Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

出稽古とその顛末について・・・。

2014-05-27 15:42:10 | 剣道のこと

  昨日は滋賀県の甲南町に出稽古に行ってきました。久々にI先生に稽古をお願いする為です。

同時に京都で所用もあり、ちょうど機会がよかったのです。

午後にコクだけを連れ出発しました。当初は夕方出て甲南に行きそこで稽古をさせて頂きそのまま京都に入る予定だったのですがコクの車酔いのことが心配で一旦早めに京都に行き、そこでコクを休ませゆっくりしてから再度甲南に戻ることにしたわけです。

コクは全然大丈夫で後部座席の特設室で何事も無いかのごとく悠然と伏せていました。これで安心ですが、やはり酔止めの薬も効果があったと思われます。

で、コクのことは僕の心配をよそに大丈夫だったのですが・・・何と運悪く名神の集中工事にぶつかってしまい酷い渋滞に巻き込まれてしまいました。結局、京都に着いたのが夕方の5時前で余り休む間もなくコクを散歩に連れ出し、その後1時間ほどの余裕を見て5時半頃に家を出て甲南に向かいました・・・がここでもまた大渋滞で普段なら大体40分位で甲南のSAに着くのが1時間余裕をみて丁度よかった結果になりました。

  稽古会場はSAから7,8分のところにあり携帯ナビですんなりと着きました。

このI先生には毎年京都大会の際に稽古をお願いしているのですが、今年は先生とは出会ったものの稽古の機会を逸してしまい、前々から一度お邪魔しようと思っていた先生の主催する甲南町の稽古会に直接お邪魔することにした訳です。

  この先生との出会いはかなり古くなります。先生がまだ七段?で警察の強豪で鳴らしていた頃に遡ります。僕が多分まだ五段位の頃です・・・京都で、やはり五月の大会の際です。某有名な範士八段の先生が一人の男にたじたじで稽古をしているのが目に入りました。僕は「まぁ・・何と強い人なんだろう・・・この人凄いなぁ・・」と目を見張ってしまいました・・・範士にまるで臆するでも無くビシバシと厳しい打ちを繰り出し、激しく攻め立てていました。何と強い人がいるもんだなぁ・・・と感心するやらびびるやらで・・かなり衝撃を受けた記憶があります。その時、垂れの名札を見てI先生ということを確認した訳です。

先生と初めて稽古をお願いしたのはそれから10年程後のことです。それまでは掛かる勇気が湧いてこなかったからです・・・。

その時、彼はバリバリ若手の八段で輝いていました。攻めて良し守って良し、返せる・・・乗れる・・・(専門的な表現ですが・・・)僕は手も足も出なかったことを覚えていますが・・後でなかなか厳しい稽古だったと褒められたのも良く覚えています。先生、先生とは言っても年齢は僕より3歳ほど上だけでまだ若いのです。

  昨日の稽古は散々でした・・・小手を何本も打たれ自分の欠点をはっきりと認識させられました・・・と同時にその厳しい稽古は僕の闘争心にも火を付け、途中でエキサイトしそうになりましたが・・やはり「ここは初めての場所・・・押さえて押さえて・・・」で何とか済ませましたが「くそーー!悔しい!」という気持ちが久々に強烈に頭をもたげてきて、稽古後の心地良い爽やかさとはまた別の複雑な心情がわき上がりとても刺激になった稽古でした。

稽古後の先生はいつもの穏やかな雰囲気で色々アドバイスをくれ「また、おいでよ・・」と言ってくれました・・・が、顔には出さないものの悔しかったですねほんと・・・。

  ということで、同時にこの前に八段に昇段されたばかりの噂のK先生にもお願いできたし・・・とても内容のある稽古ができました。わざわざ出向いた甲斐があったというものです。

今後の稽古のテーマを再確認しました・・・僕は打ち出すとき手元を手前に引く癖があるのです。それはそれで一つの打ちの形として良いのでは・・・と言ってくれる先生もいますが、まずは基本に則った剣先が走るような打ちをもっと自分の物にしなければなりません。

