Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

人生の垢のこと。

2016-12-28 21:50:49 | 随想・・・。

  この頃つくずくというかよく思うのですが、「あー、俺の人生にもいろいろ垢が付いてきたなぁ・・」的なことなんです。

こんなこと言いたかぁないですが・・・。

  例えば今までなら、というか若かりし頃なら躊躇なくできた行動につい足踏みしてしまったり、考え直して、と云うか余計な・・?心配をしてしまったりと、どうせやってしまえばどうってことないこと・・・これに二の足を踏んでしまっている自分に気づくことがよくあるんですよね、最近。

それが悪いことなのかどうかは別として、正直僕的にははっきりとどこか厭なんですよね。

  ただ垢と云っても良い垢、と悪い垢があると思います。

よい垢と云えば例えば、様々な経験であったり、またそれに伴う物事への感働きが働く、そんな能力を持ってる・・ような、そんなことだとか、また物事を真摯に捉え得る力であったり、それを更に豊かな想像力で展開できたり、また物事の組み合わ的なことを即座に考えられたり、更にきちんとフィードバックできたり、とまぁ、思いつくままそんなところですかねぇ。

  悪い垢と云うのは反対に、出会った物事に心配が先立ったり、周りとの兼ね合いのようなものが気になったりして自身を不自由にさせてしまっている、まさに邪魔な意識、具体的に羅列すれば、逃げ腰、躊躇、言い訳・・やり過ごして後「まぁ、ええかぁ・・」的な簡単収束・・みたいな、まぁそんなところですね。

  かと云って、それがどうなるものでもないので、しょうもないことなのですが、やっぱり厭なんですよね。

心底で、自分のアイデンティティみたいなものがが根源的になし崩しになってしまいそうでですね。

そんなこと最近よく思うのですよ。

  困ったもんですまったく、思い切って人生フォーマットしちゃおうか!

なーんてウソですが・・・。これからは少々意識して行動するのも大切かなぁなどと思っているところです(^_^;)

人生の垢、前にも書いたなぁ、これ。

皆さんはどうですか、こんなこと意識したことありますか。

だから「垢」のことですよ・・。

 

 

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雪降りました。

2016-12-28 20:54:44 | 京都のこと

  昨日までの暖かさは何処へやらで今朝は朝ワンコの散歩に出ようと薄暗いうちに部屋から出たら、なんと雪が降りつつ既に僅かに積もっていました。急遽歩きに変更しましたよ。

久々に寒かったですね。

  ここ2、3年は年末から年始にかけて必ず大雪降ってます。今年はこれが最初ですがまた大晦日とかに大雪になったりしないか少し心配ですね。

別段、雪が僕の生活に特別な影響をもたらすわけでもないのですが、ただ娘の通勤のことが少し心配です。

でもやっぱりこの寒さ、別の意味やれやれですね、冬らしくなってきましたから・・。

  話は変わりますが中国の話題。

大江戸温泉云々・・真似たとかいや真似ではないとか云って騒がれていますね。あー云うのをみると中国という国はまだまだ発展途上なんだなぁと云う感は否めませんね。

まぁ、日本でもたまにいますがね、臆面もなくそれをやれる人、というか会社・・。

  とにかく相当な違和感というか嫌悪感覚えますね。

  僕的に思うに、これに象徴されるような諸々の物真似まがいのこと、こんなことをいまだにやっているようでは経済的に豊かになってきたからと云って先進国などとはまったく云えないんですよね。

国家的にどんな歴史や事情があるにせよです。

  何故、中国という国は自国の素晴らしい古き良き文化をもっと積極的に表に出せないのでしょうか(文化大革命の影響なのかなぁ・・)、一見すごく発展しているようにもみえるのですが、こんなことが取りざたされたりすると「うーーん、やっぱまだまだダメなんだなぁこの国は・・」となってしまう訳です。

多分大方の人がそう思うのではないでしょうか。

千歳空港での雪での欠航で中国人の旅行者達が騒ぎをしたとか起こしたとか、こんなこと聞くと、この国民というか国家のの成熟度のようなものがあからさまになって、言い方がまずいかも知れませんが「なめられますね」はっきりと、世界に・・。

かの国は現在のバブル的景気でお金を世界各地ばらまき一見相当の影響を与えているようにも見えますが、本当はどうなんでしょうかね。

  しょうもない大江戸温泉の話題から、ふっと思い浮かんだこと書いてみましたが、皆さんはどう思われているのでしょうか。

僕的にはただ単に(>_<)なだけなんですけどね。

  明日は更に冷え込むようです。

あと三日で今年も終わりますが、なんだか要はその歳時的な営みの楽しみというか賑やかさ、そんなもの繰り返しを毎年喜んでいるのですね我々は・・・。まぁ、この浮き浮き感みたいなものはは良いとするべきかなぁ、ですね。

徒然に書き並べてしまいました。

悪しからず。

 

