はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

さよなら鹿児島

2017-03-23 22:04:05 | はがき随筆
 転勤族の我が家が、丸4年にわたって住んだ鹿児島の地を離れることになった。
 長女の入学から始まり、長男の幼稚園入園・卒園・入学、私の妊娠と流産、そして再度の妊娠・次男の誕生と、思い出も盛りだくさんだった鹿児島。多くの方にお世話になり、どれだけ感謝してもしきれない。
 薩摩弁は難しすぎて身に着かなかったが、唯一使いこなせるようになった鹿児島県人なじみの言がある。「ですです!」。私の心の勲章だ。
 新しい土地にも早くなじみ、家族でたくさんの思い出をつくっていきたい。
  鹿児島市 津島友子 2017/3/23 毎日新聞鹿児島版掲載

おにぎりの日

2017-03-23 21:58:02 | はがき随筆
 その昔、わが家には「おにぎりの日」があった。食卓にご飯とのり、具材を並べ、後はご自由にという寸法だ。姉は球形のおむすびをぐるりと覆う「ばくだん」がすきだった。弟は平らにのしたご飯に「全部のっけ」をして大口で食べた。私は母をまねて「ロケットおにぎり」を作った。俵形のご飯の片方に寄せてのりを巻く。のり側を下にして立てるとロケットのできあがりだ。たくさん作って並べ、カウントダウンしながら頬張るのが楽しかった。母なりに知恵を絞った「お料理をしたくない日」だったのだろうが、親子とも大満足のメニューだった。
  鹿児島市 堀之内泉 2017/3/22 毎日新聞鹿児島版掲載

驚異的な回復

2017-03-23 21:41:13 | はがき随筆
 今年白寿の叔母は10数年施設にいるが、数年前肺炎になった。老人には怖い病気で医師は予断を許さないと言った。
 週末はもちろん、平日も夕方一旦職場を出て、小一時間かけて病院へ様子を見に行き、戻って夜中まで仕事をした。始めのうちは眠ってばかりだったが、3週間もたつと呼吸も楽になり、その後の回復は目覚ましかった。鈍った足のリハビリを自ら申し出たという。そうして3カ月ほどで退院し、ホームに戻った。
 現在車椅子生活ではあるが、食欲もあり頭も驚くくらいはっきりし、すこぶる元気であ。
  鹿児島市 本山るみ子 2017/3/20 毎日新聞鹿児島版掲載

現代の買い物事情

2017-03-23 21:35:12 | はがき随筆
 私が世帯を持ったのは、60年以上前になります。その頃と比べると世の中が変わり、IT社会となり、年寄りにはよいのかどうか考えてしまいます。
 スマホ一つ持っていれば、大体の用は足せます。
 サザエさんの漫画に出てくるなつしい風景は過去の時代となりました。この前まで近所にあったスーパーは昼間人口が少なく閉店。コンビニに変わり、ネットでの買い物も多種多様のものが利用されるように便利になりました。
 今日はどんなおかずにしようかと、お店で話した頃をなつかしく思い出しています。
  鹿児島市 津田康子 2017/3/19 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆2月度

2017-03-23 21:28:54 | 受賞作品
 はがき随筆の2月度月間賞は次の皆さんでした。
 【優秀作】4日「至極の時」若宮庸成=志布志市有明町
 【佳作】8日「忘れられた集落」高野幸祐=鹿児島市紫原
 ▽15日「霊は感じる」鳥取部京子=肝付町新富

