はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

新築の音

2015-09-30 20:39:46 | 岩国エッセイサロンより
2015年9月30日 (水)

岩国市  会 員   片山 清勝

 向かいの新築現場、棟上げが終わると重機の音が消え静かになる。すると、シャッシャと鋸で木を切る音、シュルシュルと鉋屑が舞い出る音、金槌で打つ音など、日本家屋造り独特の懐かしい仕事の音に変わる。
 どの音も軽快で単調だが力強く聞こえる。それは、施主の夢を作り上げていく大事な任務を背負っているからだろう。
 パタ、パタという音、畳職人が、敷いた畳をたたいている。連日させてもらった仕事見学もイ草の香りをかいで終わり。
 多くの職人が手がけ完成した家の住人は3世代家族という。元気な子供の声が楽しみだ。      
   (2015.09.30 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 岩国エッセイサロンより転載

三谷さん

2015-09-30 20:36:17 | はがき随筆
 7年ほど前、近所に三谷さんという高齢のご婦人がいらした。まだ私が、作品集「高千穂スケッチ」の1巻を上梓する前で、大学ノートに貼った新聞の掲載作品を、楽しみに読んでくださった。その後福岡へ転居されてご主人を亡くし、ご本人も認知症を患ったとか……。<わが歌を褒めくれしひと杖つかず右に左に揺れつつ訪ね来><吸入の酸素ボンベを手に引いて老いし夫婦が路地まがりゆく>。どちらも三谷さんを詠んだ入選歌である。近々4巻が出せそうな中、私の心には,彼女に作品集を渡せなかった悔いが澱となって積もりつつある。
  霧島市 久野茂樹 2015/9/30 毎日新聞鹿児島版掲載

ぎったまい

2015-09-29 15:49:53 | はがき随筆
 団地を歩いていると、夏休みなのに中学校のテニス場では、20人ばかりの生徒が練習をしていた。この暑い中で感心だなあと見ていて気付いたのだが、ボールが皆ギッタマイ(ゴムマリ)なのである。
 そうか、中学校は軟球なんだ。私は散歩の途中その事ばかり考えていた。スポーツを普及させるためにベースボール、テニス、ピンポン、皆軟球と硬球がある。世界のどこにもない事だ。
 庶民が提案し、政府で研究してルールを作り、野党の反対もなく学校教育にまで採用した当時の日本を考えると、なんだかうらやましく感じたのだった。
  鹿児島市 高野幸祐 2015/9/29 毎日新聞鹿児島版掲載

ファンになる

2015-09-29 15:36:42 | はがき随筆
 福島TVの取材班の人たちだと思いつつ、尾瀬への入り口「山の駅」でバスを降りると、いきなりマイクを向けられた。3世代5人の私たちにどこから来たか、尾瀬は初めてか、行程は、山小屋はどこに泊まるのかなど矢継ぎ早の質問を受ける。
 どこかでか見たことある人だがと思っていると「尾瀬と言えば『夏の思い出』ですよね。一緒に歌いましょう」と、音頭を取られる。いい声だ。はるかな尾瀬 遠い空と皆で歌った。
 体格が良くて、人当たりがよくて男前。あっ、石丸謙二郎さんだ。テレビで見るより素敵。登山歴も30年からあるらしい。
  霧島市 秋峯いくよ 2015/9/28 毎日新聞鹿児島版掲載

夏の花たち

2015-09-27 23:00:28 | アカショウビンのつぶやき



お彼岸も過ぎましたが、夏の花たちは、今を盛りと咲き誇っています。
クレオメは度重なる虫の被害にもめげず、しっかり種を実らせ、ルリマツリももうしばらくは、目を楽しませてくれそう。


鉢植えで頂いた紫色のクレマチスは、咲き終えてプランターに移して数ヶ月、ダメかなと心配しましたが、気付けば可愛い花を一輪咲かせていました。





萩や彼岸花と交代していく我が家の庭。少しずつ秋の気配が漂いはじめました。


by アカショウビン

孫と交流 新聞15年目

2015-09-27 17:09:26 | 岩国エッセイサロンより

2015年9月27日 (日)

    岩国市   会 員   片山清勝

 この秋、「孫新聞」を作り始めてから15年目、ブログを開設してから10年目という節目を迎えた。いずれも定年後に始めたが、ここまで続いたのは健康で過ごせたからと、そのことにまず感謝している。 
 孫の3歳の誕生日前、嫁から「ひらがなが読めるようになりました」とメールが届いた。離れて住む孫とのコミュニケーションにと、小さな新聞を作り始めた。
 今、孫は高校2年。その成長には追い付けなくなった。それでも毎月、老夫婦の様子を写真と文で送り続け、170号を超えた。
 一方のブログは、エッセー同好会で勧められた。始めてみると、何の制限もなく、書く習慣付けにはいい方法だと気付いた。
 1年分のブログを印刷して製本している。先日、9冊目を仕上げた。各冊500ページ前後で、並べると、それなりの重さを感じる。
 孫新聞もブログ冊子も、たまに読み返すと妙に懐かしい。どちらもパソコンがあればこその作業だが、キーギボードを打てる間は楽しみながら続けたい。