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暖かい京都の師走。

2016-12-23 15:48:43 | 京都のこと

 年も押し迫ってもう明日はクリスマスイブ、早いですね。

去年も一昨年もこの時期に「暖かい・・」と記していますが、本当に異常な暖かさですね。

暑がりの僕はかなり薄着で過ごしています。分厚いコートやジャケットなどほとんど着ませんもの。

  ユニクロで「極暖」という優れもののTシャツ見つけそれをインナーに着ていると上着にフリースやちょい厚めのジャケットそれだけで充分で、真冬でもあまり厚着をしない僕にとって大変ありがたい一枚ですね。これいいですよ「極暖」・・・。

  色々お誘い頂いていた忘年会も尾鷲で榎本さんと飲んだのを皮切りにこっちでは居酒屋の飲み仲間達との一杯、そして剣友との大阪「新世界」での濃ーーい飲み会、そして恒例の風呂会・・これらもすべて終わり、ここ二、三日は近所のスーパーで買い出ししては夜、家で一人で一杯やっています。

これもなかなか良いもんですよ。独身みたいで・・・。

  こんなに忘年会・・などと云って飲み会に出たのは若い頃のサラリーマン時代も含め多分初めてだと思います。

いやはや重なるときは重なるもんですね(^_^;)

  年賀状も毎年こっちで書きます。今回は集中してほぼ1日で70枚ほど仕上げました。これが済むとやれやれなんですよね。

  ところで今日は京都の剣道連盟の稽古納めでした。こっちに来てからまともに剣道もやっていませんでしたが、これだけは外せません。

ここ数年毎回お邪魔していて、帰り際にちゃっかりいただく干支の置物も今回で四個目になりました(^o^)。

時の移ろいを思いますね。

  お陰様で稽古は10時から約1時間みっちりできました。心地良い疲れがかえって身体をリフレッシュしてくれたようです。

昨日はちょっとした作業をしていて誤って鋏をすべらせ左手の中指の先端を1cm幅くらい削り取ってしまいました。

これが切り傷と違って痛いし出血が止まらなくて、今日の稽古の途中でも小手の中が血だらけになるしで、大変でした。握りが弱っていたせいか一回ちょっとしたことで簡単に竹刀を落とされてしまいました。

嫌でしたね僕が竹刀を落としてしまうなんて・・・。まぁ、自業自得と云えばそれまでなんですが、充分予想のできた事故で「やるかわからんなぁ・・」など思いながらやっちゃうんですからね、魔が差す・・ってこんなことなのかなぁ、と反省しきりです。

まだ痛いですよ。

  明日は家内達(那智とコナも)を迎えに尾鷲に一旦戻ります。お世話になった方が急に亡くなりそのお悔やみにも行く予定です。

僅かな時間地元を離れているだけで予期せぬことが起こり驚くことがあります。

そんなことも最近はなんだかやり過ごしてしまうこともできるようになってきました。歳のせいかもですが・・・。

  暮れなんですね、周りに踊らされて何だかいろいろ慌ただしくなってきました。

そんなことも軽くやり過ごせるようになるのっていつかなぁ、などと仙人志望みたいなこと考えています。

 

 

 

 

 

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「新世界」より。

2016-12-19 09:34:13 | 随想・・・。

  ドボルザークではありません。大阪の通天閣界隈のことです。

2日前から家内達に先駆け一足先に京都にきていますが、今年は何故かお誘いを頂くことが多く一昨日の風呂仲間の忘年会に続き、昨日は大阪でした。が、なんとなくありがたいことですね。これは・・・。

  昨日は剣友の宮本さんが以前から計画してくれていた「新世界」界隈でのディープな忘年会でした。尾鷲から駒寿さんも駆けつけ三人で一杯やりました。

4時、環状線の新今宮駅で待ち合わせ、その後まだ日も高いし、僕のたっての希望で通天閣に昇りました。

僕は初めてです。

宮本さんは今は堺市の住人ですが元々はこの辺りがルーツで地理や昔の様子にも詳しく素晴らしいガイド振りでした。

それにしても「新世界」界隈・・・・率直なイメージとしては、こてこて、ギトギト、カオス・・いわゆる混沌、大阪という文化の坩堝、集大成・・聖地・・虚の中にある実・・みたいな、まぁ色々羅列しましたがそんな言葉しかでてきませんでしたね。

参りました。

  特に通天閣の中・・・写真屋さんがそれぞれの客に毎回毎回ニコニコとしながら同じセリフとポーズ、いや振り付けみたいですね、とにかくそれを繰り返しています。その様子を眺めていたらある女の子の接客の笑顔の目が一瞬笑っていないことに気づきました。そりゃそうでしょうね同じような光景とそれへの対応が延々と続くのですからね。

こりゃ大変だ、と思いました。正直・・・。

それにしても驚きましたね。30分ほど行列に並びましたが、その間も驚かされるというか目を覆いたくなるというと大袈裟ですが思わずうつむいてしまいそうな光景が至る所にあり、もちろん興味深いものもあるにはあるんですがね。