最近は気持ちだけがどんどん図々しくなってきて剣道の実態そのものも、人間のさほど変わらぬ能力も(例外は・・あります・・・)判ってきてしまい、今や怖い物知らずの感がしますが、やはりここは「初心忘れるべからず・・・」でいこうと心に決めました。

  これを書きながら、今の僕にとってこの「初心・・・忘れるべからず・・・」という言葉・・・もっとも大切な要素のような気がしてきました。

書くと言うことの意味や大切さはこんなところで現れるんですね・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雉のいる風景。

2014-05-26 10:51:59 | 随想・・・。

  会社の作業場兼倉庫の裏手に何十年も変わらぬままの結構広大・・な空き地があります。

その懐かしい風景は子供頃からほとんど変わっていません。

あぜ道の水路に掛かった石の橋がある一点、そこに乗ると少しガタッと動くのも昔のままなのです・・・以前これ知った時、一気にタイムスリップしたような気持ちになり、ここから見えた子供の頃の様々な風景がめくるめく蘇って、あー・・・時間って長いようで本当は短いものなのかもなぁ・・・・と少々感慨にふけってしまいました。

そこは昔は立派な田圃で、毎年初夏の水張りから田植えそして秋の刈り入れと季節ごとにその風景は移り変わり、僕らはオタマジャクシやドジョウ取り、そして夏から秋はとんぼ取りや何やでよく田圃を荒らし、その頃「たんぼのみーちゃん」と呼んでいた怖いおじさんによく追いかけ回され、隠れたり、遠回りして逃げ帰っていたりしていたことをほんのこの前のことのように思い起こします。

  僕は余り直接に怖い思いをした覚えがありません(要領がよかっただけ・・・・)が、友達などはみーちゃんに追い詰められて持っていたトンボ取りのタマ(柄の付いたネットのことです・・・いわゆる・・・)を目の前でボキッ!と折られて、泣きじゃくっていました・・・怖かったですね・・その顔が・・いわゆる・・・悪役顔でそれはホントに恐ろしかったのです(息子さん達・・・すいません・・・・)

オフの冬場も格好の遊び場で干してある藁を敷き詰めては片付けもせず、朝から相撲を取ったりと・・・・それは僕たち悪ガキどもに取っては誠に素晴らしい遊び場でした・・・今思えばみーちゃんが怒る気持ちもよーーく判ります・・・まったく・・・。

で、今もよくその横を通るのですが・・本題・・・ここに雉のつがいがいるのです・・・もちろん野生の日本雉です。

僕は以前からわんこの散歩などでよくこの場所を訪れ何度か遭遇したことがあるのですが、今も毎年同じところで繁殖しているらしく・・そう言えば雛鳥を連れていたのも見たことがあります。

先日、そこを通りがかったときたまたまそこに居合わせた、その・・・みーちゃんの息子さんと話し込んでいた矢先に、最初に雌鳥が現れ、しばらくすると今度は雄鳥がその立派な黒褐色に近い深く輝くような緑色の姿態を現しました・・・・綺麗ですよ本当に・・・。

ここには失われた日本の里山風景が残っているのです・・大袈裟かも知れませんが・・・。みーちゃんの息子さんはいま、その田圃の跡で趣味程度に野菜の栽培をしていて最近よく見かけます。

僕が「どうするんですか・・・・ここ・・?」と聞いたら「知らんわい・・・どうなるんかいなぁ・・」こんあ返事が返ってきました。この風景がこのままずっと・・・と云う訳にはいかないでしょうが、この雉のつがいはその時どうなるのかなぁ・・・と漫然と思いを巡らせてしまいました。

この雉たちがいなくなる時にこの風景に彩られた子供の頃の思い出も消えてしまうのかも・・・と柄にも無く少々センチメンタルな気分になっちゃいました・・・。

こんな顛末ですが、因みにバードウオッチングが趣味の方には案外朗報ですよ・・・ここ・・ほとんどいつでも間近でその野生の姿が見えますもの。

日本の国鳥ですよね・・雉って・・それにしても綺麗で力強く見事な生き物です。

雉の話から思い出話になっちゃいましたね・・・・。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意識する自分と意識しない自分。

