吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

藪入りの帰省習慣青い空

2017年01月15日 | Weblog
暮らしの年中季節行事は、市井市民の知恵だったようだ。きょう1月15日の小正月やお盆7月15日の小正月は、公認の休日。休みなしに奉公勤労したご褒美だった。ソゴトの一斉休みで、ご主人も奉公人もそろっての休日だったのだが、翌日も藪入りという休日。実は15日16日の2日連休が、1月と7月に用意されていたのだ。

1月にも7月にも、小正月(15日)藪入り(16日)とつづく連休が用意されたのが江戸時代あたりの奉公人のお休みだったのだ。年4日かぎりだった。田舎や親元から奉公(勤め)に入り、休みなしで働いていた奉公人が大手を振って休め、親元に帰れる公認帰省休日が、藪入り(16日)だった。

この日(藪入り)が、いつしか全く知らない所へ嫁いだ嫁が実家に帰れる日になったようだ。ゆたかさや経済が発展した江戸時代の風習というか労働基準や労務管理だったとも言えよう。この日雇用主(奉公先)や嫁ぎ先の主人は、奉公人や嫁に着物や小遣いを与え、送り出したのがわかるような気がする。

年間100日以上の土日公休や20日から30日になる国民の祝日&年休のある現代の労働者事情とは大違いだ。それでもなお、毎週土日の休みはバラバラだし、大型レジャーもほしい今の勤労者にとって、20日位の連休がほしいのだという。集中して働き、集中して(大きく)休んでほしい。小正月の日誌でした。
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正月6日間の動物不殺生日あとの人日の節供随想

2017年01月07日 | Weblog
桃太郎や猿蟹合戦ではないが、申や酉年の世の中は喧騒だという。とくに、丁酉(ひのととり)は激動、価値基準が大きく変動する年のようだ。60年前の丁酉1957(S32)年もそういう年だった。戦後という社会から脱却したいと神武景気や岩戸景気にはしゃいだ。その後の”ゆたかな社会”高度成長社会への入り口をつくった。

2015年から2016年への世界の価値基準は、どうなるのだろうか。何となくの兆しは、2015年に芽吹いていたのかも知れない。中東やアフリカの民族紛争、イギリスのEU離脱やロシア、中国などにもみられた自国第一主義。この自国第一主義を助長、牽引するかもしれないトランプ大統領の米国など。わが国も、このような仲間なのだろうか。

つい昨日までG8、G20と言って、世界が推し進めてきたグローバリズム、国際協調路線は、どこに行ったのだろうか。国際的な気候変動対策協議COP21のパリ協定やEUに続こうとしたTPPなどは、どこに向かうのだろうか。地球環境の保全や環境破壊防止対策などについても、”サステナビリティ”などと祝詞していることで進むのだろうか。

自然や生き物との共生思想を信仰する日本は、このような世界の動勢をどのようにリードできるだろうか。米作を主とした耕作農業での穀物や野菜に、少々の魚と鶏や豚などを食してきた日本は、どのように自然や動物などの生き物との共生を図っていくのか。動物の一員である人間は、”強者”としての共生ルールをどのように創っていけばいいのだろうか。自国ファーストをいう世界のリーダーたちにも、考えてほしいと思うのです。
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郷里での賀詞交歓会の1月5日の日誌

2017年01月06日 | Weblog
2017年1月5日(木)は、快晴。今年の正月3が日は、穏やかな天気に恵まれた。空は見事な青空。少々肌寒い澄んだ空気を射してくる初日がまぶしい。早めの朝食をとり、午前7時地下鉄は成増駅。池袋よりJR山手線で上野に向かう。上野8:00発のひたち3号は4号車12番D席にて、まずは水戸へ。

荒川や利根川を越えた常磐線は、関東平野の真っ只中を走る。澄んだ青空の遥か先に筑波山を眺望する。利根川を越えたあたりから見る筑波山、藤代あたりからのそれ、土浦あたりからの筑波山と、微妙に違う。逆光を避けた車窓から見る筑波山とそこまでの関東平野の景色がいい。風景を楽しんでいるうちに9時少し過ぎ、水戸に到着。

