「郎女迷々日録 幕末東西」というブログをたちあげている松山在住の郎女さんから、いろは丸関係の地元の史料のコピーを何点か送っていただいた。そのひとつに澄田恭一氏の「大洲藩『いろは丸』異聞~『大洲藩史料』からの考察~」があった。
論文の冒頭で平成15年1月12日付の愛媛新聞の記事が紹介されている。以下、記事の一部。
「…『大洲藩史料』に、賠償金は大洲に全額支払われていたとする記述があることが、元高校教諭澄田恭一さんの指摘で分かった。賠償金の行方をめぐっては、土佐の海援隊に横取りされて、大洲藩には渡らなかったなどの諸説があり、愛媛大学の内田九州男教授(日本近世史)は『有力な史料が加わった』と話している」
この記事の存在をはじめて知ったけれど、ちょっと戸惑いに似た意外感にうたれた。平成15年にもなって、なんでこんなことが話題になるのだろうという思いがしたのである。
「わたし自身、四国の大洲を訪れて調べてみたが、7万両のうち4万2000両は大洲藩に支払われた、と見ていいと思う(『旧大洲藩史』ほか)」と坂本藤良氏が中公新書『幕末維新の経済人』に書いたのは、昭和59年である。だから大洲藩史の記述は、地元では周知のことと、私は思い込んでいたのである。どうやらそうではなかったらしい。
いずれにせよ澄田氏の論文は、いろは丸研究史のコンパクトな概説書としては、よくまとまっており、教えられるところが少なくなかった。ところが、いろは丸研究史をたどればたどるほど謎が増えてくる。
たとえば大洲藩史料では、いろは丸の売主はオランダ人アデリアンとなっていて、長崎商人有田彦兵衛なる人物もからんでくるが、長州藩士に同姓同名の人物がいて、一瞬はっとしたりする。アデリアンは土佐関係の史料ではベルギー人となっているが、別の史料ではイギリス人だったりする。大洲藩の洪福丸と土佐藩の横笛の売主に関しては、たしかにアデリアンであるが、さて、いろは丸の大洲藩への売主は通説のボードイン、新説のロウレイロ、それにアデリアンと三候補あるわけだ。この3者の関係をどう解きほぐすか。
坂本氏ではないが、ほんとうに大洲へ調べにいかなくてはならない。
論文の冒頭で平成15年1月12日付の愛媛新聞の記事が紹介されている。以下、記事の一部。
「…『大洲藩史料』に、賠償金は大洲に全額支払われていたとする記述があることが、元高校教諭澄田恭一さんの指摘で分かった。賠償金の行方をめぐっては、土佐の海援隊に横取りされて、大洲藩には渡らなかったなどの諸説があり、愛媛大学の内田九州男教授(日本近世史)は『有力な史料が加わった』と話している」
この記事の存在をはじめて知ったけれど、ちょっと戸惑いに似た意外感にうたれた。平成15年にもなって、なんでこんなことが話題になるのだろうという思いがしたのである。
「わたし自身、四国の大洲を訪れて調べてみたが、7万両のうち4万2000両は大洲藩に支払われた、と見ていいと思う(『旧大洲藩史』ほか)」と坂本藤良氏が中公新書『幕末維新の経済人』に書いたのは、昭和59年である。だから大洲藩史の記述は、地元では周知のことと、私は思い込んでいたのである。どうやらそうではなかったらしい。
いずれにせよ澄田氏の論文は、いろは丸研究史のコンパクトな概説書としては、よくまとまっており、教えられるところが少なくなかった。ところが、いろは丸研究史をたどればたどるほど謎が増えてくる。
たとえば大洲藩史料では、いろは丸の売主はオランダ人アデリアンとなっていて、長崎商人有田彦兵衛なる人物もからんでくるが、長州藩士に同姓同名の人物がいて、一瞬はっとしたりする。アデリアンは土佐関係の史料ではベルギー人となっているが、別の史料ではイギリス人だったりする。大洲藩の洪福丸と土佐藩の横笛の売主に関しては、たしかにアデリアンであるが、さて、いろは丸の大洲藩への売主は通説のボードイン、新説のロウレイロ、それにアデリアンと三候補あるわけだ。この3者の関係をどう解きほぐすか。
坂本氏ではないが、ほんとうに大洲へ調べにいかなくてはならない。