昨日は滋賀県の甲南町に出稽古に行ってきました。久々にI先生に稽古をお願いする為です。
同時に京都で所用もあり、ちょうど機会がよかったのです。
午後にコクだけを連れ出発しました。当初は夕方出て甲南に行きそこで稽古をさせて頂きそのまま京都に入る予定だったのですがコクの車酔いのことが心配で一旦早めに京都に行き、そこでコクを休ませゆっくりしてから再度甲南に戻ることにしたわけです。
コクは全然大丈夫で後部座席の特設室で何事も無いかのごとく悠然と伏せていました。これで安心ですが、やはり酔止めの薬も効果があったと思われます。
で、コクのことは僕の心配をよそに大丈夫だったのですが・・・何と運悪く名神の集中工事にぶつかってしまい酷い渋滞に巻き込まれてしまいました。結局、京都に着いたのが夕方の5時前で余り休む間もなくコクを散歩に連れ出し、その後1時間ほどの余裕を見て5時半頃に家を出て甲南に向かいました・・・がここでもまた大渋滞で普段なら大体40分位で甲南のSAに着くのが1時間余裕をみて丁度よかった結果になりました。
稽古会場はSAから7,8分のところにあり携帯ナビですんなりと着きました。
このI先生には毎年京都大会の際に稽古をお願いしているのですが、今年は先生とは出会ったものの稽古の機会を逸してしまい、前々から一度お邪魔しようと思っていた先生の主催する甲南町の稽古会に直接お邪魔することにした訳です。
この先生との出会いはかなり古くなります。先生がまだ七段?で警察の強豪で鳴らしていた頃に遡ります。僕が多分まだ五段位の頃です・・・京都で、やはり五月の大会の際です。某有名な範士八段の先生が一人の男にたじたじで稽古をしているのが目に入りました。僕は「まぁ・・何と強い人なんだろう・・・この人凄いなぁ・・」と目を見張ってしまいました・・・範士にまるで臆するでも無くビシバシと厳しい打ちを繰り出し、激しく攻め立てていました。何と強い人がいるもんだなぁ・・・と感心するやらびびるやらで・・かなり衝撃を受けた記憶があります。その時、垂れの名札を見てI先生ということを確認した訳です。
先生と初めて稽古をお願いしたのはそれから10年程後のことです。それまでは掛かる勇気が湧いてこなかったからです・・・。
その時、彼はバリバリ若手の八段で輝いていました。攻めて良し守って良し、返せる・・・乗れる・・・(専門的な表現ですが・・・)僕は手も足も出なかったことを覚えていますが・・後でなかなか厳しい稽古だったと褒められたのも良く覚えています。先生、先生とは言っても年齢は僕より3歳ほど上だけでまだ若いのです。
昨日の稽古は散々でした・・・小手を何本も打たれ自分の欠点をはっきりと認識させられました・・・と同時にその厳しい稽古は僕の闘争心にも火を付け、途中でエキサイトしそうになりましたが・・やはり「ここは初めての場所・・・押さえて押さえて・・・」で何とか済ませましたが「くそーー!悔しい!」という気持ちが久々に強烈に頭をもたげてきて、稽古後の心地良い爽やかさとはまた別の複雑な心情がわき上がりとても刺激になった稽古でした。
稽古後の先生はいつもの穏やかな雰囲気で色々アドバイスをくれ「また、おいでよ・・」と言ってくれました・・・が、顔には出さないものの悔しかったですねほんと・・・。
ということで、同時にこの前に八段に昇段されたばかりの噂のK先生にもお願いできたし・・・とても内容のある稽古ができました。わざわざ出向いた甲斐があったというものです。
今後の稽古のテーマを再確認しました・・・僕は打ち出すとき手元を手前に引く癖があるのです。それはそれで一つの打ちの形として良いのでは・・・と言ってくれる先生もいますが、まずは基本に則った剣先が走るような打ちをもっと自分の物にしなければなりません。
最近は気持ちだけがどんどん図々しくなってきて剣道の実態そのものも、人間のさほど変わらぬ能力も(例外は・・あります・・・)判ってきてしまい、今や怖い物知らずの感がしますが、やはりここは「初心忘れるべからず・・・」でいこうと心に決めました。
これを書きながら、今の僕にとってこの「初心・・・忘れるべからず・・・」という言葉・・・もっとも大切な要素のような気がしてきました。
書くと言うことの意味や大切さはこんなところで現れるんですね・・・。