蘇芳の空間

関心空間の備忘録(2016年10月まで)
よって、その部分の写真リンクは切れております。

29年

2024-01-17 17:54:46 | 震災
今年は久々にヘリが上空を飛んでいるのを見ました。

毎年、この日は各地で追悼行事が行われますが
今年は1日に地震があったこともあり
能登方面への祈りも多く行われています。

能登の震災を見る限り
というか、東日本や熊本でもそうですが
避難所が阪神・淡路の時とあまり変わってないように見えてしょうがない。

プライバシーに配慮とか段ボールベッド導入とか
赤ちゃんの液体ミルクとか生理用ナプキンの準備とかは多少進んだかもしれないけど
冷たい床で休まなきゃいけなかったり
トイレに困ったりというのは何ら変わってないように思ってしまう。

地面がぼっこぼこに引っかき回されるんだから
地中の管がやられてライフラインが使えなくなるのは仕方ないのは分かるんだけどね
せめて高齢者と妊婦さんには薄いエアーベッドとかでも用意できないものかと思ってしまう。

我が家は次の日に明石の祖母の家に避難できたからよかったけど
水やお弁当をもらいに行った近くの避難所(学校だった)では
とてもじゃないけどおられへんかったわ、と母が後に言ってた。

フェリーでお風呂入れるようになったとか
中学生の集団避難とか
仮設住宅の建設とか
少しずつ前へ進んでる気がするけど
復興なんかはまだまだ先の話。

強制的に避難させたりできればというのが暴論だってのは分かってるんだけど
避難所で高齢者が亡くなったとか
病院で手当てできずに亡くなったというニュース見るたびに
何とかならんもんかと思ってしまいます。

故郷を離れたくない、家が心配、先祖代々の土地だからというのも分かるけど
今生きてる人を犠牲にしてまで守らなくていいよってご先祖様は思ってくれると思う。
今、大変な思いをしている方々が
少しでも温かい場所で安心できる状況になることを願います。
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4 コメント

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Unknown (arrow0621)
2024-01-21 18:29:38
小さい頃に近くの川から濁流が押し寄せ床上浸水した時の事を鮮明に覚えてます。
外の木戸の下から見える道路が何故か水面に成ってて街灯の光がキラキラ反射して綺麗~って眺めていた4歳位の私、本当はその時に親を呼んで異変を教えなきゃダメだったんだけど、そのまま眺めてたら裏からド~んと水が押し寄せて家中が大騒ぎになり…異変に気が付いてた事は黙っておこうと思いながら家族の慌てる姿を眺めてたのですよ。
翌日から片付けや掃除にと大人達の大変な姿を見て、邪魔に成らないようオトナシクしとこうとしてる自分の姿が記憶に残ってます。

災害と言えば、前世の私は災害で死んだ様です。巨木が何本も転がり跳ねながらグワ~っと私に迫って来るのです。飲み込まれる寸前までの記憶だけど、その後は当然死んだのだと思います。
Unknown (蘇芳)
2024-01-23 17:07:02
不良さま
いやいや、4歳なら仕方ないでしょう。その後、邪魔にならないようにという気遣いができるのは4歳らしくないような気もしますが、皆様ご無事で何よりでしたね。
てか、前世の記憶までお持ちなんですか。土砂崩れか何かでしょうか、いずれにしても恐ろしい光景ですね。
Unknown (スミツツキ)
2024-01-31 20:13:31
段ボールベッドは随分周知されたように思ってたんですけど
実際に用意してあるところは少ないんでしょうねぇ(溜息)
復興割に割くお金があるならそっちに先に回してほしいのですが。
ニュース見るたびに遣りきれない気持ちになります。
Unknown (蘇芳)
2024-02-03 01:14:09
スミツツキさま
1か月が過ぎて、ようやく仮設住宅とかの話が出てきていますが、瓦礫の撤去とかもまだまだだし、先は長いですよね。
とにかく早く道を何とかして、人や車が自由に行き来できるようになってほしいです。

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