のんびりしたいのだが・・・
世間は3連休なのだが、我が家ではそうもいかない。
まずは私の仕事が忙しい。
この数か月、妻が長期不在のとき以外、ほぼ毎週出張が入り、その間に事務所の移転もあるし、デスクワークがたまるばっかり、なのだ。
さらに、子どもたちも忙しい。
息子も娘もほぼ毎日バスケやらサッカーやら野球やらコナミやら。
で、妻もその子どもたちの用事に関連して忙しい。
今日の午前中は、オヤジはゲラを、息子は宿題を相手に格闘中(母娘はバスケ)。
あ、写真を見て気づいたのだが、そう、もはや私は老眼が進み、メガネをかけていると文字が見えない。
(ついつい仕事先で、おもむろにメガネをはずし、「いやあ、字が見えなくなっちゃって」とまるで自慢げに語っています、ハイ)
実は初めて遠近両用メガネを注文中。すでに出来上がっているのだが、取りに行く時間もない。
バスケが終わった娘は、私を決して解放してくれないし。
(でも、ちょっとうれしい)
学校でハロウィンをしたときの服装(自作)
「ねー、かあちゃん、週に一回しかやらないから、DSを買って。お願い…」
我が家は一部屋に四人で寝ている。部屋には二段ベッドがあり、上が息子、下が娘、その脇に布団を二枚敷いて、妻と私が寝ている。
(実際は、娘が私たちの間で寝ることが多い)
そんな部屋で、ある夜、暗闇の中から、DSがほしいという息子の切実な声が聞こえてきたわけである。
「だめ!おやすみ!」
そんな息子の必死の懇願を、ばっさり拒否する母。
翌日、子どもたちが学校へ行った後、洗面所にいる妻に声をかける。
「なー、そろそろDSを買ってやったらどうだ?」
「買わない」
その、あまりに話し合いを一切拒否するかのような冷たい返答に、私はカチンときた。
「あのさー、話し合いしたっていいだろ。それもだめなわけ?」
「考えは変わってないし、話し合う必要がない。」
「俺は買ってやりたいと思う。話し合いをしないなら俺が買ってくる!」
「そうしたら、すぐに捨てる!」
(その、あまりの剣幕にややひみながら)
「じゃー、い、いつになったら買ってやるんだ?」
「そんなの、約束した覚えはない」
「かわいそうじゃないか。週に一回とかきちんと約束させて買ってやれよ」
ここで彼女は完全にキレた。もう誰も彼女を止められないし、私はただ、ただ聞き役に徹するのであった。
「何がかわいそうなの?みんなと同じじゃないから、かわいそうだって言うわけ?」
さらに語気を強めてバッサリと言う彼女。
「つまらない日本人的な発想!」
さらに、さらに大きく息を吸いながら続ける彼女。
「だいたいDSを買って何かいいことあるわけ?
中毒になって困っている話しか聞かない。目も悪くなるし。
悪いことしかないじゃない!」
「いじめが心配なの?いじめがないかどうか、私はしっかり子どもたちを見ている!!」
・・・そんなに見ていないだろうと思いつつも、もはや何も言えず、ワタシには静かに立ち去る(逃げる)しか道は残されていないのであった。
あーあ。
まあ、いいや。
ところで、小学校でハス堀りをしました。
うんうん、まずまず、かな。
「マックスコーヒー買ってやるぞ」
その一言にフラフラと一緒に来て手伝わされる息子。
君って、ホントにおバカさんね(笑)
仙台から帰った夜、外がにぎやかだと思ったら、我が家の前のお寺で各地のお寺の方が集まる行事をしていた。
ハス堀りを一緒にした方から「来年から手伝えよ。人がいなくて困ってんだ」と言われるのだが、うーん、いまの仕事の状況だともういっぱいいっぱいで、ちょっとむずかしいなあ。
ちなみにその方の菊が今年もキレイでした。
菊も散り、さあ、いよいよ師走、だ。
トンネルを抜けると、そこには・・・
今週前半は、長野出張であり、飯田市と長野市へ行ってきた。
飯田は2回目。
今回はがんばって、豊橋経由で秘境列車と言われる飯田線に乗って飯田へ入る。
天竜川の脇を延々と遡る飯田線。
吊り橋がいたるところにある。
まずは平岡駅で特急(と言ってもゆっくり走っていましたが)を降りる。
ここで2時間ほど待って、いよいよ秘境駅へ、という予定だ。
ゆっくりご飯でも食べようと思ったのだが、なんと、店が一軒もない。
人もほとんどいない・・・。
結局、ひなびた駅舎でぼんやり座っているおばちゃんに声をかけて、お土産のトチ餅を買って、空腹を癒す。
あ、いや、旨いは旨いのですけどね。。。
しかもとっても寒い。
寒風吹き荒れるホームで考える。
このまま誰もいない秘境駅へ行って、2時間もたたずんで、いったい何が楽しいのだろうか・・・?