2014-05-20 10:40:06 | 随想・・・。

  どこにいても何をしていてもどんな時でも、どこでも、いつでも、覗かれている・・望遠鏡で見られている、それは神様かも知れないし、自分の心の目かも知れない・・。

最近時折こんなことを意識するようになりました。

かっこよく云えば自分を律する為なんですね。とか?・・・。

ある程度の人生経験も積み、物事の裏表や本質的なものが見えてきたような気になり、本当は何も判っていないのかも知れないのに大体のことが判ってしまったような気になり、生意気にもうだうだになりがちな今日この頃な訳です・・・隙だらけかも知れません。

「そんなこと別にどうってことないし、それで構わないじゃないか・・」という心の声も聞こえます。

   別にそんなこと構わないと云えばそれまでなんですが、何となく今の僕は嫌なのです。

何も考えずに自分をさらけ出して生きていくことの気楽さとまたその大切さもよーーーく判っていますが・・・。

  僕の場合、あまりそうやっていると人間としての品が無いように思える訳で、例えば何でもかんでもはっきりと物を言えるのは決して悪いこととは思えませんし、それを必要とする大事な場面もあります。しかし時と場合によっては人を傷つけたり嫌な思いをさせたり、そのこと自体がとても下品であったりすることもある訳ですから・・・・。

  まずは自分の幸せを大切にして、自然に振る舞い、自由に闊達に生きてゆく・・・そして何よりも嫌み無く、このことが何より大事ですね。

何を言いたいのやら、こんなこと徒然に考えている訳です。

「人」をやっていくのは結構大変なんですね、まったく・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「フィールド・オブ・ドリームス」のこと・・・。

2014-05-20 09:54:09 | 随想・・・。

  昨晩BSで本当に久し振りにこの映画を観ました「フィールド・オブ・ドリームス」・・・・1990年に日本に公開された映画です。

やっぱり良かったなぁ・・・以前観たときと同じ感動を覚えました、何も変わらぬ新鮮な感動でしたね。

僕の大好きな映画の中のトップ3に絶対に入ると思います。

  今で言うファンタジーと云うか幻想的と云うか・・・その要素たっぷりなのですが、映画の中では不思議と現実と非現実との間境にまったく違和感を覚えないんですよね。このあたりがこの映画の監督の凄さでもあると思いました。

原作はW・P・キンセラと云う人の「シューレス・ジョー」という小説作品です。シューレス・ジョーとは60年代、八百長事件に巻き込まれ大リーグから追放された天才打者のことです。

主演はケビン・コスナー、脇にバート・ランカスターが出ていたのには驚きで、以前は知りませんでした・・・いい役でしたね。これが劇場版映画としては遺作になったようです。

60年代のアメリカの野球・・今で云うMLBの世界をキーワードにしています。

アメリカの古き良き美徳を感じさせる素晴らしい映画ですね。悪い奴が一人も出てきません・・・そう言えば・・・。

  僕はずっと前に勤めていた会社の社誌にこの映画の批評を書いたことがあります。「こんな映画を観せられると、やっぱりアメリカが嫌いになれない・・・・」こんなフレーズを使った覚えがあります。

ここでは敢えてあらすじやその内容には触れないことにしますが、ラストだけ・・・・若い頃にけんか別れして以来一度も会わなかった父親・・・その野球選手を目指していた若かりし頃の父親と主人公のケビン・コスナーがキャッチボールをするシーン・・・・熱いものがこみ上げてきました。

本当に良い映画というのは見終わって本当にじんわりと柔らかい感動をもたらしてくれるものなのですね・・・やっぱり・・・。

お陰で心地良い眠りに就くことができました・・・(実はこの心地良い眠りを夜中に遮られた事件がありました・・・大したことでもないのですが・・・この話はまたの機会にします・・・)

まだ観ていない人は本当に是非一度!観てください。ホントいい映画なんですから・・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近のこと・・・。