    (2015.09.27 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載

自慢の制服

2015-09-27 16:50:56 | はがき随筆
 鹿児島市内で母校の制服を着た学生をたまに見かける。制定から半世紀近くがたつのに、全く変わっていないようだ。
 大きめのセーラー襟は紺色の縁取り、襟の角にはS字の刺繍が施されている。生地は厚めで、夏休みの補習のときなど暑くてたまらなかった。夏期に女子は帽子をかぶり、白い麦わら帽子のつばの内側には水玉の模様があった。登校すると、出窓に重ねて置くのだが、私の帽子が一番大きくて上になり、夏が終わるころには少し日焼けしていた。
 懐かしく、誇らしい母校の制服なのである。
  鹿児島市 本山るみ子 2015/9/27 毎日新聞鹿児島版掲載

けさ三つ

2015-09-27 16:50:23 | はがき随筆
 まだあけやらぬ5時半、月と金星にひかれて散歩に出る。天空は秋深むのだろう、とても星が鮮やかに見える。20分以内で2000歩がんばり、門を入るとケイトウやトレニアの花の色も明らかな朝だ。7月の雨にくされていたピーマンがなんとか元気を取り戻し、盆前から18個も一度にちぎった。その後も三つ四つとなり続け、この野菜難の夏の一人の朝食に寄与した。9月に入っても次々収穫できた。今朝三つ、濃緑の葉陰に光るのを取った。他に大根双葉を抜いてみそ汁の実にした。プランター農業も一人の口を養ったくれるので捨てたものじゃない。
  鹿児島市 東郷久子 2015/9/26 毎日新聞鹿児島版掲載

剪定

2015-09-27 16:49:26 | はがき随筆
 縁があり、花木を取り扱う会社にパートとして働いていますが、特に草木に関しては趣味の延長として、懐かしく、いとおしい気持ちが湧いてきます。
 妻の実家に年一、二回呼ばれるのは家の垣根の剪定をしてほしいから……。
 今日も思った以上にアカメガシワの剪定が上手にでき満足しました。トラ刈りがないかなども点検して終えました。
 妻の実家は山と田んぼに囲まれ郷愁を感じます。「特技の剪定ではなく、飲ん方でも呼んで」と冗談めいた言葉が妻に出ました。
  鹿児島市 下内幸一 2015/9/25 毎日新聞鹿児島版掲載

留学生

2015-09-25 21:44:48 | はがき随筆
 休日を利用して、いちき串木野市の薩摩藩英国留学生記念館を訪ねてみた。幕末、薩摩藩の留学生ら19人がイギリスに渡って今年はちょうど150年になるという。記念館がオープンしたのは昨年7月。訪れたのが日曜だったせいか、館内はかなりのにぎわいだった。
 今さら私が説明するのもおこがましいが、薩摩藩は薩英戦争後、西洋文明を学ばせようと13~32歳の19人を視察員、留学生としてイギリスに送り込んだ。後に実業家として大阪経済を牽引した五代友厚の提案が基だが、五代は当時29歳。メンバーの一人で初代文部大臣を務めた森有礼は17歳。若さにまず驚く。
 19人のその後の人生はさまざまだ。例えば村橋久成は北海道開拓に情熱を注ぎ、国産ビール工場を当初の東京ではなく札幌につくるよう政府に迫った。これがサッポロビールのルーツというのは有名な話。渡米してカリフォルニアのワイン産業に携わった長沢鼎の話も印象深かった。
 帰国後に薩摩藩の家老となり、やがて奄美振興に尽くした新納久脩も興味深い。「鹿児島県の近代史」(山川出版社)によると、新納は奄美の精糖産業のネックは流通にあると考え、大阪の業者を呼んで低利融資と島民救済を図った。鹿児島商人らによって1年で大島島司を罷免されたが、その後の農民運動を呼び起こすきっかけをつくったのだという。
 実は薩摩藩の少し前、長州藩も若者をこっそりヨーロッパに送り出している。後に首相となる伊藤博文や、内務大臣などを務めた井上馨ら5人。私が今春まで勤務した下関では留学生を主人公にした「長州ファイブ」という映画も作られ、顕彰がが続いていた。ただし、派遣した人数が多かったこともあって、薩摩藩に軍配が上がるようだ。機会があれば、さらに彼らの足跡をたどってみたいと思う。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/9/24 毎日新聞鹿児島版掲載


ツマベニチョウ

2015-09-25 21:36:31 | はがき随筆


 鮮やかな純白とオレンジ色のツマベニチョウか緑の間を縫って通り過ぎ、そのまま高度を上げて飛び去った。その昔には多くのツマベニチョウが飛び交っていたであろう情景を思い描いた。そして関東で過ごした学童のころ、シオカラトンボやムギワラトンボ、オニヤンマなどを追い回していたころを思い出した。竹で水鉄砲や竹トンボを作り、太い針金を曲げてパチンコを作った。メンコ、ケン玉、ベーゴマ、ビー玉……そんな遊びに夢中になったものだった。
 久々に目にしたツマベニチョウが、懐かしい遠い昔の思い出に導いてくれた。
  西之表市 武田静瞭 2015/9/24 毎日新聞鹿児島版掲載


