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女系天皇は憲法違反か

2010年09月14日 03時53分15秒 | 日々感じたこととか

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/78478ca7d4aebc00f057beebd43f17a4

 

現在のまま推移すれば男子の皇族がいずれ悠仁親王お一人になる。この事態を前にして、悠仁親王御生誕で一旦沈静化したものの、皇室の危機の構図に変化があるはずもなく、最近また「女系天皇」を巡る議論が喧しくなっているようです。しかし、私の目には「女系天皇」を巡る議論の多くは論理的には杜撰に見える。中には、「雅子様派-紀子様派」の<代理戦争>と感じられるものもあり、また、自己の願望を告白する「信仰告白-真理告白」の如きものもまま見受けられる。本稿は憲法基礎論の地平から「女系天皇」問題がどのような位相にあるのか、この一点に絞って検討するものです。





■女性天皇と女系天皇
現行憲法が天皇制をその不可欠の一部(an essential part of it)としている以上、すなわち、憲法改正を行なわない限り(というか、旧憲法の改正条項を使って現行憲法が新憲法として制定された経緯と同様、その場合の「改正」は法論理的には新憲法の「制定」と分類されるべきでしょうが)、天皇制の廃止や皇統の消滅は議論の対象から除くとして、所謂「女帝=女性天皇」に反対する論者は左右とも少数のようです(尚、「天皇制」という言葉を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照ください。また、本稿では、「大王」「王」と記すべき8世紀以前に関しても「天皇」の表記で通しています)。要は、


(L)現行憲法の掲げる「男女同権」(14条1項・24条・44条)の価値

(R1)史上、10代・8人の女性の天皇(更には、実質的どころか形式的にも天皇であったとも見られる神功皇后・飯豊皇女を加えれば12代・10人の女帝)が存在した事実

(R2)我が国は文化史的や文化人類学的には、すなわち、家族制度、財産および地位の相続と継承に関しては「双系制」と言うべき社会であったこと。すなわち、朱子学が社会の公的イデオロギーの座を占めた江戸期中期以前は、そして、儒教とは別の意味で「男性中心主義」が強化された明治民法体制以前は(実は、その時代でも特定アジアの儒教国や西欧と比べれば女性の地位は高かったとも言えるのですが)「女戸主」や「女地頭」は、ある意味、普通の存在であり、まして、後には院政の主宰者の立場と同義になる、氏族としての「天皇家」の「家長権-氏長者権」は、皇室財産の過半を占めた長講堂領・八条女院領等の女院領の帰属と同値であったことからも推測できる通り、女性の財産権や政治的影響力は(例えば、二位の尼、北条政子のそれのように専ら「属人的-実質的」なものではなく)半ば公的なものであったこと 


これら(R1)(R2)を踏まえてでしょうか、保守系の論者も「女帝=女性天皇」にはおおむね支持か容認の立場ではないかと思います。   

・「天皇制」という用語は使うべきではないという主張の無根拠性について(正)(補)
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/402e7208ca4e007f8b3941069ce176d4

尚、保守主義、および、保守主義の基盤たる<伝統>ということに関しての私の基本的理解については下記拙稿をご参照ください。

・保守主義の再定義(上)(下)
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/141a2a029b8c6bb344188d543d593ee2

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3



よって、問題は「女系天皇」。言葉の意味を整理しておきます。すなわち、

女性の天皇と女性天皇の容認を意味する「女性天皇」に対して、「女系天皇」とは、女性天皇の卑属に次世代の皇室身分と皇位継承の資格を認めるルール体系を意味する。而して、<制度>の側面から見た場合、「女性天皇」が単に個々の天皇と天皇有資格者の性別に言及する一代限りの天皇にかかわる制度にすぎないのに対して、「女系天皇」は皇統継承のルールにかかわる制度と言える。よって、「女性天皇」はある天皇が女性であるという事実の記述と制度概念の両義を帯びるが、「女系天皇」は専ら<制度>概念であり、正確にはそれは「女系天皇制」と表記されるべきものである。   


