チャンドラーの遺作『POODLE SPRINGS』は、わずか4章が書かれたままだった。この未完の小説は30年後にロバート・B・パーカーによって完成させられ、『プードル・スプリングス物語』として邦訳(菊池光訳、早川書房)も出ている。
われらが主人公の私立探偵フィリップ・マーロウは、なんとリンダ・ローリングと結婚し、新婚25日目に、夫婦で新居を見に行く場面から始まる。それがこの遺作だ。
リンダ・ローリングはご存知『長いお別れ』に登場した人妻だった。村上春樹の新訳『ロング・グットバイ』(早川書房)から、彼女の登場場面を見てみよう。
「バー・スツールには、黒いテーラードメイドの服を着た女性が一人座っていた。こんな季節に着ていられるのだから。オーロンだかなんだかそういう化学繊維で作られたものに違いない。彼女は淡い緑色をした飲み物を前に置き、長い翡翠のシガレット・ホールダーで煙草を吸っていた。細部までくっきり締まった顔だちだった。それは神経症のしるしかもしれないし、性的飢餓のしるしかもしれないし、あるいはただ極端な食事療法をとっているだけかもしれない」
物語はマーロウの視点で叙述されているから、これがマーロウの彼女に対する第一印象であり、なにかぎすぎすとした女性という印象を読者も持たされる。「性的飢餓」などという表現は、彼女が夫とはすでに冷たい関係になっていることのチャンドラー流の伏線である。
事件がほぼ解決した終章近くで、彼女はマーロウの家に一泊用の鞄を持ってやってくる。ところがふたりは、ちょっとした行き違いでいさかいをして、マーロウは彼女が帰ったと思ってしまう。
チャンドラーは、決してすんなりと進行するラブシーンを書かない。
「背後から声がした。『馬鹿ね。行ってしまったと思ったの?』
ドアを閉めて振り向いた。彼女は髪をほどき、はだしの足に房飾りのついたスリッパを履き、絹のローブを羽織っていた。日本の版画の夕日みたいな色あいのローブだった。らしくない恥ずかしげな微笑を顔に浮かべ、ゆっくりとこちらにやってきた」(村上春樹訳)
かくて彼らは結ばれた。けれども私はチャンドラーが彼らを結婚させるとは思いもしなかった。マーロウはこのとき42歳、リンダは36歳だった。
ついでにロバート・B・パーカーが描くところの二人のラブシーンはこうなる。
「リンダがスーツの上衣のボタンを外して脱ぎ、スカートのジッパーを下ろして抜け出た。下着を脱いで床に落とすと、背筋を伸ばしてまた私にほほえみかけた」(菊池光訳)
『プードル・スプリングス物語』の最終章で、紆余曲折あったふたりが再び愛を確認しあう場面の描写だ。チャンドラーははたしてこんな書き方をしただろうか。
リンダは大富豪の娘である。もとよりマーロウは妻の財力に頼るような男ではなく、リンダの意に反して、しがない探偵稼業をやめようとしない。ハードボイルドの美学は、いわば痩せ我慢である。そこにふたりの葛藤がある。いったいチャンドラーはふたりの愛の行く末を、どう構想していたのか。もっとも考えつきやすいのは、彼女をなんらかの事件に巻き込ませて死なせることである。すくなくともマーロウの孤絶感は担保できるからである。パーカーだって、そう考えたはずだ。しかし、おそらくそれでは安易過ぎるとして、そうはしなかった。
村上春樹の新訳を再読していて、ふと思った。チャンドラーは裏の裏をかくひとだ。たぶんチャンドラーの遺作では、リンダは死ぬ運命だったと。リンダは『ロング・グッドバイ』で登場した女性だ。彼女と結ばれた日の翌朝の描写。
「さよならを言った。タクシーが去るのを私は見まもっていた。階段を上がって家に戻り、ベットルームに行ってシーツをそっくりはがし、セットしなおした。枕のひとつに長い黒髪が一本残っていた。みぞおちに鉛のかたまりのようなものがあった」(村上春樹訳)
そのあとに、二行ほど文章があって、あの有名な台詞がある。
「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」
思えば、『ロング・グットバイ』はいくつかの別離が主調低音にある作品だった。チャンドラーの遺作は、その続編だったと考えられないか。遺作の、つまりチャンドラーの最後の作品のヒロインはリンダであり、彼女にほんとうの「さよなら」を、マーロウは、あるいは私たち読者は告げざるをえない設定が構想されていたのではないだろうか。
