今日は午後から隣町の紀北町に剣道の稽古会へ参加の為行ってきました。
数ヶ月前に京都で稽古した際、後で挨拶に来てくれたk氏が「実はで毎年JRのOB会を中心に、この町に泊まり込みで親睦を兼ねた稽古会を開催しているので、よかったら今回は是非オカダ先生にも来て頂けたらありがたいです」と言われまして、これは嬉しい話と今日この日にお邪魔したわけです。
午後二時半頃からの予定でしたが、何とこの親睦稽古会は既に30回を数えるほどの過去があり、今回はその記念に個人試合をやらせてもらうので「先生、申し訳ありませんが審判もお願いします^^^」と言われ、それはそれとして心地良くお受けいたしました。
ただその親睦試合の中で、まさしく刮目すべき一人の先生(大阪のマツモト先生と云う御年は確か70歳ちょっと、大阪府警のOB)がおられ、この先生には是非とも一手御指南をと思い、試合終了早々に挨拶に伺い稽古お願いしました。
この先生、小柄ながら贅肉の一片も見えないまさしくはがねのようなビシッ!とした体つきで、剣風も昔のまさしく武術的な剣使いで、足捌きが変幻自在であり眼が良く見えていてどこからでも技があり、鋭い打ちをを繰り出してきます。横から縦から前後の引きと入りもまったく上手で、それはそれは大変な使い手でした。
僕は若かりし頃(まだ20代後半から30代位かなぁ・・)京都の武徳殿での稽古会で奥山麟之助先生と云う、明治生まれであの内藤高治先生の書生をされていた当時90歳位の大先生がこのような動きを見せていた記憶があります。
確か一度か二度はお願いした覚えがありますが凄かったですね、何せあの真夏の八月の稽古、僕はただただ色々な先生にお願いし、こちらは掛かり手なので稽古を待つ間は休めます、しかし先生方は終始元立ちで休む間もありません、次から次へと強者が挑んで来るのですが奥山先生は、何とあのお歳で稽古の最後までしっかりと元に立っておられました(最後の講評までしていた・・・)こっちは休みながらもへとへとで面の中から「この男一体どないなっとんやろ・・・」みたいなこと思い、同時に凄い尊敬の念というか畏怖のようなものを感じたものでした。
最近そういう使い手とは出会ったことがなく(三重のN先生もそうだ、神道無念流の研究者)何となく新鮮な嬉しい気持ちの稽古がお願いできました。その内容はと言うと、僕、たじたじ・・・ほとんど何もできませんでした。多分僕だけじゃないと思います、八段の使い手でも多分同じような結果だろうと思います。
ただおおうにして皆、後で言う言葉は「あの人は難しいなぁ・・・(剣使いのこと)」であろうことは間違いありません。
僕のように今、八段に挑戦中の剣士とか現代の剣道にすっかり浸かってしまっている剣士にとっては、こんな剣使い正直苦手です。なぜならスポーツ的要素の強い現代剣道のスタイルではこういった武術的な動きを伴う剣道はなかなか手に負えないからです。また同時に今の剣道ではこういった剣風は余りどちらかと言えば評価されない風潮もあります。もちろんそこには様々な意味合いもあり一言では表現できないのですが・・・・。
しかしながら僕は相当レベルで認めていますというか、ここに剣道の本質のようなものを感じています。
僕は最終的に自分の剣道は、この武術的な動きを取得してこそ初めて絶対的になり得るんだと思っています。その為色々な古今の武術家のことを調べてきました、それだからこそ明確に言えるんだと思います。
ただ、今の剣道界においてはまずは八段になることなんです、そこから自由なプラトーな世界が広がり更にそのまだ先に大きな壁が現れる、こんな繰り返しかなぁと漠然と思っています。まぁ別に八段にこだわることもないと云えばないのですがね・・・・ただ僕の場合この斯界に対する精神的な決着のようなものなんですね、これが・・・ホント。
僕は今日の稽古、剣道界でよく使われる「交剣知愛」という言葉、まさしくそれを感じさせてもらえました。
そういう意味でもとても良い一日でした。