2014-05-19 09:15:07 | 随想・・・。

  連休が過ぎ何となく慌ただしく特に仕事がこの時期立て込んできましてつい更新ができずにいました。

以前ある読者の方にお会いし、更新が1週間もないと僕のことを「大丈夫なのか・・・どこか悪いのじゃ・・・」などとご夫婦で心配してくれるらしく、照れくさいやら嬉しいやらで複雑な心境になりましたが、そういう奇特な方もおられるようなのでこっちもつい更新を気にしてしまう次第な訳です。

今回京都には12日間居て、前にも書いたように剣道とわんこの世話に明け暮れ、あっという間に時間が過ぎてしまい、帰ってからその余韻に浸る間もなく仕事に追われてついつい今日まで来てしまいました。

  先日は久し振りにKさんとYさん三人で飲みに出かけました。特にYさんとは約3年振りに一緒に飲みました・・・楽しかったですね。

Yさんのことですが・・・彼は8年程前に東京から突然タイムスリップしたようにこっちにやって来た方です。勤めていた池袋の郵便局を退職したのを機に奥さんの実家のある紀北町(・・の中でもかなりディープな地域・・・)で暮らす為です。これは結婚当初からの約束だったらしく、それを律儀に守り、いわゆるタイムスリップ^^^^(ここでは強烈な地域格差の体験・・と云う意味ですが・・)したわけです。

 当初の彼はよく「いやぁー!まったく参っちゃいましたよ・・・ホント・・ここ何にも無いんですから・・・僕もほんのこの前まで池袋で飲み歩いていたんですからねぇ・・・いやぁーもう帰っちゃおうかなぁ・・なんて思っちゃいますよ・・・」などとよく嘆いていましたが、僕は内心この人はこの土地に住んでも別段何の違和感も感じないよなぁ・・・見たいな妙な安心感・・・持っていました。要するにそんな雰囲気の方であるわけで、やっぱり今やすっかり地域に溶け込んでいます・・・ホント・・・。

彼は東京時代から剣道をやっていてこっちに来た頃は既に五段の腕前でしたが、こちらで稽古をやり出して僅かの間で六段に昇段しました。本人も驚いていた様子でした(向こうでは何度も失敗していたから・・・)そんな剣道がきっかけで出会った訳です。

なかなかのハンサムで僕はよく「ミシマ先生^^^(かの三島由紀夫に似ている・・・)」などと冷やかして居ますが・・・、実は書道もこれまた名人レベルのようで(確か日展に何度も入選されたみたいです・・・)現在も地元で7、8名のお弟子さん達に教えているようです。

地域の子供達に長らく剣道の指導もやってくれ、今は若手の指導者に交代していますが、その教え子達も少なからずいます。

そんな彼もここ三年ほどは首の怪我に悩まされ剣道もままならず、もっぱら畑仕事に精を出して、僕たちもよくお裾分けを頂いたものです・・・(お裾分け・・・と言っても彼の場合、軽トラックで妹のやっている民宿の玄関先に大量のネギやら芋やら大根やらを置いていってくれる訳で、よく妹と「まるで日本昔話のような人やなぁ・・・」と言って笑っていました・・・)

そしてこの前飲んだ時・・僕が「・・で、Yさん・・小作農(畑を借りていた・・・・)相変わらずやっているんですか・・・?」と聞いたらYさん曰く、例の甲高い声で「先生(僕のことをこう呼んでくれる)・・・百姓はもうやっていません・・・卒業しましたよ・・」などと自慢げに言っていました。

それで現在は書道の教室をやっているのが趣味と言えば趣味のようです。こうしてしばらく会わずにいたYさんも交え三人でワイワイと楽しくやった次第です。帰りは愛妻のお迎えがあり(そう言えば以前もよくお世話になったものでした・・・特に酔っ払いのKさん・・・)自宅近くまで送って貰いました。

このYさん、首の怪我も治ってまた剣道再開しようかなぁと言っていました。仲良しのKさんにも一緒にやろうよと誘うのですが・・・これがどうも大して乗り気でもなさそうで・・困っていました(笑)

そんなこんなで相変わらず日常はわんこのお世話と剣道といつもの晩酌と(これが特に楽しみ・・・)で、例え何があろうとおころうと毎日を「日々これ好日」と過ごさせて貰っています。

それでは・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする