■今日の午後、「氷川丸船内の非公開場所見学ツアー」なる催しに行ってきました。
午前の部と午後の部があり、私は午後の部10名のうちのひとりでした。「普段は見られない乗組員の部屋や、船首部分などの非公開場所をご案内します」のキャッチフレーズでの募集。いかなる場所を見せていただけるのか・・・・・と、寒波襲来で、冷たい風が吹き荒れる山下公園に行ったのでした。それにしても寒かった! 冷たい強い風が吹き続け、止(や)むことがないんですから。
【Cデッキ(船底から見て4階部)後方にある機関部員室。前方Bデッキ(前部上甲板下)には甲板員室がある。いずれも8人部屋だが、帆船日本丸の部屋から想像していた以上に、広い部屋であった。】
【機関部員用にも甲板員用にも専用のトイレと風呂がついていた。タイル作りで、当時としては奢(おご)った作りである。客室は全て様式トイレであるが、こちらの大便用は和式であった。】
【大きい風呂は海水風呂で、4人が入れそうな広さ。左手前の小さな風呂は、浸(つ)かると言うより、上がり湯をかけてベタつきを取るためのものである。】
■氷川丸の表向きの見学コースは、何度も行っています。
実に華やかなで、メチャクチャ豪華で、お高い客船です。シアトルまでの旅客賃は、当時の東京で、土地付きの一軒家が買える金額の半分・・・・・とか。まぁ、船には等級もあるし、東京もピンからキリまであるし、家がどんなものかは判りませんが、とにかく安くなかった事だけは確かなようです。そんな事で、一般公開されている見学コースは、豪華さが伺(うかが)える内容です。
【後部最下層。スクリューシャフトがあった場所。スクリュー、シャフトの大部分、舵の大部分は取り除かれている。写真は左舷側のシャフトトンネルで、奥の光った穴先にスクリューがあった場所になる。】
【後部甲板上に隔離病室があり、その天井上に、舵輪など操船できる設備がある。艦橋の設備が調子悪い時に、実際に使っていたという話しであった。】
■今回の非公開場所見学ツアーの感想ですが、一言で片づけてしまうと「廃墟ツアー」でしょうか。
もちろん、ボロボロのところばっかしではなかったのですが。本日の写真は、特に、滅多に目の触れないような写真にしようとしましたが、あまり絵的に良さそうでなかような気がして、枚数を撮っていません。今思えば、残念なことをしてしまいました。
【甲板員室近くに、ボースン(甲板員長)室があった。結構、りっぱな部屋である。】
【ウエルデッキから見た艦橋前部の写真。実に無機質な感じして、古いビルのゆな感じである。最上階(ウエルデッキから見て5階)に操船室・無線室などがある。その下(4階)は船長室、3階に甲板部士官居室、2階が一等社交室、ウエルデッキと同じフロアに三等喫煙室・三等社交室となる。】
■実は、帆船日本丸と同じ年齢でもあります。
1930年(昭和5年)竣工。氷川丸が4月25日だそうなので、帆船日本丸の方がわずかに早く、お姉さんになるんですネ。何かの縁でしょうか、氷川丸は横浜船渠(現・三菱重工)で作られています。現在、帆船日本丸が係留されているドッグも、三菱重工のドッグのうちのひとつです。昨年、国の重要文化財となった氷川丸、そして、このたび、この3月10日に、重要文化財として答申された帆船日本丸。いろいろな縁(えにし)を感じているのは私だけでしょうか?
良し悪しは別として、帆船日本丸では「廃墟ツアー」のようにならない事を祈っています。
午前の部と午後の部があり、私は午後の部10名のうちのひとりでした。「普段は見られない乗組員の部屋や、船首部分などの非公開場所をご案内します」のキャッチフレーズでの募集。いかなる場所を見せていただけるのか・・・・・と、寒波襲来で、冷たい風が吹き荒れる山下公園に行ったのでした。それにしても寒かった! 冷たい強い風が吹き続け、止(や)むことがないんですから。
【Cデッキ(船底から見て4階部)後方にある機関部員室。前方Bデッキ(前部上甲板下)には甲板員室がある。いずれも8人部屋だが、帆船日本丸の部屋から想像していた以上に、広い部屋であった。】
【機関部員用にも甲板員用にも専用のトイレと風呂がついていた。タイル作りで、当時としては奢(おご)った作りである。客室は全て様式トイレであるが、こちらの大便用は和式であった。】
【大きい風呂は海水風呂で、4人が入れそうな広さ。左手前の小さな風呂は、浸(つ)かると言うより、上がり湯をかけてベタつきを取るためのものである。】
■氷川丸の表向きの見学コースは、何度も行っています。
実に華やかなで、メチャクチャ豪華で、お高い客船です。シアトルまでの旅客賃は、当時の東京で、土地付きの一軒家が買える金額の半分・・・・・とか。まぁ、船には等級もあるし、東京もピンからキリまであるし、家がどんなものかは判りませんが、とにかく安くなかった事だけは確かなようです。そんな事で、一般公開されている見学コースは、豪華さが伺(うかが)える内容です。
【後部最下層。スクリューシャフトがあった場所。スクリュー、シャフトの大部分、舵の大部分は取り除かれている。写真は左舷側のシャフトトンネルで、奥の光った穴先にスクリューがあった場所になる。】
【後部甲板上に隔離病室があり、その天井上に、舵輪など操船できる設備がある。艦橋の設備が調子悪い時に、実際に使っていたという話しであった。】
■今回の非公開場所見学ツアーの感想ですが、一言で片づけてしまうと「廃墟ツアー」でしょうか。
もちろん、ボロボロのところばっかしではなかったのですが。本日の写真は、特に、滅多に目の触れないような写真にしようとしましたが、あまり絵的に良さそうでなかような気がして、枚数を撮っていません。今思えば、残念なことをしてしまいました。
【甲板員室近くに、ボースン(甲板員長)室があった。結構、りっぱな部屋である。】
【ウエルデッキから見た艦橋前部の写真。実に無機質な感じして、古いビルのゆな感じである。最上階(ウエルデッキから見て5階)に操船室・無線室などがある。その下(4階)は船長室、3階に甲板部士官居室、2階が一等社交室、ウエルデッキと同じフロアに三等喫煙室・三等社交室となる。】
■実は、帆船日本丸と同じ年齢でもあります。
1930年(昭和5年)竣工。氷川丸が4月25日だそうなので、帆船日本丸の方がわずかに早く、お姉さんになるんですネ。何かの縁でしょうか、氷川丸は横浜船渠(現・三菱重工)で作られています。現在、帆船日本丸が係留されているドッグも、三菱重工のドッグのうちのひとつです。昨年、国の重要文化財となった氷川丸、そして、このたび、この3月10日に、重要文化財として答申された帆船日本丸。いろいろな縁(えにし)を感じているのは私だけでしょうか?
良し悪しは別として、帆船日本丸では「廃墟ツアー」のようにならない事を祈っています。