「ホントここまでよくやるわ・・」みたいな何度も言いますが「虚の中にある僅かな実」この表現に尽きますね。

  この通天閣で度肝を抜かれ、後は名物「串揚げ」へ、至る所にお店があるんですよね、これが・・。

どのお店もほぼ満席状態で、まだ明るい界隈はすでに酔っ払いもあっちこっちにいますし老若男女、家族連れも、まぁとにかく賑やかそのものでしたね。時間は関係なさそうみたいでしたよ(^_^;)

  その中で宮本さんお勧めの「だるま串」(元祖店から、のれん分けした店まで数店舗ありました)にお邪魔し、お腹が結構膨らんだところで二件目は寿司屋・・ここでまた刺身やら寿司やらを飲み食いし、その安さに驚き「いやーっ大阪の醍醐味だこりゃ」みたいな気分で何だかんだとワイワイ言いながら7時半頃にはお開きになりました。

新今宮の駅で別れ宮本さんは南海で、僕と駒寿さんは環状線で彼は鶴橋までで僕は次の京橋から更に京阪で京都に帰りますした。

おもしろい時間を堪能しましたね。

  通天閣の展望台から眺めた景色・・・今更ではないですがまさしく大阪ってとんでもない大都会なんだと感動すら覚えましたね。

やっぱり都市は街中で蠢いているのもいいのですが、たまには上から俯瞰して見るのも大事だと感じましたね。

それにしても大阪は凄い、あらためて痛感しました。

早い時間からの開始だったので比較的夜は長くて、帰ってからもワンコの散歩したりと案外ゆったりできました。

ただ少々食べ過ぎ・・いい歳こいてこれですから・・まったく。

またまた飲み食いの話でした。

悪しからず。

 

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京都と奈良の話から。

2016-12-15 09:40:37 | 京都のこと

 修学旅行の話ではありません。

先日の忘年会での話題です。

  僕がまた近々京都に行き、年末年始は向こうで過ごす云々の話になった時、一緒にいた公美子さんが「京都ってどこか薄っぺらいから嫌だ・・」みたいなことを喋り、そして「私は奈良、平城京派なんですーぅ」と言ってました。

僕は別段個人が好きな場所や街のことでとやかく言うつもりはまったくないので「薄っぺらいってなぁ、ちょっとお前は知らん過ぎじゃ・・」くらいの反論はしておきましたが、確かに京都はテレビや本でも度々話題に上ることが多い世界的にも最も人気の場所ですから、そのことに羨みに近いやっかみのような感情を持ってしまう偏屈者も中には居ると思います・・・確かに。

多分彼女の言葉尻からしてその一種だと思いますが、ある一面、僕にもそういう処ありますもの・・・。

  本題・・僕は、その土地や場所などには何かDNA的なもののなせる背景意識のようなものがあるような気がしてならないのです。その事はずっと前から思っていました。

  風景とてそうです。僕は海の風景より山や川、森の風景の方が好きなんですよね。このことははっきり意識できます。

南の土地の風景より北の風景・・それの方が良いんですね。不思議と言えば不思議なんですが・・・。

またまた、東南アジアとか大雑把ですが南半球のこと、と云うか話題、土地や自然のそれですよ。それにはほとんど興味が湧かないんですよね、血が騒がない的な意識ですね。

逆に北側・・・この表現が地理的にも意識的にも僕的によくマッチするのでそう言いますが、こっちの方がその自然や風景、そこに住む人間に対してはるかに興味が湧いてくるんですよね。

この心の奥底の方にある潜在的な意識、血の騒ぎみたいなもの・・時に荒々しかったり、また何故か静かでしっとりしたりする、この感情、慕情のようなものを考え直してみました。

  こと京都において、僕がそのディープさなど語れる程のものではありませんが、ただ一例的な比較として以前、奈良に何度か出張や所用で出かけましたが、街にさほどの活力や賑やかさが感じられないというか、寂しさのようなどこか静かで閑散とした雰囲気が伝わってきた記憶があります。

  重苦しいほどの歴史を刻んだお寺や神社が存在する一方でこの土地では京都ほどの庶民文化のようなものがあまり発達してこなかったのだろうと想像してしまうのですよね。

僕にとって奈良と云うところは知識も薄いしあまりとやかくは云えるものではないのですが、ただ奈良は(奈良県と括った方がよさそう)その街の雰囲気や歴史の宝庫みたいな重厚さより、更に歴史深く神秘的なその山間地の方にずっと魅力を感じてしまうんですよね。

こう云う心境というか意識のことって果たして理解してもらえるものなのかなぁ、などとも思いますが・・・。

  と云うことで、京都と奈良の話からそんな潜在的な意識や嗜好、惹かれていってしまう感情、そんなことの源泉のようなもの考えてしまいました。

「京都慕情」ではありませんが、僕的には何十年も前からこの町に惹かれていたという思いがありますね。

  これも僕の細胞の奥のほうに静かに存在する「DNA・・」のなせるものかも知れません。  

 

 

 

 

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