2月17日のコンサートのためのリハを、P-ブロッで。どえ~、大変~、でもすごく面白い!
東京です。ぜひぜひ、お越しください~。
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「Walking in Space -平石博一の空間音楽」
日時;2008年2月17日(日)18:00open, 18:30start
場所;門仲天井ホールhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~monten/schedule.html#sono0217
出演;平石博一(作曲・サウンドインスタレーション)
P-ブロッ/野村誠、鈴木潤、しばてつ、吉森信、林加奈
赤羽美希、正木恵子、渡邉達弘
プログラム;
Part1 平石博一 plays 平石博一~コンピュータと映像による
Hiroshima/少年と海/ショパンを聴いて戦争へ行こう(抜粋) 他
Part2 P-ブロッ plays 平石博一
風光る/石は足につまづく/Walking in Space(世界初演) 他
料金;前売り2000円、当日2500円、会員1800円、学生1500円
予約・お問い合わせ(門仲天井ホール)
tel. 03-3641-8275 fax. 03-3820-8646
E-mail. acn94264@par.odn.ne.jp
門仲天井ホールのブログに、平石博一さんのインタビューが掲載されています。
http://monnakaten.exblog.jp/7169113
以下にも、そのインタビューをコピペ。
↓ ↓ ↓
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●平石博一とミニマルミュージック
野村;平石さんは、日本のミニマルミュージックの第一人者と紹介されることが多いと思うんですけど、平石さん自身はどう位置づけていますか?
平石;拒否はしないのですけど、ミニマリストと言われるのは若干違和感があるのです。たしかに70年代から、スタイルとしてはミニマルミュージックと言えるわけですけど、ミニマリストと意識して音楽を作ってるわけじゃないのです。ミニマルミュージックの範疇から外れるような音楽も実は書いているのです。
野村;70年代の作品は?
平石:習作はクセナキスのような音楽だったりしていたのですが発表はしていないのです。公表した初期の作品は完全にミニマルな作り方でした。例えば弦楽四重奏は基本がグリッサンドでできていて、グリッサンドの角度が1小節ごと変化していくというものでした。
野村;僕は90年代の半ばに平石さんの音楽に出会った。反復はいっぱいあるが、ミニマルとは感じなかった。
平石;90年代の作品では、ビートが非常に強調されるようになりました。
野村;緻密に作曲されてるが、非常に感覚的な音楽で、作曲なのに即興的な感じもしました。楽譜に最低限の情報しか書いていないという意味で、ミニマルさは貫かれていた。ただ、楽譜に書いてあることがミニマルだと、演奏者が細部まで緻密に作らないケースが多く、アバウトな演奏にいくつも出会った。もっといい演奏ができるんではと、P-ブロッで平石さんの曲をやってみようと思った。
●P-ブロッと平石博一
野村:現代音楽の演奏家よりも、ポップスを演奏している人、ビートをもっと普段から突き詰めてやってる人が演奏した方が、平石さんの音楽の魅力がもっと出るのではと、P-ブロッで取り組んだが、思った以上に難しくて(笑)。
