吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

格差社会ということに一言

2006年04月19日 | Weblog
 ことし3月21日の「よしざわのブログ」で、新富裕層は「BoBos族」?という日誌を書きました。いま、話題騒然の「格差社会」について、あまり踏み込まずにドキュメントして終わりました。
 いま、マスコミを賑わしている「格差」は、収入や所得の格差、生涯賃金や生涯所得の格差、貯蓄(額)の格差や資産の格差などです。実際、限りなく大きな問題になってもいいような知識格差については、あまり触れられていないようです。
 本当は問題ありと思っているにもかかわらず、年代間の賃金格差や働いている人と働いていない人の収入格差などは、あまり問題にされていないようです。いま、働いていない人が、実は多くの場合、働いている人と同じように”働きたい”と思っているのに就業できていないという社会状況こそ、問題にされなければいけないと思います。また、23-4歳で大学を卒業し、同じような教育や技術やスキルを
もっていても、10年ー20年の労働の結果としての賃金、所得、貯蓄や保有資産が、同じたとえば40歳で「大きく違う」のは、なぜだろうか、よいのだろうかという問いなのです。
 ひとより多くの知恵や多くの汗を出した人が、そうでない人より所得や収入が多くなることがイコール平等であり、公平であるという論理は、誰にでも受け入れられやすいような気がします。知恵を高めるために勉強したくても出来ない人や汗して働きたくても出来ない人が、たくさんいるという事実を見なかったのでしょうか、見ようとしなかったのでしょうか。自由市場原理下での競争こそが、経済と豊かで人間らしい生活の拡大を多くの人が享受できるドクトリンだと思い、他の考えを排除してきました。
 典型的な官僚主義ベースの規制と計画(予算主義)社会の日本は、最も社会主義的な国だと思っていましたが、ドイツの壁の崩壊を機に自信と驕りを高めた自由資本主義経済の国家は日本だと言わんばかりに、また「規制だ」「改革だ」と言って、法律づくりに大騒ぎしています。
 一億総中流を目指し「平等で暮らしやすい社会は、これだ」と言って国全体で汗を流していたのが、つい10-20年前のことだったのですから、近頃の変貌には驚くばかりです。「格差がある」とか「格差がない」とか言って議論しても仕方がない現実を直視する勇気をもってほしいと思うこの頃です。
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2 コメント

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格差社会 (m.kouta)
2006-04-20 02:44:33
一言で言えば、マスコミの無知。欧米追随型日本社会の認識不足。10~20年先の現実は、秩序の乱れたアメリカの今、そして30~50年先は、少子化の英国の今でしょう。格差は、社会犯罪を増長させ、モラル低下を招き、自治体の少人数化は、サービス低下をもたらし、本格的格差は、これから始まるので、現状認識が大半の日本人にないのが、今なのでしょう。労働市場も、いい加減な日本の行く末は、断末魔の様相さえ、感じられます。オーバーかもしれませんが、特殊な死亡事故しか、報じられなくなる日は、意外と早く来たりして…。
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mkさん、ありがとう。 (K.yosie)
2006-04-20 11:47:40
mkさん、キツイ見方をありがとうございます。でもそのとおりですね。いま、一番「考え」を真っ当にツメテ欲しいのは、マスコミと政治家ですね。いずれも軽すぎますね。官僚にいいようにあしらわれている感じが、庶民にもわかってしまうようでは、国やオピニオンのリーダーではありませんね。残念ですが、mkさんの言うとおりでしょう。また。 
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