彼岸花 

2015-09-23 13:39:01 | はがき随筆


 濁流が「ゴーゴー」と音を立てて不知火海へ流れている米ノ津川。そのまわりでは青々と稲穂が秋の収穫へ向けて揺らいでいる。雄大な矢筈岳がドーンと見守っている。あぜ道には極楽浄土みたいに彼岸花が紅をそえている。子供の頃いっぱい手にとって匂いをかいでみた。茎が苦かった。走ってみたら、その頃にもどれた。この秋には久しぶりに彼岸花が見れる。親鸞は「人が逝ったお盆にも彼岸にも二度とこの世に帰ってこない」と説いているけど、彼岸花の陰から両親がほほ笑んでいた。そっと手を合わせたら、この世の煩悩も消えさった。
  札幌市 古井みきえ 2015/9/23 毎日新聞鹿児島版掲載

彼岸花

2015-09-23 13:33:25 | はがき随筆


 秋が静にやってきているなあと思いながら庭を歩いていると、あっ、見つけた。彼岸花のつぼみ。真っすぐに茎を伸ばし花を咲かせる時を待っている。
 二十数年前、M小学校の運動場のフェンス沿いに、真っ赤な彼岸花が毎年、群をなして鮮やかに咲きほこっていた。まるで子どもたちの運動会の練習を見守ってくれているかのようで、ホッと心がなごんだ。
 彼岸花の季節になると、その美しい光景が目に浮かぶ。だれが植えたのであろう。その彼岸花。今年もきっと花を咲かせ、人々の目を楽しませてくれていることだろう。
  出水市 山岡純子 2015/9/22 毎日新聞鹿児島版掲載


はがき随筆8月度

2015-09-21 14:26:38 | 受賞作品
 はがき随筆8月度月間賞は次の皆さんです。

【優秀作】30日「それぞれの証言」中馬和美=姶良市加治木町
【佳作】1日「強行採決」津田康子=鹿児島市宇宿
△14日「平和だからこそ」種子田真理=鹿児島市薬師

 
「それぞれの証言」
テレビ番組の、従軍看護婦の戦争体験を見たことに触発されて、自分の父親は、兵役当時どういう思いを抱いていただろうかと、父の苦しみを思いやる内容です。8月は戦後70年ということもあり、反戦への思いを書き記したものが目立ちました。8月15日だからということではなく、戦争へのそれぞれの証言が常時報道され続けることを願っています。
 「強行採決」 昭和の我が国の戦争の歴史をたどっていると、憲法9条の拡大解釈にまで至ってしまった。こういう事態に至ったのは、選挙民にも責任がある。戦争を知らない世代も、投票には慎重を期してもらいたい。というのは、いわゆる「年寄りのたわ言」かと嘆かれていますが、単なるたわ言にならないことは、言うまでもありません。
 「平和だからこそ」日本人の海外旅行が比較的スムーズにいくのは、そのパスポートに信頼性があるからにちがいない。その根底には、戦争をしない国という戦後70年間の平和があるからではないか。このような信頼が損なわれないような国であり続けたいという願いが込められた文章です。
 他に3編を紹介します。
 清水昌子さんの「ごめんね」は、お孫さんが来て宿題をした。弟が間違っているのをからかったら、同時にからかった姉のほうが一転、猛然と間違いを正してやった。喜ぶ弟を見て、やはり姉弟だと、婆アバは脱帽。微笑ましい夏休み風景です。
 奥吉志代子さんの「不謹慎でしたが」は、81歳でいわゆる孤独死をされた方のご遺族に、「子孝行をなさいました」とつい本音を漏らし、はっとしたが、それが受け入れられてホッとしたという内容です。
 中鶴裕子さんの「指輪」は、指輪が窮屈になって外したら、96歳の義母が自分のを譲ってくれた。四十有余年、義母とは何やかやがあったが、この時は心が通い合って嬉しかった。嫁にも受け継いでほしいという、他人からなる家族への願いです。
  鹿児島大学名誉教授 石田忠彦 2015/9/21 毎日新聞鹿児島版掲載

水たまり

2015-09-21 14:26:02 | はがき随筆
 雨の中、市立図書館脇の道路の水たまりの中を赤い傘の少女が歩いている。その4歳ぐらいの子を傘を手に母親が見守っている。水たまりを選んで歩き、水の抵抗を楽しんで喜々としている。私に何かがひらめいた。
 中学を卒業したら刀鍛冶になりたかった私。さえた寒月のような刀の色味のすごさ! オレも作りたい! と思った。が、両親に反対され進学して無難な道を歩いて来た。退職して10年。私は今、赤い傘の少女に覚醒させられた思いだ。もう少ない余生。彼女のように<抵抗>に向かって生きてみようか。私も喜々として歩きたいから――。
  出水市 中島征士 2015/9/21 毎日新聞鹿児島版掲載