当然気になるわけで、色々会話。みやきさんの当初のもくろみを説明し、息をビニールに入れてもらい、子どもたちに投げてくっつけてもらう。このときkananagaは、それにあわせて鍵ハモなどを演奏していた。でもしばらくして、ふと、質問をしたくなった。なんていうか、投げつける様子が、ストレス発散いじめ系に見えてきたからだ。12月21日のホスピタルサーカス、マトコとピグモンたちの話ができた日。あの日も、これでもか、これでもか、というほど、kananagaの操るピグモンは、風船爆弾にいじめられぬいた。そして、もうダメかも、、、という境地に至って、kananagaがその想いを言葉にしたあとで、いじめぬいていた子どもたちから、救いの手が差し伸べられた。あの感じ、たぶん、入院してることやリハビリの大変さからのみならず、人生のストレス、そういうことが感じられる、感じ、を思い出した。そこ、知りたい、その裏にあること、そこを通り抜けたもっと、奥のところに、行きたい、抽象的に、行きたい。
TくんやMちゃんに、ある種のスピード感を持ってクエスチョンしていくkananaga。このホスピタルマンは、なんか、なんでこんな目にあってるわけ?このひとは今一体どういう状況なの?誰なの、このひとは?名前は、ホスピタルマンではなく、風船おばけになった。そのやりとりの詳細は、録音と映像にすべておさめられているし、ちょっと確認したいな、あのときは必死で、全貌は思い出せない。多少嘘書いてしまうかもしれないけど、とりあえず、以下にある程度メモ、自分用につき、わかりにくけど、ご容赦。
風船お化けは、別の星からきた。風でとばされた。地球に来て、最初は悲しかったんだけど、居心地よくて気にいって、今は楽しい。今100歳で、0歳になると死ぬ。でも、お誕生日は毎回危機で、お誕生日のときに息が入った風船が充分ないと、寿命が縮まってしまう、あるいは、死んでしまう。あわてて風船をいっぱいくっつける。息を入れた風船で命がつながる。そういうやりとりの中、すでに風船まみれだったみやきさんが、でんぐりがえしをしたのが、強烈だった。それは、風船お化けが誕生日の度に生まれ変わる、その瞬間だった。風船お化けが死ぬということは、風船の星(この言い方違ったかな?)も、地球も、滅びてしまう。そういう話題から、環境問題が、子どもたちのくちから飛び出す(言っておくが、kananagaは決してそんなことを誘導しとらん)。Tくんが、(病院内に)電気の無駄遣いがあるのではないかと指摘し、えらいひとに話をしにいく、という。kananagaがTくんに、「えらいひとに話をするのには、大体の場合書類が必要だ、書類を書いてくれ!」と言うと、そばにいた病院スタッフの方がバカウケしてくださった、なんか嬉しい。そのうち、C病棟の中にいるえらいひとに、実際に話をしにいくことになった。まるで、パレードだ、TくんとMちゃんを先頭に、kananagaはそのすぐ脇をかため、みんなでぞろぞろ。このとき、kananaga、すっかりうっかりしてて、実は土足がダメな場所だったのに、気づかず、そのまま入ってしまったのだ!同じカーペットだから、わかりにくい~。ホスピタルサーカススタッフが謝りに言ってくれたそうで、後で聞いた。ゲストとはいえ、ごめんなさい。。。でも、子どもが楽しそうだったし、と、優しくお許しいただけたらしい、ああ、よかった、感謝します。そこで、Tくんたちのいうえらいひとに、電気の無駄遣いに関する見直しを直接お願いして、「では、我々の場所にもどろう~」ということになった。これが、なんか変な話なんだけど、2階のエレベーター前なわけで、はっきりいって、ただの廊下なんである。でも、なんか、あそこが、「我々の場所」になっていた、このほんの数十分で。そのあとは、Tくん、すっかり役に入り込んでいる。自分が司令官役で、サンダーとファイヤー(確か)という部下と連絡をとりあっている。kananagaはそこにツッコミをいれる、kananagaも役に没頭。そうこうしてるうちに、あれはきっと、お母さんかな?Tくんに、「そろそろリハビリの時間なんだけど」と、現実からのメッセージが入る。Tくんはだだをこねたりせず、リハビリに行く決心をとてもニュートラルに固めていたと思った。その別れ際、すべてがやばい、夜がなくなる、という話が出ていたんだけど、Tくんはそこを去る前に、そのことのけじめをつけにかかった。