ようやくやってきた飯田線に再度乗って、秘境駅のひとつ、田本へ到着。
・・・しかし、降りませんでした、ハイ。
だって、こんな感じですよ。
熊に襲われたって、誰もいないんですよ。
で、飯田線沿線でもっとも有名な天竜峡で降りた。
いいんです、私、俗っぽいの大好きだし。
いやいや、紅葉と溪谷、すばらしい!
しかも、平日ということもあって、人がほとんどいない。
このつり橋、スリル満点、というか、もう二度と渡りたくないほど怖かった。
うーん、きもちいい~。
そういえば、この近くの温泉にも入った。
実は、駅近くの観光センターで、近くにいい温泉があると聞いたのだ。
「若返りの湯」、というらしい。
「そこって、タオルあります ?」と聞いてみると、観光センターの人のよさそうなおばあちゃんが言う。
「うーん、タオルあったかなあ…」
「あ、いやいや、なんとかなるから大丈夫です」
「あ!そうだ、ちょっと待っちょって!」
奥に入って机の引き出しを次から次に開け始めるおばあちゃん。
すると、粗品のタオルが出てきた。
「これ持って行きなさい」
「いえいえ、いいですよー、悪いなあ」
「せっかく来てくれはったんだから、いいから、持っていきなさいって!」
こんな感じで、とっても気もちよく温泉に入れました。
うわー、大きな銀杏。
こ、これは、なんなんだろうか・・・。
さて、飯田市内のホテルに入る。
夜は、ホテル近くの小料理屋さんへ。
昨年(だったかな?)行って、とてもよかったから、また顔を出してみる。
今回の一押しは、このイシモチの粕漬け。
飯田の人にとって、イシモチはこの粕漬けでの食べ方がもっともポピュラーだとか。
いやいや、旨いっ~!
「いろいろあるなあ」と、私のつまらない話にさりげなく応えてくれる女将さん。
料理は旨いし、とってもきもちよく過ごせるこんなお店がもっと近くにあったらなあ。
〆のお握りといくち汁を食べながら、しんみりと思うのであった。
それにしても、飯田は好きな街だ。
気もちいいんだよなあ。市街地にもリンゴを植えていました。
紅葉もいいなあ。
市役所のケヤキも立派だ。
あら、ここにも標語が。
いったい、なんだんだろう。でも、ちょっとおもしろかったりして。
楽しい飯田の仕事も終わった。
後で聞いたら、私が飯田で出会ったある方は、長野の友人の幼なじみであった。
こんな広い県の中で、こんな偶然もあるのね。
さて、飯田から長野市へ移動。
夜はある社長さんたちと会食をして、8時頃に一人になる。
うーん、権堂が私を呼んでいる・・・(中略)。
翌日、長野市でも仕事を無事終える。
友を待つ間、ちょっと一杯。
辛み大根がたまりませんなあ。
俗世の穢れを落とすとするか(善光寺へ)。
晩秋、ですのう。
いやはや・・・。
げげ、もう酉の市、か・・・。
さ、年末に向かってがんばるか。
きもちよかったね。
そういえば、10月に家族で養老渓谷の温泉宿へ一泊だが泊まってきた。
ひさしぶりにゆっくりできたなあ。
房総半島とはいえ、もう、水もだいぶ冷たくなっているが、子どもたちはかまわないようだ。
翌日、大多喜城などで遊んだ後に、太平洋側の海岸である日在浦(いすみ市)へ。
すると走り出す子どもたち。
君たち、いくらなんでも秋の海には入ったらだめだぞ。しかも夕方だし、波も高いし。
げ、やっぱり入っちゃった・・・。
まあ、楽しそうだからいいか。
とはいえ、さすがに寒いので、この後、海岸沿いの温泉に浸かって帰りました。
絶景でした。
今日から那須塩原。
妻がボンへ行っている間に仕事が山積し、それ以降、週末も仕事となってドタバタしており、ちょっと疲れた。
で、出張ついでに塩原温泉にちょっとだけ立ち寄る。
イヤハヤ、この紅葉の素晴らしさよ。
露天風呂もきもちよかったなあ。
そういえば、妻がボンへ行っている間、近所の方より、つきたても御餅をいただく。
朝食の焼き餅、おいしかったね。
仕事が山積していると言ったが、実はこの間に事務所の引越しがあった。
40年で初めての引越し。
疲れました、はい。というか、引越しから1週間経ったが、まだ完了していないし。
しかも、引越しの合間に水戸出張あり。
アポまでに少し時間があったので、偕楽園へ行ってみたのだが、やっぱり梅の季節以外はなにもありませんでした、はい。
でも、正岡子規のこの句が心に残る。
「崖急に 梅ことごとく 斜めなり」
どんなところでも一所懸命することの美しさ、ってとこかな。
肝に銘じないと。
ところで、塩原で温泉に浸かりながら、たまっている原稿についてフト思う。