水戸より水郡線に飛び込む。目の前に本日会席する先輩S氏と「おかしな刑事」監督のK氏が同乗。ほぼ10時、3人駅前よりタクシーにて常陸太田市交流センターに向かう。10:30本日のイベント常陸太田市新年賀詞交歓会&叙勲祝賀会に参席。見慣れた顔、懐かしい顔、すっと名前が出てこない顔々など、歓談する。12:30会場が道の駅ひたちおおたに変わり、常陸太田大使交流食事会にて14:30、スタッフのクルマに送られてJR水戸駅に着く。

水戸よりS先輩と同席し、15:53発ときわ82号にて上野に向かう。柏で降車するS氏と脈絡のない雑談をしているうちに列車は、柏から上野に到着。日帰りの郷里往きで、夕方18:00帰宅した。
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第93回(2017)箱根駅伝の応援観戦は、1月3日復路。

2017年01月03日 | Weblog
2017年1月3日寝正月でもないのだが、することもない。少しおせち崩しの朝食をとり、テレビをのぞく。取り立ててのニュースもない。昨日の箱根駅伝往路の成績がニュースの目玉。青学往路優勝は筋書きどおりだが、早稲田が2位に入っていた。

あさ8時のスタートから結構途中経過をみてはいたが、ここ何年か成績不振に近かった早稲田の健闘に少々関心が高まった。復路のスタートをテレビ観戦してすぐ、”復路”の応援観戦に行こうと気が高ぶった。家内を誘い3日11時過ぎ、足は地下鉄成増に向いていた。

地下鉄は池袋で丸の内線に乗る。大手町で下車してみたが、さて何処で観戦応援しようか迷った。あまりゴールそばは混乱するだろうと少々日本橋方向に歩く。たまたま野村ビルあたりで”都の西北”が聞こえたので、そのあたりで早稲田大の応援とチェア・ガールなどを楽しむ。そして、さらに日本橋本石町は日銀本店方向に向かった。

常盤橋あたりから三越本店方向をのぞむ場所に場所決めした。待つこと一時間そこそこに、復路総合優勝青山学院大のアンカーが見えた。2位、3位を待つ時間の長かったこと5~6分経って、東洋大and 早稲田とつづいた。久しぶりの3位早稲田につづいて、順天堂、神奈川大と入ってきた。

最後の国士舘あたりまで応援し2時半ごろ、丸の内線は東京駅にしようか大手町にしようか迷い歩きし、大手町駅より池袋経由帰宅した。
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2016(平成28)年、月々の私撰俳句。

2017年01月02日 | Weblog
一月:・室礼もあしらひも無し寝正月 ・初日影逝く人送り清かなり ・薄日さす坪庭の隅石蕗咲きぬ

二月:・豆撒きも鰯も無しや夕餉の膳 ・山深く湯樋のにほひ春隣 ・菱餅や三方もなく内裏雛

三月:・子らはしゃぐ群がる鯉に雛あられ ・チチッと鳴く頬白誘う麦の笛 ・はじめての母娘のエステ桜咲く

四月:・岩団扇群れ咲く林風さやか ・肥後豊後地震のありて春闌 ・山深き小沼や署き三槲

五月:・いのち画く若冲展や若葉燃ゆ ・里山を逆さに見つつ田植かな ・薄暑なり老々介護涙して

六月:・山頂だ汗ばむ肌にあいの風 ・大奥を偲ばす御苑や夏椿 ・内定を祝ふ家族や花柘榴

七月:・ダム守の仰ぐ青空半夏生 ・山鳥の声の哀しや旱湖 ・台風を退けて上陸ポケモンGO

八月:・ふり返る日月長し広島忌 ・落蝉をいたぶる風や欅坂 ・二百十日鎮守の森や静かなり

九月:・曼珠沙華じじばば孫子巾着田 ・秋寒しもんじゅ原発廃炉へと ・雁落ちぬ北の古沼の葦の音

十月:・海山の秋の恵みや糸魚川 ・秋時雨からくり館に子らの声 ・一人酒衣被ぎ剥くしずけさよ

十一月:・一日中探しものする秋深し ・鵯の声の高きや介護園 ・柿枝やロコモの悩み冬に入る

十二月:・冬ざるる里の家々薄灯り ・音を踏む枯葉の道や吾が生家 ・年の瀬や大火の町家糸魚川

2016年を振り返り、自分の句集から月3句を私撰した。私好みで俳句の作法のチェックもしていませんが、一年の回顧の参考にしていただければ幸甚です。
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平穏が願いです→2017(平成29)年謹賀新年。