「大丈夫だ、すべてはもとに戻る、風船の星も、地球も、夜も戻ってくる」というTくん。kananagaがそれを聞いて、「そんな、すべてが戻るなんて、では、さっきまでのあれは、もしかしてすべて夢だったの?」と言うと、Tくんは目をふせ、ダンディな微笑を浮かべ、ゆっくりと首を横に振った!すべてを悟った表情!「いや、、、そうではない、、、」という風に、達観した老人が表情で語るかのような包容力、うわー、ぶっとんだ!そこでしっかりあいさつをして一旦別れたが、彼らがエレベーター、kananagaたちが階段で降りて、1階でもう一度出会った。そこでkananaga、Tくんの名前を聞きそびれていたことに気づき、思わず、「友よ、名を、教えてくれ!」と言った。我ながら完全に入り込んでいる。するとTくんは~です、も、~だ、も、何もつけずに、フルネームを力強く答え、確か、親指を立てた、グッドラック、なサインを出した。それにこたえてkananagaも、フルネームを言い、サインを出した。共に地球を救うことに奔走した仲間、もう会うことはないかもしれない、でも、ずっとつながっているであろう、仲間。。。うわー、すごかった!今日!なんじゃこりゃ!!!彼の名前は、しっかり覚えておこうと思う。それこそ、将来、役者としてデビューし、素晴らしい活躍をするかもしれんぞ~。
はあ~、ぐったり。でも、心地よいぐったり。みやきさんはビニールまみれだったわけで、汗だっくだく、お疲れさま~~。ビニールの使用量は、100枚を軽く超えていた。みやきさんは、完全に息風船ビニールまみれだった。TくんとMちゃんだけでなく、何人かの子どもが途中参加してくれていたけど、それにしても、多いときでもせいぜい5人とか。それでこの使用量は、強烈だ。何しろ、命に関わってくるから、ビニールに息を入れる作業も、もう、必死だった。
片付けてから、かわもとさんのお家(お寺)に寄せさせていただき、13人だっけ?14人だっけ?で、ミーティング。みんな腹ぺこなんで、トマト系のシチューを大急ぎで作る。お寺の鍋はでかいなあ。つい、作りすぎてしまった。これは、倍の人数でもいけた量だったなあ。
ご飯のあと、代表の坂井基紀くんを筆頭に、それぞれの想いをぶつけあう。みんな、それぞれ突出した専門性を持ったひとたちばっかりのコラボレーション。遠慮するほどもったいないことはない。ここのミーティング、ゆるすぎず、とげとげしすぎず、真剣で、楽しくもあり、いいよね。ガチで行きましょう、を、確認し合う。
ふう~、長文。。。読んでくれた方も、さぞ大変だったことでしょう、ありがとうございます。でも、まだ、書きたいことの書きもらしいっぱいあると思うけど。みやきさんがミクシイの日記に今日のことを書いていて、「物語の詳細は、たぶんkananagaさんがブログに書いてくれる気がするのでという、無茶ぶり(笑)私はサウナスーツ並みに汗だくだったので、細かく記憶する体力残ってなかったです。」と書いてくれてたので、焚き付けられちゃった~、ちょっと、頑張っちゃった~。
ホスピタルサーカスのページはこちら。この日の記事や写真も、きっとまたそのうちアップされると思います。
http://hcmoriyama.exblog.jp/
今日はkananaga、子どもとゆるーく遊びつつ音楽しつつ、キーワードになる言葉や物語を一緒につむいでいけたらいいな、という打ち合わせで、その場に降り立った。
ホスピタルサーカスでは、病院という場所の特徴に向き合って、ワークショップの形態を模索し続けてきた。1階ロビー、中庭、2階のプレイルームなどで、同時並行流動的に、ワークショップは行われている。このやり方自体とても抽象的で、すごく難しいことで、デリケートで、面白いし、可能性を感じる。浅くやろうと思えばそういう方向性もできてしまう方法とも見られがちかもしれないが、でもこのひとたちは踏み込む覚悟があるひとたちであることは確認済みで、実際、かなりくい込んでいけていると思う。それと、抽象的なアプローチであるだけに、常に自分に問いかけられるというか、自分の持っている引き出しを、容易に使えない感じがあるのだ。だって、常に新しい出会いだからねえ、前から知っているひととだって、その日その時はまた新しい出会いだからねえ(ほんとは、どの場もそうのはず)。