蓋し、皇室の危機のソリューションとして挙げられる、①女性天皇制、②旧宮家の皇籍復帰、③養子制度(現行の皇室典範9条を改正して、天皇および皇族が養子を迎えることを認める制度改革)、④女系天皇制のうち、皇族の自然消滅の蓋然性が解消されるべき危機とすれば、①は(聖母マリアのような奇跡でも起きない限り)次世代の皇族がその女帝の卑属としては論理的にはゼロになる制度に他ならず抜本的解決にはなりえない。よって、危機の抜本的解決策は、④の女系天皇制か、確率的には――所謂「側室」制度が導入されたとしても、例えば、あの徳川将軍宗家15代の系図における断絶の頻発を見れば明らかなように、けっして、――「抜本的」とは言えませんが、②の旧宮家の皇籍復帰、もしくは、旧宮家の男子を養子に向かえる前提での③、あるいは、②③の併用に収斂すると思います。というか、実は、④さえも②③の輔弼与力がなければ最終解決案ではないのでしょうけれど。

◎ 皇室の危機解消の現実的ソリューション
(甲)女系天皇制
(乙)旧宮家の皇籍復帰∨養子制度の導入
    



【第27新羅王・善徳女王】



■女系天皇論の陥穽
女系天皇を巡る保守派内部の賛否両論を見聞きしていて私が常々疑問に思うことがあります。それらは、ある意味、「左翼-リベラル派」が唱える男女同権論からの女系天皇賛成論よりも基本的な誤謬を犯しているのではないかということ。すなわち、「過去に事実がいかほど積み重ねられていようと、それはある法規範や相互に連関する法規範のパッケージたる制度が今後どうあるべきかという主張の根拠にはならない」ということです。これこそ、新カント派の方法二元論を持ち出すまでもなく法論理的には自明のことである、と。

すなわち、遅くとも継体天皇が即した6世紀初頭から千五百年余り、男系で皇統が継承されてきているとしても、それは、単に「事実:Sein」の問題であり「価値:Sollen」の問題である女系天皇制の可否決定には論理的にはとりあえず直接の影響はないのです(重要なことは「とりあえず直接」という限定句です)。

伝統や歴史、事実の蓄積は女系天皇を否定も肯定もしない


よって、次のような議論は、女系天皇制に関しては「とりあえず直接」の影響はない。

(P1)財産の継承や政治的影響力という点では女性の影響力は支那などに比べて本邦は強かった。また、藤三娘光明子までは「皇后」は「天皇」とほぼ対等の権威を持っていた。つまり、「天皇」と「皇后」を区別する現在の男系理論は、所謂「皇国史観」から流れ込む平田神道とドイツ流の観念的国家論の混合物にすぎない。

(P2)日本の皇統は6世紀近くまで「男女双系制」であったとも解される。実際、7世紀以降もあるタイプの婚姻慣行、すなわち、かなり限定されたある氏族(葛城氏・吉備氏・蘇我氏・藤原氏)と氏族としての「天皇家」が婿嫁をやりとしていたことは否定できない。而して、この文化人類学的事実を踏まえれば(『記紀』の記述を事実と仮定したとしても)皇統の継承においても、例えば、雄略系王統の断絶に際して履中系の仁賢天皇が「雄略系-允恭系」の春日太郎皇女に入り婿して皇位を継承したこと、あるいは、仁徳系王統の断絶に際して応神系の継体天皇が仁徳系の手白香皇女に入り婿する形で皇位を継承したことからは、少なくとも、6世紀初頭までは天皇を出せる氏族としての「天皇家」が複数あり、その複数の「天皇家」相互間では、皇位の継承に関しても双系制であった蓋然性は否定できない。

ならば、男系の天皇の卑属のみに皇位継承の資格を認めるという主張は、我が国の伝統とも文化とも直接の関連はない。蓋し、支那の則天武后、新羅の善徳女王・真徳女王・真聖女王等の極めて僅かの例外を除けば支那や朝鮮には存在しない(男系にせよ)「女帝」を日本は近世に至るまで認めてきたことでも明らかなように、7世紀以降も双系の皇位継承ルールと男女の対等な関係は日本文明の伝統であった。畢竟、現下の皇統消滅の危機に際しては平時の皇位継承ルールを日本自体の伝統に沿って変えることにはなんら問題はない。    