2017年01月01日 | Weblog
2016年、私の周りも世の中も喧噪だった。自由と民主主義の弱点が露呈した。アメリカの大統領選では、トランプ氏のアメリカ ファーストが勝った。EU離脱のイギリス、難民受け入れ反対とテロ対策に悩むフランス。難移民不満に景気低迷が輪をかけるオランダ、ドイツ、ベルギーなど、世界中で自国第一のポピュリズムだ。

内戦激しいシリアと難民テロで悩むトルコなど、中東やアフリカ(南スーダン)は民族ファースト。アジアも同じ。米国と覇権を競うロシアや中国に加え政治スキャンダルの韓国の間の日本は、どう外交するのか。強権性やリーダーシップを希求してやまない政権風潮の中にあって、わが国はどのような姿を描くのか。2017(平成29)年という新しい年を迎えた。

平成29年は、丁酉(ひのととり)。どのような年になるのだろうか?「五行の丁(火の弟)が、干支の酉(金)を溶かす」といわれている相剋の年。激変や革命のような変化の年だともいわれる。60年(還暦前)前の1957(S32)年も同じ丁酉。アメリカとソ連(当時)なる東西冷戦真っ只中で、ソ連の人工衛星が上がった(スプートニク1号2号)。

東西両巨頭の力誇示は、宇宙やエネルギーと企業の高度技術革新競争に向かった。仲間に入りたい日本も、茨城県東海村に初の原研と試験原子炉をつくった。消費者市場の変化は、その年に開店した主婦の店ダイエーが、しばらくの大量生産大量消費時代を予想させた。長嶋巨人や力道山がヒーローになった。

この2017年は、どのような変化の年になるだろうか。ただ、あまりにも大きく激しい変化にはならないことを願う。ITやAI主導の激変より、穏やかな世の中を願う後期高齢者に入った私です。
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2016ー 年暮る。

2016年12月30日 | Weblog
東山魁夷画伯の自然や四季を愛でる絵に魅せられる。四季の足音や鼓動や息遣いが聞こえる。とくに、冬がいい。「北山初雪」の雪をかぶった杉林や杉林の一本一本の杉の立木がいい。深い。「雪の後」の凛とした清浄な檜からは、あの独特な檜の匂いが届く。タイトルに使わせてもらった「年暮る」の京洛の家々の瓦屋根に、しんしんと降る雪が伝える静まりがいい。

画伯の”冬”のメッセージは、「年が逝き、年が明ける」の大晦日。自然の前には、誰も何処も平等だ。自然も生きものも、ともに時間を共有する。わたしたち人間も、時間とともに変わる。すべてが、時間とともに変わる。そして、人は 変化する自然や環境とその時出会う。四季変わる自然と自分との一期一会だ。

生成する時も衰滅する時も ともにあるが、出会いは片や生成時、片や衰滅時だったりする。相手の”その時”を思う心が、実りある一期一会にする。相手が、人間でも、動物でも、草花でも、自然の林や山でも、宇宙のかなたでも、相手を思いやる心が大事なのだ。

春はハルの、夏はナツの、秋はアキの良さがあるが、何故か冬がいい。雪に覆われた森や林、白一色になった田や畑、雪化粧された家々の屋根などは、雪の下で耐える自然が息づいて想像を掻き立てる。雪がなく真冬に緑する針葉樹も、落葉し枯れ木になった木々も、枯れ野や土色をみせる田畑も、それぞれいい。冬が過ぎて来る春を待っているその姿がいい。耐える姿がいい。