このうちのひとつは、放射能問題。
しかも、かなり自分の考えをストレートに出す必要性があり、正直なところ、いま思い悩んでいる。
この塩原も汚染状況重点調査区域だ。つまり、年1ミリシーベルトを超えるエリアを抱えている。
2011年秋の資料を見ると、私が歩いた吊り橋あたりでは毎時0.68マイクロシーベルト(年間で約3ミリシーベルト)。
高いところでは1マイクロシーベルトを超えているところもいくつもあった。
現在は、自然減衰や除染が進み、吊り橋も毎時0.1マイクロシーベルト程度らしい。
最新のデータでは年1ミリを超える場所はほとんどないようだ。
(ただ、調査ポイント以外では、おそらく高い線量の場所もまだまだあることだろう。)
那須塩原市はこれまで住宅除染も進めてきたが、目途がついたという判断なのか、予算がないからなのかわからないが、今月末をもってその申し込みを打ち切るという。
放射能問題が世間で「収束」しようとしているのだろうか。
ただ、福島では依然として13万人が避難生活を余儀なくされており、決して終わった話ではない。
しかし、こうした福島の状況について、「そもそも避難区域の設定が厳しすぎたのではないか」「1ミリシーベルトなんて基準が悪い」などという本末転倒な論調が目立ってきているように感じる。
「収束」させたい勢力も強いのだろう。
一方、声に出さなくても放射能を気にしている人々もまだまだ少なくないはずだ。特に福島ではそれが言えるだろう。
こうした状況の中で、私はどんなことを書くべきなのだろう。
現時点では(国はまったく力を入れていないけれども)子ども被災者支援法の考え方をベースにまとめていこうかと思っている。
軸となるのは、さまざまな事情を抱えつつ、さまざまな生活を送っている被災者の気持ちに寄り添うということだろう。
とはいえ、まだまだ思い悩みそうだ。
◆東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律(H24法律48号)
(目的)
第一条 この法律は、平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故(以下「東京電力原子力事故」という。)により放出された放射性物質が広く拡散していること、当該放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないこと等のため、一定の基準以上の放射線量が計測される地域に居住し、又は居住していた者及び政府による避難に係る指示により避難を余儀なくされている者並びにこれらの者に準ずる者(以下「被災者」という。)が、健康上の不安を抱え、生活上の負担を強いられており、その支援の必要性が生じていること及び当該支援に関し特に子どもへの配慮が求められていることに鑑み、子どもに特に配慮して行う被災者の生活支援等に関する施策(以下「被災者生活支援等施策」という。)の基本となる事項を定めることにより、被災者の生活を守り支えるための被災者生活支援等施策を推進し、もって被災者の不安の解消及び安定した生活の実現に寄与することを目的とする。
(基本理念)
第二条 被災者生活支援等施策は、東京電力原子力事故による災害の状況、当該災害からの復興等に関する正確な情報の提供が図られつつ、行われなければならない。
2 被災者生活支援等施策は、被災者一人一人が第八条第一項の支援対象地域における居住、他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。
3 被災者生活支援等施策は、東京電力原子力事故に係る放射線による外部被ばく及び内部被ばくに伴う被災者の健康上の不安が早期に解消されるよう、最大限の努力がなされるものでなければならない。
4 被災者生活支援等施策を講ずるに当たっては、被災者に対するいわれなき差別が生ずることのないよう、適切な配慮がなされなければならない。
5 被災者生活支援等施策を講ずるに当たっては、子ども(胎児を含む。)が放射線による健康への影響を受けやすいことを踏まえ、その健康被害を未然に防止する観点から放射線量の低減及び健康管理に万全を期することを含め、子ども及び妊婦に対して特別の配慮がなされなければならない。
6 被災者生活支援等施策は、東京電力原子力事故に係る放射線による影響が長期間にわたるおそれがあることに鑑み、被災者の支援の必要性が継続する間確実に実施されなければならない。