ほんとうのほんとうに、即興力を要求される。頭で考えてしまったら、必ずワンテンポ遅れる、身体が感覚的に反応しないと。そういうことを、なんか感じる場なんだ。でもほんとうは、ひととひととのコミュニケーションや、自分がおかれる環境というか場というか、そういうものに対して、準備なんてできないはずなんよね。だって、人生、何が起こるかわからないわけだし。それに、わかってしまったら、面白くないと思うし。いつでも、初舞台だ。その場に、自分は、どういられるのかな、どういたいのかな、このひとに、この場に、どう接したいのかな、って、ずっといつも、問いかけ続ける。問いかけて決めてから行動する、みたいな順番にはいかなくって、いつも、同時。ああ、でも、もっと、自然でいられるのかもしれない、とも思う場でもあるの。kananagaの自然って、どういうところなんだろう。これも、そんなこと思いながら、やっぱり同時に。
さて、ロビーのワークショップ。1階ロビーにテーブルをおいて、色々な、後に舞台美術になるであろうものを作るワークショップ。プラスチックのお花の花びらに絵を描いたりする。その行為ひとつひとつに、語り尽くせないドラマがつまっている。通院してる子と家族、入院してる子とその家族、ものすごくたくさんのひとが、関わっていく。例えば通院してる子とその家族とかでは、おうちのスケジュールの事情などで、その場にちょっとしかいられなかったりする場合もある。でも、子どもはずっとそこにいてずっと遊んでいたかったり。入院してる子の、たぶん多くには、身体が思うように動かないことや、外に出られないストレスを溜め込んでいたりもする。そういうところを内包した状態からのコミュニケーション。その場でそういうひとたちと接しているスタッフだって、色々な想いや問題やなんかを抱えていて、色々な想いやしがらみや障害や喜びや希望や愛情、そういうものを、抽象的に交換したり共有したりする。そのコミュニケーションには、出会いの数だけ種類があると思うんだけど、そこの色々なせめぎ合いというか、微妙で抽象的な想いのあらわれかたとか関係性が、かなり興味深い。それがどんな風に結晶していくのだろう、いけるのだろう。ここには、そういうトキメキが、色々なレベルとか種類とか感じでいっぱいある。そもそも、ほんとに大事にしたいことって、こういう、微妙で抽象的なことだったりする気がする。
中庭では、しんたさんたちが、平面巨大キリン設置や、今まで子どもたちに作ってもらったパーツを組み合わせて作ったでっかい平面人形の調整に、汗水を流している。ロビーからはこの様子が、窓越しによく見える。その感じが立体的で、またよいのだった。
kananagaは、まずは、1階ロビーのワークショップをしているあたりで一緒に。テーブルのすぐ横には、靴を脱いであがる、子どもがおもちゃで遊べるふかふかしたところがあって、4歳くらいの男の子がひとりで遊んでいた。kananagaが少し楽器を鳴らしたりしていると、色々興味深そうに質問してくる。それに答えているうちに「おもちゃで遊ぼ」と誘われる。誘われるままに楽器もしながら遊びは展開。そのうちその子は、一種のプチトランス状態になるというか、いや、もともとひらききっているのか、妄想の世界に入っていく。素敵な言葉がいっぱい飛び出す、楽しい。ちなみに、kananagaは、最初、おばちゃんと呼ばれていたが、最後のほうには、おねえちゃんと呼んでくれていた。お母さんに訂正させられたんだろうか。。。この子とのやりとりは、録音準備がまだできてないときのことだったため、記録できず、ああ。。。でも、幸先いい出会いだった。ほかにも色々なひととコミュニケーション。子どもおばあちゃんが、kananagaが演奏したメロディーをくちずさんでくれていた、この方は、身体が自然に、なんていうか、リズムにのって動いている。もっと、くい込んで関わってみたいひとだったなあ。ある女の子は、お花に絵を描く作業をしつつ、kananagaの音が気になって仕方がない。少し距離があると、楽しい、でも、すぐそばにいくと、ちょっと怖いらしい。では、少し離れたところから。