2016年もあと40時間余りの筋書きハテナのブログで、失礼する。
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いまにも雪の前の田舎の景色が郷愁

2016年12月24日 | Weblog
緑もない。黄葉や紅葉も終わり、そろそろ落葉も終わる。枯れ木や枯草の中山間地の景色。明日あたり雪かなと思う頃の田舎の景色がいい。地味で控えめな景色が郷愁を誘う。

いまの時代、カタコト廻る水車で粉を引いたりはしない。精米も製粉も機械。水力や人力もいらない。世の中は、一方で人手が足りないという事由で、長時間労働や過労で自殺にまで追い込まれる人がいたり、一方では就職や働く場所がなく、きょうをブルーシートで過ごす人がいる。

IOTやAIが進歩革新し、人手どころか人の知能力やハイテクも不要になるという。きまった作業を繰り返すロボット・オートメーションは昔のことで、自分で考え働くロボットが増えるという。事件や問題と法律や規則などと照合し、合法や違法を見つける判事や弁護士の仕事は、ロボットがするようになるのかも知れない

田舎の景色や文化に郷愁を覚えてトシを経てくると、IOTやAIだという近い将来に腰が引ける。自分の肌で、自分の手で、触れたり感じたり汗したりする生活がいい。そう思う2016年を終えるこの頃です。
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どこから見ても、いつ見ても、美しい山-富士山

2016年12月23日 | Weblog
いつ見ても、どこから見ても美しい。三重あたりから見ても、千葉あたりから見ても美しい。静岡県側からの富士も、山梨県側からの富士も、ともに美しい。広重の富士山も北斎の富嶽三十六景も、ともに美しい。どこの いかなる土地も誰かの土地になるこの国において、富士山は誰のものでもない。

自然や宇宙や神のものなのかも知れない、日本人すべての心の中にあるものなのかも知れない。信仰の対象として、芸術の源泉として世界の自然遺産に登録された山と周辺自然環境を、誇りにしたい。頂上は俺の所有だという静岡県、環境や羨望から富士山は俺のものだという山梨県は、ただ今の2020オリンピックの施設や費用を獲りあったり、押し付け合ったりする姿だ。

2020東京オリンピックが決まった時のあのはしゃぎ、マリオ姿の安倍総理などのTV映像を思い出す。あれだけデモンストレーションし、国を挙げて東京五輪を誘致し、そして今、誰が主役で誰が金主だとケンカ腰だ。アスリート・ファーストだ、都民ファーストだという騒ぎを、国民がしらけてみている。周辺の自治体は、施設会場は貸すが仮設施設費用などは そちらが出せとイヤイヤ主張だ。

どこから見ても、誰が見ても、美しい姿はないのかも知れないが、誘致推進に共働した関係者はもっと大人になってほしい。今更ひっくり返せないちゃぶ台なのだから、おいしい食事がとれるよう静かなテーブルをセットしてほしい。
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和すれば和む

2016年12月16日 | Weblog
和という漢字を辞書で引いてみた。”足した数、合わせた数””日本”につづいて”心を合わせること””和らぐこと”や”人と人がやさしく解け合うこと”などと出る。和食、和服、和室、和紙、和文などをみるに、”日本”(大和国)を表す使い方が多そうだ。

もっとも、和算ということではないが、和は”足した数、足し算の結果”となる。和、差、商、積とはよく言ったものだ。足し算の結果としての和、引き算の結果の差、割り算の商、掛け算の積など、小学校で習う。いろいろ加算していくと総和になる。

心を合わせることや和らぐことなどを表す「和」だが、頭に使うか尻に使うかで、少々和のニュアンスが違う。頭に使うと、和議、和解、和睦、和平や和合などになる。尻というか後に使うと、温和、柔和、融和、調和や平和のようになる。

われら瑞穂の国の日本人は、優しく和む言語”和”を使い慣れている。何よりも”平和”を希求する国民の一人として、和平を跳躍して平和がほしい。どこの国とも平和条約関係になってほしい。平和条約を結ばなければならない情況を作らないでほしい。
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