  
 「至極の時」は、静謐な、品のある美しい文章です。屋外のヒヨドリの鳴き声、詫助椿、室内に籠る香と茶の薫り、羨ましい世界です。現在のわが国では、なかなかこういう時間は送れません。いつまでも続くことを願っています。
 「忘れられた集落」は、高齢で独居の正月に、同じ境遇の同級生を思いだして電話したが出ない。気になって訪問したが留守。隣近所も無人。見放されたかと寂しく帰って来たという内容です。自分が見放されたという感受は理解できますが、同級生の様子が気になるのは、まだ他者との関わりがあり、見放されていないのではないでしょうか。
 「霊は感じる」は、病院の帰途、実家に立ち寄ってみたが、空家の庭は荒れ放題。部屋は整理され、両親の遺影が飾られてあった。両親に感謝して、庭の大掃除をして帰って来た。その夜父親の夢を見たという内容です。自分の行為を父が見て喜んだのだと感じたという、霊の交感はいいですね。
 この他に
 3編を紹介します。
 坂元佐津夫さんの「人生の旅立ち」は、高校卒業時に、父の勧めとは別の職業を選んだ。それでも快く送りだしてくれ、そのときの、3年は頑張れという父の言葉が励みになった。今あるのは父のお陰だという感謝の文章です。最近ミス・マッチングとかいう言葉がはやって、若者の離職が多いようですが、職業に自分を合わせるという教育はできないものでしょうか。外薗恒子さんの「鳥たちのおとし物」は、庭の万両の赤い奇麗な実は、すぐ野鳥に食べられてしまう。正月三が日は食べないでという願いがかなって、今年はその美しさを鑑賞できた。視点を変えてみると、野鳥の落としていったものの自然発芽の万両ではあった。
 内山陽子さんの「老いる」は、朝のゴミ出しのとき、デイサービスの迎えを待っておられた老人も、ゆっくり散歩されていた方も見かけなくなった。わが身の老いとともに、生きるということを考えされられたという内容です。
  鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

鶴の北帰行

2017-03-23 21:02:38 | はがき随筆


 鶴の北帰行が終わろうとしている。今季も万羽鶴でにぎわったが、11月末のインフルエンザ発生で一変した。10羽近くが感染死した。飛来地の入口6カ所に消毒場が設置された。遠くから眺めるしかなかった。親子鶴、はぐれ鶴など群れて餌をついばんでいる姿は寂しく悲しげにみえた。幸い多くの人々の努力で感染拡大は免れたようだ。いつも歩くコース近くにいた親子鶴もいなくなった。後ろ髪を引かれる思いで北帰行したのだろう。来季も新しい命を伴って飛来してほしい。待っているよ。
 万の鶴心を残し北帰行
   出水市 畠中大喜 2017/3/18 毎日新聞鹿児島版掲載

羽ばたき

2017-03-23 20:55:56 | はがき随筆
 武家屋敷市の中にある、おしゃれなフレンチレストラン。菜の花ひらく小春日和の昼下がり、退職祝いの会が開かれた。その方を囲んだのは、すでに退職した先輩方から若手の現役職員まで計23名。異業種の交流が大切だと常々言われる論客だけに、いざ集まってみると初めて見るお顔も多かった。自らテープルを回ってお酌をしつつ笑い転げている主人公。余興で飛び出したのは当地ツルの鳴きまね。今年の万羽鶴も故郷へ向かって羽ばたき始めた。職場を離れる4月から、その交流はまたさらに広がっていくのだろうと用意に想像することができた。
  出水市 山下秀雄 2017/3/17 毎日新聞鹿児島版掲載

恵方巻

2017-03-23 18:00:20 | はがき随筆


2月3日、恵方巻を会に街に出た。さてどこで買おうかな。パスを降り北北西を見ると、そこにデパートがみえた。「こいつは春から縁起が……」とよく見ると、そのデパートを背にして同級生の〝竹〟が歩いて来るではないか。「おお、竹、お前生きていたのか」「うん、正月に倒れて入院しとったんだ」。こんな話も希有に聞こえないから不思議だ。
 「まあ元気になってよかったじゃないか」「うん、まあね」。サテンに行き3時間ほどしゃべった。家に帰って気づくと恵方巻を買っていなかった。
  鹿児島市 高野幸祐 2017/3/16 毎日新聞鹿児島版掲載

好日手帳

2017-03-23 17:44:16 | はがき随筆


 友に「好日手帳」を頂いた。名称のごとく、好日はよい事づくしのつづりを手帳に記す。
 「夫婦銀杏」の見物に出かけた。天まで仰ぐ、巨木はるか碧く澄んだ大宇宙に夫婦の型としてそびえ立つ銀杏の黄金色。辺り一面は太陽の光に染まり、今日の旅は「好日手帳」の好日にふさわしい一節でした。
 よい事ばかりの世の橋は渡れない。つれづれまるままに親愛なる強い絆で結ばれ、手と手をつないだ夫婦銀杏は神々しく映える。葉が風に舞うと拾い、読みかけの本のページに鋏み、書きかけのノートのページに鋏み、優しくしおりに納まる。
  姶良市 堀美代子 2017/3/15 毎日新聞鹿児島版掲載