しばらくしてkananagaは、2階のプレイルームに行ってみることに。犬飼美也妃さんときょんちゃんと一緒に。まっちゃん、たけちゃんの記録チームも一緒に。みやきさんは、ひとの息を集める作品制作やパフォーマンスなどをずっとしているアーティスト。彼女の今日のアプローチは、自分がビニールの服を着てお面もしてホスピタルマンになり、そのボディをあちこち両面テープ状態にしておいて、息を入れてくくったビニール袋を投げてくっつけてもらおう、というもの。きょんちゃんは、ホスピタルマンの弟子というか助手として、仮面だけかぶってよりそう。
今日のプレイルームは、人数少ないうえに、盛り下がっていた。。。うーん。ベッドに寝たままの、この前会った男の子が2人、それぞれゲームに熱中、鬱屈してまんな~。まだ、学校に行っている子たちが帰ってきてない感じだし、一度1階に降りて、20分くらいしてからもう一回こようということになった。
するとその道中、エレベーター前で、とんでもない出会いがあった。車椅子の、うーん、何歳くらいかな、小学校1~2年生くらいかな、Tくんと、Mちゃん。ホスピタルサーカスの舞台案のイラスト資料を見せて、こんなんしようとしてるんだよ~、と説明することから始める。みやきさんのいでたちが当然気になるわけで、色々会話。みやきさんの当初のもくろみを説明し、息をビニールに入れてもらい、子どもたちに投げてくっつけてもらう。このときkananagaは、それにあわせて鍵ハモなどを演奏していた。でもしばらくして、ふと、質問をしたくなった。なんていうか、投げつける様子が、ストレス発散いじめ系に見えてきたからだ。12月21日のホスピタルサーカス、マトコとピグモンたちの話ができた日。あの日も、これでもか、これでもか、というほど、kananagaの操るピグモンは、風船爆弾にいじめられぬいた。そして、もうダメかも、、、という境地に至って、kananagaがその想いを言葉にしたあとで、いじめぬいていた子どもたちから、救いの手が差し伸べられた。あの感じ、たぶん、入院してることやリハビリの大変さからのみならず、人生のストレス、そういうことが感じられる、感じ、を思い出した。そこ、知りたい、その裏にあること、そこを通り抜けたもっと、奥のところに、行きたい、抽象的に、行きたい。
TくんやMちゃんに、ある種のスピード感を持ってクエスチョンしていくkananaga。このホスピタルマンは、なんか、なんでこんな目にあってるわけ?このひとは今一体どういう状況なの?誰なの、このひとは?名前は、ホスピタルマンではなく、風船おばけになった。そのやりとりの詳細は、録音と映像にすべておさめられているし、ちょっと確認したいな、あのときは必死で、全貌は思い出せない。多少嘘書いてしまうかもしれないけど、とりあえず、以下にある程度メモ、自分用につき、わかりにくけど、ご容赦。
風船お化けは、別の星からきた。風でとばされた。地球に来て、最初は悲しかったんだけど、居心地よくて気にいって、今は楽しい。今100歳で、0歳になると死ぬ。でも、お誕生日は毎回危機で、お誕生日のときに息が入った風船が充分ないと、寿命が縮まってしまう、あるいは、死んでしまう。あわてて風船をいっぱいくっつける。息を入れた風船で命がつながる。そういうやりとりの中、すでに風船まみれだったみやきさんが、でんぐりがえしをしたのが、強烈だった。それは、風船お化けが誕生日の度に生まれ変わる、その瞬間だった。風船お化けが死ぬということは、風船の星(この言い方違ったかな?)も、地球も、滅びてしまう。そういう話題から、環境問題が、子どもたちのくちから飛び出す(言っておくが、kananagaは決してそんなことを誘導しとらん)。Tくんが、(病院内に)電気の無駄遣いがあるのではないかと指摘し、えらいひとに話をしにいく、という。kananagaがTくんに、「えらいひとに話をするのには、大体の場合書類が必要だ、書類を書いてくれ!」と言うと、そばにいた病院スタッフの方がバカウケしてくださった、なんか嬉しい。そのうち、C病棟の中にいるえらいひとに、実際に話をしにいくことになった。まるで、パレードだ、TくんとMちゃんを先頭に、kananagaはそのすぐ脇をかため、みんなでぞろぞろ。このとき、kananaga、すっかりうっかりしてて、実は土足がダメな場所だったのに、気づかず、そのまま入ってしまったのだ!同じカーペットだから、わかりにくい~。ホスピタルサーカススタッフが謝りに言ってくれたそうで、後で聞いた。ゲストとはいえ、ごめんなさい。。。