(C1)『記紀』を紐解けば神武以来皇統は男系で継承されてきた。10代8人の女帝を見ても女帝はすべて男系皇統に属していた。また、女帝の卑属が天皇に即位したケース(「皇極=斉明」天皇、元明天皇)ではその女帝の「配偶者=女帝の卑属の父」は天皇か天皇に準じる皇子(舒明天皇・草壁皇子)だった。畢竟、「天皇」は「天皇」であり、「皇后」は「皇后」である(そうでなければ、わざわざ、推古皇后・「皇極=斉明」皇后・持統皇后が「天皇」に即位する必要はなかったはずではないか)。

(C2)欽明朝以降、天武朝に至るまで通用した、皇位は天皇と前天皇の娘である(天皇の異母姉妹たる)皇女の間に出来た宮腹の皇子が継承し、当該の皇女の母は蘇我氏等の特定の有力豪族出身者にほぼ限定されるという慣行(クレオパトラのプトレマイオス朝の近親婚と類似の制度)の確立は、貴種を拡散させず、他方、皇位継承者をより確実に確保するための慣習と言うべきである。ならば、遅くとも、6世紀初頭の継体天皇の御世からは、皇位は男系の皇子が継承すべきだというルールが、否、ルールと言えば我田引水ならばそのような観念が成立したことは間違いない。

蓋し、8世紀初頭の『記紀』の成立期にはすでに、①家産や政治力の継承と区別される、②「天皇=国家の象徴」としての地位は(女帝を含む)男系皇孫に限定されるべきだという観念が成立していた。ならば、その観念に基礎づけられた千数百年の伝統は尊重されるべきだ。    



これらの主張は歴史的事実を巡る議論としてはどれも満更間違いではないでしょう。しかし、憲法論の地平からはそれらは女系天皇制を否定も肯定もしないのです。では、女系天皇制の可否を決めるものは何か。そもそも憲法とは何なのか。蓋し、

憲法とは法典としての(1)「憲法典」に限定されるのではなく、(2)憲法の概念、(3)憲法の本性、そして、(4)憲法慣習によって構成されている。而して、(1)~(4)とも、「論理的-歴史的」な認識であり最終的には国民の法意識(「何が法であるか」に関する国民の法的確信)が確定するもので、それらは単に個人がその願望を吐露したものではない。そうでなければ、ある個人の願望にすぎないものが他者に対して法的効力を帯びることなどあるはずもないから。    




畢竟、(イ)日本の現行憲法の解釈を考えた場合、憲法の条項(第1章)からは女系天皇制の可否は決められない。また、(ロ)憲法一般の性質や内容を取り扱う憲法の概念や憲法の本性からもその可否は導き出せない。ならば、(ハ)その可否を決めるものは、それ自体としては「とりあえず直接」の影響を問題解決に及ぼさない上記の如き歴史的事実を踏まえた(そして、「旧宮家の皇籍復帰∨養子制度の導入」との比較考量をも鑑みた)憲法慣習を巡る国民の法意識に帰着する。すなわち、歴史的事実は国民の法意識の回路を通してのみ女系天皇制の可否決定に影響を及ぼすということです。

而して、上記(ハ)の歴史的事実に関する国民の評価(すなわち、ラートブルフの言う意味での「価値に関係づけられた事実判断」)に加えて、(ニ)例えば、国会や裁判所の運営は、原則、国会や裁判所が自律的に形成する慣習に任せられるべきだという、ある「部分社会を律するルール」を巡る国民の法意識が認められるとすれば、これらとパラレルに女系天皇制を巡る国民の法意識の確定においては、今上天皇および現在の皇室方の意志が尊重されるべきであろう。

蓋し、女系天皇は現行憲法の要請する所とは言えないが、さりとて、現行憲法が禁止しているものでもない。而して、その帰趨は、国民の法意識が政治的に決めるべきことであり、そして、その国民の法意識が参照すべきものは、過去の伝統慣習と並んで今上天皇と皇室方の御意志である。こう私は考えます。尚、憲法の概念に関する私の基本的な理解に関しては下記拙稿を参照いただければ嬉しいです。


・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/17985ab5a79e9e0e027b764c54620caf

・憲法と常識(上)~(下)
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/d99fdb3e448ba7c20746511002d14171

・憲法無効論の頑冥不霊と無用の用(上)(下)
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/549d2c93464c9dbc2594fd23f3fe5391

・法とは何か☆機能英文法としての憲法学
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/da03dfc063c48a57b2332e17c3871d18






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