鳳仙花

2017-03-23 17:30:07 | はがき随筆
 「やっぱり器用に生きられないのね……」と、島倉千代子が歌う「鳳仙花」という歌がある。そのテープを持って、脳梗塞で入院した友の見舞いをした。友の妻から、夫が元気な頃、2人でよく「鳳仙花」を聴いたと聞いていたのだった。
 歌を流すと、自分も身寄りがなく、夫が心配でたまらない友の妻は涙がとまらなかった。それを見ていた、言葉も出ず両手足とも麻痺した病床の友も涙を出し始めた。
 2人を見ていた私も、もらい泣きしてしまった。2人の身の上をよく知っているからでもある。……幸薄い、友とその妻。
  出水市 小村忍 2017/3/14 毎日新聞鹿児島版掲載

すみれに寄せて

2017-03-23 17:21:45 | はがき随筆


 庭のプランターに小さな花苗が自生した。水をやりながら、パンジーかビオラか、何色? と楽しみに育てた。月末にかれんな花をつけた。野辺のすみれに似た濃紫色のビオラだった。
 母は傍らにいつも花を植え、畑作りを楽しんでいた。弱っていく体とともにそれも途絶え、帰省の折、畑一面に広がるすみれに魅了されてしまった。その愛らしさを伝えると、小さな段ボール箱に苗が送られてきた。
 私は勝手に母の名を入れ〝正子すみれ〟と命名。大切に育てている。今、母は病んで静かに眠ったまま。早春の候〝正子すみれ〟はいとおしく切ない。
  出水市 伊尻清子 2017/3/13 毎日新聞鹿児島版掲載

ふるさと鹿屋探訪

2017-03-23 17:14:50 | はがき随筆
 昨夏帰省の折、七十有余年前の終戦前後に住んでいた朝日町の家の存在を知りたくなり探訪してみた。界隈にあった映画館、旅館、銭湯、雑貨屋などは消え、今は居酒屋が立ち並び昔日の面影は全くない。が、住宅街も空き地が目立つ中、目的の家は朽ちてはいたが居宅のまま在ったのだ。戦争中は防空壕に逃げ、空中戦を見上げ、戦後は若い進駐軍にチューインガムをねだった懐かしい家。思い出は尽きない。優に築80年はたつだろうが、朽ちても落ちない姿に感慨を覚えた。我が齢と重ね合わせ「共に頑張ろう」とエールを送りながら帰路についた。
  千葉市 脇田博 2017/3/12 毎日新聞鹿児島版掲載

昭和の風景

2017-03-23 17:06:19 | はがき随筆


 沈丁花のつぼみが膨らみはじめた日、中津川小学校(3.4年生)を地域の先生として訪れた。絵と、かごっま弁で昭和の風景を伝えているが、やはり初めての出会いはいつもチワイチワイである。団塊のこどもたちが駆け抜けた昭和30年代の豊かな「暮らし」を夢見た日々……。「テレビは白黒で5万8000円、父ちゃんの月給は1万5000円ジャッタ」。すると教室内に「エ~!」と声がどよめいた。次の時代を担うこどもたちに、貧しかったけどぬくもりのあった昭和の風景を少しは伝えることができたかなと、ジョンジョンうれしかった。
  さつま町 小向井一成 2017/3/10 毎日新聞鹿児島版掲載

春よ早く来い

2017-03-23 16:56:24 | はがき随筆

 


芝生の庭は明るく開放感があった。しかし、奇麗に保つのは大変で、10年ほど掛けて植木の庭に造り直した。春が好きなぼくは早い春を見たくて、梅を植え河津桜を植えた。下草の水仙は年明けと共に濃緑な三角芽を出す。庭に出て膨らむ蕾を妻と確認する楽しい時が今年も来た。残念なのは去年の台風で、枝を張った河津桜が倒れて片側の根を失い、生かすためにはその枝を切るしかなかったこと。そのため確認できる花芽は少ない。でも春は春、丹精込めた河津桜の春である。細やかな幸せを2人で感じるに十分な足音である。
  志布志市 若宮庸成 2017/3/9 毎日新聞鹿児島版掲載