でも、子どもが楽しそうだったし、と、優しくお許しいただけたらしい、ああ、よかった、感謝します。そこで、Tくんたちのいうえらいひとに、電気の無駄遣いに関する見直しを直接お願いして、「では、我々の場所にもどろう~」ということになった。これが、なんか変な話なんだけど、2階のエレベーター前なわけで、はっきりいって、ただの廊下なんである。でも、なんか、あそこが、「我々の場所」になっていた、このほんの数十分で。そのあとは、Tくん、すっかり役に入り込んでいる。自分が司令官役で、サンダーとファイヤー(確か)という部下と連絡をとりあっている。kananagaはそこにツッコミをいれる、kananagaも役に没頭。そうこうしてるうちに、あれはきっと、お母さんかな?Tくんに、「そろそろリハビリの時間なんだけど」と、現実からのメッセージが入る。Tくんはだだをこねたりせず、リハビリに行く決心をとてもニュートラルに固めていたと思った。その別れ際、すべてがやばい、夜がなくなる、という話が出ていたんだけど、Tくんはそこを去る前に、そのことのけじめをつけにかかった。「大丈夫だ、すべてはもとに戻る、風船の星も、地球も、夜も戻ってくる」というTくん。kananagaがそれを聞いて、「そんな、すべてが戻るなんて、では、さっきまでのあれは、もしかしてすべて夢だったの?」と言うと、Tくんは目をふせ、ダンディな微笑を浮かべ、ゆっくりと首を横に振った!すべてを悟った表情!「いや、、、そうではない、、、」という風に、達観した老人が表情で語るかのような包容力、うわー、ぶっとんだ!そこでしっかりあいさつをして一旦別れたが、彼らがエレベーター、kananagaたちが階段で降りて、1階でもう一度出会った。そこでkananaga、Tくんの名前を聞きそびれていたことに気づき、思わず、「友よ、名を、教えてくれ!」と言った。我ながら完全に入り込んでいる。するとTくんは~です、も、~だ、も、何もつけずに、フルネームを力強く答え、確か、親指を立てた、グッドラック、なサインを出した。それにこたえてkananagaも、フルネームを言い、サインを出した。共に地球を救うことに奔走した仲間、もう会うことはないかもしれない、でも、ずっとつながっているであろう、仲間。。。うわー、すごかった!今日!なんじゃこりゃ!!!彼の名前は、しっかり覚えておこうと思う。それこそ、将来、役者としてデビューし、素晴らしい活躍をするかもしれんぞ~。
はあ~、ぐったり。でも、心地よいぐったり。みやきさんはビニールまみれだったわけで、汗だっくだく、お疲れさま~~。ビニールの使用量は、100枚を軽く超えていた。みやきさんは、完全に息風船ビニールまみれだった。TくんとMちゃんだけでなく、何人かの子どもが途中参加してくれていたけど、それにしても、多いときでもせいぜい5人とか。それでこの使用量は、強烈だ。何しろ、命に関わってくるから、ビニールに息を入れる作業も、もう、必死だった。
片付けてから、かわもとさんのお家(お寺)に寄せさせていただき、13人だっけ?14人だっけ?で、ミーティング。みんな腹ぺこなんで、トマト系のシチューを大急ぎで作る。お寺の鍋はでかいなあ。つい、作りすぎてしまった。これは、倍の人数でもいけた量だったなあ。
ご飯のあと、代表の坂井基紀くんを筆頭に、それぞれの想いをぶつけあう。みんな、それぞれ突出した専門性を持ったひとたちばっかりのコラボレーション。遠慮するほどもったいないことはない。ここのミーティング、ゆるすぎず、とげとげしすぎず、真剣で、楽しくもあり、いいよね。ガチで行きましょう、を、確認し合う。
ふう~、長文。。。読んでくれた方も、さぞ大変だったことでしょう、ありがとうございます。でも、まだ、書きたいことの書きもらしいっぱいあると思うけど。みやきさんがミクシイの日記に今日のことを書いていて、「物語の詳細は、たぶんkananagaさんがブログに書いてくれる気がするのでという、無茶ぶり(笑)私はサウナスーツ並みに汗だくだったので、細かく記憶する体力残ってなかったです。」と書いてくれてたので、焚き付けられちゃった~、ちょっと、頑張っちゃった~。
ホスピタルサーカスのページはこちら。この日の記事や写真も、きっとまたそのうちアップされると思います。
http://hcmoriyama.exblog.jp/