平石;僕の音楽は練習しなくてもできそうな易しい譜面に見えるけど、演奏した結果を客観的に細部に渡って認識できるような演奏家でないと、うまくできないと感じています。肉体的にも精神的にもかなり切り詰めた状態じゃないと、上手くできないと思う。このことは、クラシックも同じだと思いますが。P-ブロッに演奏してもらって、音楽の肉体的な運動っていうか、音楽は生きてる人間が作ってるんだって実感させてくれて、かなり感激したのです。P-ブロッは音楽を体でやってる集団って印象。P-ブロッはそれぞれが独自の音楽観をもっていて、それが非常に良い結果をもたらしていると思います。メンバー構成のユニークさがあると思う。曲を書いている時、いつもP-ブロッが演奏してる姿が頭に浮かんでいます。だから、弦楽四重奏とか、ピアノ曲とは全然違う表情の曲になる。鍵盤ハーモニカはキーボードをたたくとノイズがでるんだけど、P-ブロッの演奏では楽譜に書かれていないノイズも演奏に取り入れられているっていうのが、「手の記憶は耳に届く」を作った動機。運動の記録として音楽が成り立つと思ったのです。音よりも肉体的な運動が先にあるということを念頭に作曲したという訳です。
野村;運動を意識した音符が曲が進むにつれて出てくる。最初は音として始まっていくんですが、必ず曲が進むにつれて演奏するほうも、身体的になっていくことが多い。
●風光る
野村;「緑色のガラスを抜けて」は本当に美しい曲ですね。
平石;「風光る」と「緑色のガラスを抜けて」は共通点があって、緑色は教会のステンドグラスのイメージがあって。「風光る時」というピアノ曲は、僕の妻が亡くなったときのレクイエムとして書いた曲で、思い入れがあって、それをアレンジした「風光る」にも思い入れがあります。「緑色のガラスを抜けて」はその兄弟みたいな曲。
野村:「風光る」は、「風光る時」と同じ音型が出てくるが、全く違った印象に仕上がっている。P-ブロッのために書かれた他のどの作品とも全く違う。
平石;「風光る時」の別バージョンをいろいろ作ったのですが、原型から一番離れてるのは、この曲かもしれない。モアレ効果というか、同じフレーズが16分音符で全部ずれていって、響きを作る。ピアノソロではできなくて、アンサンブルだからできることです。
●空間音楽
野村;「石は足につまづく」とか「緑色のガラスを抜けて」っていうのは、左と右に分かれたステレオの音楽なんですけど。
平石;音を空間的に配置するっていうのは、長年のテーマです。アンサンブルの場合、空間的に音を配置したいっていう欲求が強くて、70年代に全員が聴衆を囲んで演奏する吹奏楽曲を書いたり、太鼓がたくさん回りにならんで、真ん中にキーボード、その間に弦、という風に聴衆の中に演奏家がいるっていうのを書いたりしたのです。90年代になって、生演奏じゃなくてコンピュータでも空間音楽ができるようになり、最近はそれを追及しています。「Hiroshima」っていう8chのインスタレーションでは、空間的に音がまわる。でも、生演奏でも空間的な音楽をやりたいっていう欲求は常にあって、今回の新曲は、ハーモニーが4chで空間的に移動するというものです。8人で4箇所に分かれて演奏する。ビートがない、空間的なものにしようと思っています。
野村;タイトルは?
平石;まだ仮だけど、「Walking in space」(=「空間を歩く」、「宇宙遊泳」)。空間に音が歩き回る。配置ではないんだよね。やっぱり動きというか。
野村;音が動き回るんですね。今回は映像もあるんですよね。
平石:あと、ダンスと映像と音楽というコラボレーションをかなりやるようになって、自分でも映像をやりたいっていう欲求が出てきて、音が先にあって映像をつけるってのをやってもらったのが、「少年と海」。「GREEN」は自分で映像を作って、音をあとからつけている。視覚と音の実験をやりたいと思っていて、その一貫です。
野村:「ショパンを聴いて戦争に行こう」は?