われらが主人公の私立探偵フィリップ・マーロウは、なんとリンダ・ローリングと結婚し、新婚25日目に、夫婦で新居を見に行く場面から始まる。それがこの遺作だ。
リンダ・ローリングはご存知『長いお別れ』に登場した人妻だった。村上春樹の新訳『ロング・グットバイ』(早川書房)から、彼女の登場場面を見てみよう。
「バー・スツールには、黒いテーラードメイドの服を着た女性が一人座っていた。こんな季節に着ていられるのだから。オーロンだかなんだかそういう化学繊維で作られたものに違いない。彼女は淡い緑色をした飲み物を前に置き、長い翡翠のシガレット・ホールダーで煙草を吸っていた。細部までくっきり締まった顔だちだった。それは神経症のしるしかもしれないし、性的飢餓のしるしかもしれないし、あるいはただ極端な食事療法をとっているだけかもしれない」
物語はマーロウの視点で叙述されているから、これがマーロウの彼女に対する第一印象であり、なにかぎすぎすとした女性という印象を読者も持たされる。「性的飢餓」などという表現は、彼女が夫とはすでに冷たい関係になっていることのチャンドラー流の伏線である。
事件がほぼ解決した終章近くで、彼女はマーロウの家に一泊用の鞄を持ってやってくる。ところがふたりは、ちょっとした行き違いでいさかいをして、マーロウは彼女が帰ったと思ってしまう。
チャンドラーは、決してすんなりと進行するラブシーンを書かない。
「背後から声がした。『馬鹿ね。行ってしまったと思ったの?』
ドアを閉めて振り向いた。彼女は髪をほどき、はだしの足に房飾りのついたスリッパを履き、絹のローブを羽織っていた。日本の版画の夕日みたいな色あいのローブだった。らしくない恥ずかしげな微笑を顔に浮かべ、ゆっくりとこちらにやってきた」(村上春樹訳)
かくて彼らは結ばれた。けれども私はチャンドラーが彼らを結婚させるとは思いもしなかった。マーロウはこのとき42歳、リンダは36歳だった。
ついでにロバート・B・パーカーが描くところの二人のラブシーンはこうなる。
「リンダがスーツの上衣のボタンを外して脱ぎ、スカートのジッパーを下ろして抜け出た。下着を脱いで床に落とすと、背筋を伸ばしてまた私にほほえみかけた」(菊池光訳)
『プードル・スプリングス物語』の最終章で、紆余曲折あったふたりが再び愛を確認しあう場面の描写だ。チャンドラーははたしてこんな書き方をしただろうか。
リンダは大富豪の娘である。もとよりマーロウは妻の財力に頼るような男ではなく、リンダの意に反して、しがない探偵稼業をやめようとしない。ハードボイルドの美学は、いわば痩せ我慢である。そこにふたりの葛藤がある。いったいチャンドラーはふたりの愛の行く末を、どう構想していたのか。もっとも考えつきやすいのは、彼女をなんらかの事件に巻き込ませて死なせることである。すくなくともマーロウの孤絶感は担保できるからである。パーカーだって、そう考えたはずだ。しかし、おそらくそれでは安易過ぎるとして、そうはしなかった。
村上春樹の新訳を再読していて、ふと思った。チャンドラーは裏の裏をかくひとだ。たぶんチャンドラーの遺作では、リンダは死ぬ運命だったと。リンダは『ロング・グッドバイ』で登場した女性だ。彼女と結ばれた日の翌朝の描写。
「さよならを言った。タクシーが去るのを私は見まもっていた。階段を上がって家に戻り、ベットルームに行ってシーツをそっくりはがし、セットしなおした。枕のひとつに長い黒髪が一本残っていた。みぞおちに鉛のかたまりのようなものがあった」(村上春樹訳)
そのあとに、二行ほど文章があって、あの有名な台詞がある。
「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」
思えば、『ロング・グットバイ』はいくつかの別離が主調低音にある作品だった。チャンドラーの遺作は、その続編だったと考えられないか。遺作の、つまりチャンドラーの最後の作品のヒロインはリンダであり、彼女にほんとうの「さよなら」を、マーロウは、あるいは私たち読者は告げざるをえない設定が構想されていたのではないだろうか。