平石:タイトルは松井さんの詩からきています、基本的に声だけで作ってるんです。声が空間的に配置される。今回のプログラムではこれだけ異質なんだけど、、、。朗読を切り取って、ピッチとリズムを入れるというよりは、時系列をバラバラにして組み合わせ直すということもやっている。
野村;やっぱり平石さんはコンセプトが貫かれているという意味で、ミニマルというか、シンプルで、作られてくる音楽はとても多様で複雑だと思うんです。コンサート全体を通すと、平石博一とは何をやっているのかが浮き彫りにできると思います。みなさん是非、お越しください。
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■profile
平石博一 http://cat.zero.ad.jp/hiraishi/作品を初めて発表した72年から一貫してミニマル・ミュージック的な作風を追求。
Hiroshima Art Document 2002で8chによるサウンドインスタレーションを実現。
それ以来空間音楽パフォーマンスの展開に力を入れている。
P-ブロッ http://www7a.biglobe.ne.jp/~nomu104/p-blot.index.html
'96年作曲家野村誠の呼びかけで結成された鍵盤ハーモニカのみのアンサンブル。
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ところで、テトテト本番や防災EXPOのことが、藤浩志さんのブログの1月20日のとこにアップされてます。kananaga、ほめられている、じーん。。。うっとり。。。
東京です。ぜひぜひ、お越しください~。
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「Walking in Space -平石博一の空間音楽」
日時;2008年2月17日(日)18:00open, 18:30start
場所;門仲天井ホールhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~monten/schedule.html#sono0217
出演;平石博一(作曲・サウンドインスタレーション)
P-ブロッ/野村誠、鈴木潤、しばてつ、吉森信、林加奈
赤羽美希、正木恵子、渡邉達弘
プログラム;
Part1 平石博一 plays 平石博一~コンピュータと映像による
Hiroshima/少年と海/ショパンを聴いて戦争へ行こう(抜粋) 他
Part2 P-ブロッ plays 平石博一
風光る/石は足につまづく/Walking in Space(世界初演) 他
料金;前売り2000円、当日2500円、会員1800円、学生1500円
予約・お問い合わせ(門仲天井ホール)
tel. 03-3641-8275 fax. 03-3820-8646
E-mail. acn94264@par.odn.ne.jp
門仲天井ホールのブログに、平石博一さんのインタビューが掲載されています。
http://monnakaten.exblog.jp/7169113
以下にも、そのインタビューをコピペ。
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●平石博一とミニマルミュージック
野村;平石さんは、日本のミニマルミュージックの第一人者と紹介されることが多いと思うんですけど、平石さん自身はどう位置づけていますか?
平石;拒否はしないのですけど、ミニマリストと言われるのは若干違和感があるのです。たしかに70年代から、スタイルとしてはミニマルミュージックと言えるわけですけど、ミニマリストと意識して音楽を作ってるわけじゃないのです。ミニマルミュージックの範疇から外れるような音楽も実は書いているのです。
野村;70年代の作品は?
平石:習作はクセナキスのような音楽だったりしていたのですが発表はしていないのです。公表した初期の作品は完全にミニマルな作り方でした。例えば弦楽四重奏は基本がグリッサンドでできていて、グリッサンドの角度が1小節ごと変化していくというものでした。
野村;僕は90年代の半ばに平石さんの音楽に出会った。反復はいっぱいあるが、ミニマルとは感じなかった。
平石;90年代の作品では、ビートが非常に強調されるようになりました。
野村;緻密に作曲されてるが、非常に感覚的な音楽で、作曲なのに即興的な感じもしました。楽譜に最低限の情報しか書いていないという意味で、ミニマルさは貫かれていた。ただ、楽譜に書いてあることがミニマルだと、演奏者が細部まで緻密に作らないケースが多く、アバウトな演奏にいくつも出会った。もっといい演奏ができるんではと、P-ブロッで平石さんの曲をやってみようと思った。
●P-ブロッと平石博一
野村:現代音楽の演奏家よりも、ポップスを演奏している人、ビートをもっと普段から突き詰めてやってる人が演奏した方が、平石さんの音楽の魅力がもっと出るのではと、P-ブロッで取り組んだが、思った以上に難しくて(笑)。
平石;僕の音楽は練習しなくてもできそうな易しい譜面に見えるけど、演奏した結果を客観的に細部に渡って認識できるような演奏家でないと、うまくできないと感じています。肉体的にも精神的にもかなり切り詰めた状態じゃないと、上手くできないと思う。このことは、クラシックも同じだと思いますが。P-ブロッに演奏してもらって、音楽の肉体的な運動っていうか、音楽は生きてる人間が作ってるんだって実感させてくれて、かなり感激したのです。P-ブロッは音楽を体でやってる集団って印象。P-ブロッはそれぞれが独自の音楽観をもっていて、それが非常に良い結果をもたらしていると思います。メンバー構成のユニークさがあると思う。曲を書いている時、いつもP-ブロッが演奏してる姿が頭に浮かんでいます。だから、弦楽四重奏とか、ピアノ曲とは全然違う表情の曲になる。鍵盤ハーモニカはキーボードをたたくとノイズがでるんだけど、P-ブロッの演奏では楽譜に書かれていないノイズも演奏に取り入れられているっていうのが、「手の記憶は耳に届く」を作った動機。運動の記録として音楽が成り立つと思ったのです。音よりも肉体的な運動が先にあるということを念頭に作曲したという訳です。
野村;運動を意識した音符が曲が進むにつれて出てくる。最初は音として始まっていくんですが、必ず曲が進むにつれて演奏するほうも、身体的になっていくことが多い。
●風光る
野村;「緑色のガラスを抜けて」は本当に美しい曲ですね。
平石;「風光る」と「緑色のガラスを抜けて」は共通点があって、緑色は教会のステンドグラスのイメージがあって。「風光る時」というピアノ曲は、僕の妻が亡くなったときのレクイエムとして書いた曲で、思い入れがあって、それをアレンジした「風光る」にも思い入れがあります。「緑色のガラスを抜けて」はその兄弟みたいな曲。
野村:「風光る」は、「風光る時」と同じ音型が出てくるが、全く違った印象に仕上がっている。P-ブロッのために書かれた他のどの作品とも全く違う。
平石;「風光る時」の別バージョンをいろいろ作ったのですが、原型から一番離れてるのは、この曲かもしれない。モアレ効果というか、同じフレーズが16分音符で全部ずれていって、響きを作る。ピアノソロではできなくて、アンサンブルだからできることです。
●空間音楽
野村;「石は足につまづく」とか「緑色のガラスを抜けて」っていうのは、左と右に分かれたステレオの音楽なんですけど。
平石;音を空間的に配置するっていうのは、長年のテーマです。アンサンブルの場合、空間的に音を配置したいっていう欲求が強くて、70年代に全員が聴衆を囲んで演奏する吹奏楽曲を書いたり、太鼓がたくさん回りにならんで、真ん中にキーボード、その間に弦、という風に聴衆の中に演奏家がいるっていうのを書いたりしたのです。90年代になって、生演奏じゃなくてコンピュータでも空間音楽ができるようになり、最近はそれを追及しています。「Hiroshima」っていう8chのインスタレーションでは、空間的に音がまわる。でも、生演奏でも空間的な音楽をやりたいっていう欲求は常にあって、今回の新曲は、ハーモニーが4chで空間的に移動するというものです。8人で4箇所に分かれて演奏する。ビートがない、空間的なものにしようと思っています。
野村;タイトルは?
平石;まだ仮だけど、「Walking in space」(=「空間を歩く」、「宇宙遊泳」)。空間に音が歩き回る。配置ではないんだよね。やっぱり動きというか。
野村;音が動き回るんですね。今回は映像もあるんですよね。
平石:あと、ダンスと映像と音楽というコラボレーションをかなりやるようになって、自分でも映像をやりたいっていう欲求が出てきて、音が先にあって映像をつけるってのをやってもらったのが、「少年と海」。「GREEN」は自分で映像を作って、音をあとからつけている。視覚と音の実験をやりたいと思っていて、その一貫です。
野村:「ショパンを聴いて戦争に行こう」は?
平石:タイトルは松井さんの詩からきています、基本的に声だけで作ってるんです。声が空間的に配置される。今回のプログラムではこれだけ異質なんだけど、、、。朗読を切り取って、ピッチとリズムを入れるというよりは、時系列をバラバラにして組み合わせ直すということもやっている。
野村;やっぱり平石さんはコンセプトが貫かれているという意味で、ミニマルというか、シンプルで、作られてくる音楽はとても多様で複雑だと思うんです。コンサート全体を通すと、平石博一とは何をやっているのかが浮き彫りにできると思います。みなさん是非、お越しください。
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■profile
平石博一 http://cat.zero.ad.jp/hiraishi/作品を初めて発表した72年から一貫してミニマル・ミュージック的な作風を追求。
Hiroshima Art Document 2002で8chによるサウンドインスタレーションを実現。
それ以来空間音楽パフォーマンスの展開に力を入れている。
P-ブロッ http://www7a.biglobe.ne.jp/~nomu104/p-blot.index.html
'96年作曲家野村誠の呼びかけで結成された鍵盤ハーモニカのみのアンサンブル。
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ところで、テトテト本番や防災EXPOのことが、藤浩志さんのブログの1月20日のとこにアップされてます。kananaga、ほめられている、じーん。。。うっとり。。。